平安陰陽騒龍記















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「……後は、お前らの知ってる通りだ」

語り終え、隆善は大きく息を吐いた。それにつられるように、聞いていた者達も大きく息を吐く。

「……普段海の底で暮らしている龍宮の者は、地上の空気には中々馴染めませぬ。私も、水脈を通り地上に出た途端、意識を失いました。父も恐らく、地上に出て意識が朦朧としている時に不覚を取ったのでございましょう」

「なるほど! それで、意識を失って倒れていた弓弦に、麿がつまづいた……というわけでおじゃるな」

ぽん、と手を打つ栗麿を、弓弦はじろりと睨み付けた。しかし、相手が隆善ではないためか。栗麿は動じていない。

「あの年はただでさえ辰年の後の巳年で、龍の力が十二年の内で最も弱まっている時だった。それが地上に出て弱っているところで、おろちを誕生させようとしていた蛇達と対峙。……神気で穢れを相殺する事で誕生を遅らせる事はできたようだが、荒刀海彦自身は命を落とした。そして現在に至る……というわけだ」

「私が地上へと赴いたのは、父を捜すため。龍宮では、未だ父が身罷った事を確認できていませんでした。そこで私が、顔も覚えていない父を捜し、おろちの仔を屠る手助けをするよう遣わされたのでございます。……まさか、人の子を憑代としていたとは思いもよりませんでした」

虎目が、「ふむ」と唸った。

「弓弦がこの馬鹿の式神にさらわれた時にかすり傷一つ無かったのは、龍の力で高速治癒していたから。あの式神が下手に襲い掛からにゃかったのも、弓弦が龍である事に気配で気付いたから警戒した……というトコかにゃ」

「その……荒刀海彦が中にいるはずなのに葵には襲い掛かってきたっていうのは……?」

「身体は人間だからな。それに、その時はまだ、荒刀海彦は葵の中で目覚めていなかった。だからだろう」

「私も、そのように考えます」

そして弓弦は、視線を葵へと移す。その横顔を隆善は眺め、軽く溜息をついてから視線をやはり葵へと移す。

「……そういうわけだ。何が起きているのか、弓弦が何者なのか、自分に何が起こったのか……理解できたか、葵?」

「……はい」

「え、葵!?」

「起きていたのでおじゃるか!?」

目を丸くする紫苑と栗麿の前で、葵がゆっくりと目を開けた。

「どこから聞いていた?」

「……最初から。邸に着いた頃には、もう意識は戻っていましたから。けど、目を開ける事もできないぐらい体が重くて……」

そう言う声は弱々しく、目も再び閉じそうになっている。

「目覚めた荒刀海彦が、いきなりあれだけ暴れ回ったからな。……この十二年、俺と惟幸で鍛えてきたつもりだが、それでも負担は相当でかかったみてぇだな」

「……師匠達は、この時のために、今まで俺に調伏の法を……?」

隆善は、頷いた。

「星読みや暦も陰陽師にとっちゃ大事な事だがな。術やら呪いやらってのはやっぱり、それなりに気力、体力を必要とするんだ。術の規模がでかけりゃその分、精神的負担も肉体的負担も増える。逆に言やあ、その方面を強化しておけば、心身共に鍛えられると思ってな。でもって、どうせ鍛えるのであれば役に立つ術を教え込もうと思ったってわけだ」

「にゃるほどにゃ。陰陽の術を教えるだけにゃら、隆善一人だけで事足りる。けど、調伏やら呪いやら……術者に負担のかかる術は、惟幸の方が確実にスペシャリストだからにゃ。だから師匠二人体制にゃんて、おかしにゃ事をやってたわけか」

虎目に隆善は「そういう事だ」と頷いた。

「弓弦の前で言っちまうのも悪い気はするが、この際だから言っちまおう。葵の記憶が無いのも、荒刀海彦の憑代となった事に関係している」

「……どういう事でございますか……?」

顔を曇らせた弓弦の視線から、隆善は目を逸らした。

「元々容量の少なかった童子の葵に、いきなり強大な荒刀海彦の力と魂魄が入り込んだんだ。恐らく、その時記憶が葵の中から弾き出された。大きな物を葛籠に入れるために、元々入っていた小さな物を取り出して……そのまま容量不足で仕舞えなくなった。そんなところだ」

「……そっか。だから……」

呟き、葵は再び目を閉じる。

「……葵様?」

不安そうに弓弦が名を呼ぶと、再び葵はゆるゆると目を開ける。

「……どうして……」

「?」

掠れた声に、弓弦達は耳を澄ませた。

「どうして、荒刀海彦は目を覚ましたんだろう? 十二年の時が経ったから? それとも、俺の身体が、荒刀海彦の力に何とか耐えられるようになったから……?」

「……恐らくは……おろちに連なる蛇達と出会った事。そして、あの井戸の水に触れたからかと……」

「井戸って、あれ? 葵が落ちた……」

視線を紫苑に移し、弓弦は頷いた。

「あの井戸の水脈は、龍宮から伸びる龍脈と繋がっております。だからこそあの井戸には神気が湧き、龍宮に連なる者に力を与える事ができるのです」

そう言って、弓弦は、す、と袿の袖をたくし上げた。すらりと細く白い腕が、青い袖から現れる。蛇達と戦っていた時に生えていた瑠璃色の鱗は、一切見当たらない。

「私は、龍宮の者として戦うにはまだまだ未熟……。自らの気だけでは足りず、時折あのように龍脈から力を得なければ、戦う姿になる事すらできないのです。ですが、消息不明となった時、既に龍宮一の武士であった父は……」

「いつでも自在に変化可能。自分で神気も生み出せるから、勿論力も使い放題。必要だったのは、葵に己の龍の力を使わせるためのきっかけ。……でもって、葵がその井戸に落ちた事で大量の神気を取り込み、それがきっかけとなって荒刀海彦は一気に覚醒したってわけか」

「その通り」

突如葵の声に重さが加わり、一同はハッとした。いつの間にか、葵の目が金色に光りぎょろりとしている。そして、喋るのもやっとだった体を起こし、床の上に坐していた。

「あっ……葵が、またもやイメチェン……ではなく、メタモルフォーゼをしたでおじゃるよ!?」

「めた何とかじゃなくって、荒刀海彦だってば! ……って、そうじゃなくて!」

若干混乱した様子で、紫苑と栗麿が葵を凝視する。その視線を楽しむように、葵の中にいる荒刀海彦は嗤った。

「賑やかで中々面白い邸ではないか、若造」

「瓢谷隆善だ。俺より若い身体で、いつまで若造と呼びやがるつもりだ」

隆善の反論に、荒刀海彦は「何の問題がある」と再び嗤った。

「身体は若くとも、魂魄はお前よりもずっと年嵩だ。私から見れば、やはりお前は若造なのだよ。若造」

「……それで? 折角回復しかけてた葵の体力を再び消耗させてまで出てきたからには、何か有益な情報の一つでも落としていくんだろうな?」

凄む隆善に、荒刀海彦は「あぁ」とどこ吹く風で返した。

「おろちの末の気が濃厚になってきたからな。準備は早い方が良いだろう?」

「……!」

その場にいた全員に、緊張が走った。その様子を、荒刀海彦は楽しそうに眺めている。

「おろちの末がいよいよ生まれ出るとなれば、まずは先ほどのように大量に長虫が湧く。前回失敗した分、今回こそは絶対に誕生させようと蛇達も考えているだろうからな。蛇の量は大いに増えるぞ。現に、先ほど京には蛇が溢れ返っていた。十二年前には無かった事だ。……次に、おろちの気に魅せられた鬼や妖しの物どもがぞろぞろとやってくる。そして最後に……おろちが現れる」

「……十二年前にも……?」

盛朝に問われ、荒刀海彦は「そうとも」と頷いた。

「でなくば、いくら地上に出たばかりで弱っていたとはいえ、神気を出し切ったぐらいで命を落としたりなどするものか。鬼どもが、邪魔さえしてこなければ、今頃は……!」

そこで、荒刀海彦は、ふ、と力を抜いた。

「いかん、いかん。真に大切な事を忘れておったわ」

言うや否や、荒刀海彦は姿勢を正し、傍らに座る弓弦に正面から向き合った。体は消耗している葵の物。動かすのが、少々辛そうだ。だが、荒刀海彦はそれを表情に出す事をせず、ただ優しく微笑んだ。

「まさか、十二年の時を経て再びまみえる事が叶うとは……大きくなったな、我が娘よ……」







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