平安陰陽騒龍記














25
















やがて、二人は開けた場所に出た。小規模であれば村祭りができそうなほどに広いその場所も、ぞろぞろとした蛇の気配で埋め尽くされている。だが。

「……妙だな」

隆善が呟き、惟幸も暗闇の中首を傾げた。

「……うん。僕達は、確かに気配がより強い方へと向かってきたはずなんだけど……」

今この場に、ぞろぞろとした気配は確かにある。だが、最初にこの気配を感じた場所と、大差が無い。

「気配の主が、移動したのかな?」

「だとしても、気配が無ぇのはおかしいだろ。移動したなら移動したで、気配が動いていくのがわかるはずだ」

「……だよね」

同意しながら、惟幸は辺りの気配を探る。

「本当に、全く感じられなくなってる。……考えられるとしたら、さっきの神気で相殺されたか……」

「そう言や、あれも感じられねぇな。……結局何だったんだ?」

難しそうに唸ってから、惟幸は、す、と自らの気配を押し殺した。それに気付いた隆善も、気を鎮め、自らの気配を限り無く薄くする。

やがて二人は、ぞろぞろとした気配の中に、一つだけ異種の気配がある事に気付いた。同じようにぞろぞろとしてはいるが、蛇達の気配とは違う。静かで、清浄で。そして弱っているように感じられる。

「……この気は……」

「さっきの神気か!」

気配を辿り、二人は神気の感じられる場所へと足を急がせる。蛇達を踏み付け、時に孔雀明王の真言を唱え。そして。

「! 待って、たかよし!」

惟幸が緊迫した声で名を呼び、隆善は足を止めた。止めた足の斜め下から、風が吹いてくる。穴があるのだ。人間が落ちたら、ひとたまりも無さそうな大きな穴だ。

「これは……中に、何かいるな」

穴を覗き込み、隆善は目を見開いた。

穴の中は、薄らと青白く光り輝いていた。そして、その光の奥に一匹の龍が横たわっている。蒼い、蒼い、瑠璃のような色をした美しい龍だ。

「龍……こんな所に……!?」

隆善に続いて穴を覗き込んだ惟幸も目を見張った。するとその声に気付いたのか、横たわっていた龍が薄らと目を開ける。

「……人間か……。あの長虫だらけの中を、よくぞここまで来れたものだな……」

弱々しくはあるが、それでも腹の底に響き渡るような重く低い声だ。その声にぞくりとしながらも、惟幸と隆善は龍に問い掛ける。

「あれだけの蛇達が現れたのは、あなたと関係があるんですか?」

「お前は、一体……」

「……我が名は、荒刀海彦。八岐大蛇の末を屠る為、龍宮より遣わされし者……」

荒刀海彦の言葉に、惟幸と隆善は思わず顔を見合わせた。そんな二人に、荒刀海彦は言う。

「あの長虫達を物ともせずにここまで辿り付けたという事は、お前達は若さに見合わぬ力量を持っていると見た。……今わの際に、そのような者と出会えるのは僥倖と言えようか……」

隆善が訝しげな顔をした。すると荒刀海彦はわずかに体を動かし、震える前足を惟幸達へと差し出した。その手には、五つにも満たぬであろう幼い童子が載っている。何があったのか、意識は無い。

「この子は……」

「……わからぬ。気付いたら、ここにいたのだ。迷い子なのか、天狗が攫った子を落としたのか……。ただ言えるのは、この童子には、憑代の才が宿っているという事」

「憑代の才だと?」

童子を抱き取りながら、隆善は首を傾げた。童子一人分だけ身軽になった荒刀海彦は、ぶるりと体を震わせると力無く頷いた。

「左様。……これより私は、私の持てる全ての力と私の魂魄を、この童子へと移し込む。今宵屠り損ねた、おろちの末を十二年の後確実に屠る為に……。だが、今の心身共に脆弱なこの童子では、私の力を引き出す事はできまい。ここに残しておけば、長虫達の餌食となるだけだ」

「それで……僕達にこの子を連れ帰り、育てろと? その、おろちの末が生まれ出た時、あなたの力を引き出し戦う事ができる、強い力と心を持つ人間になるように?」

険しい顔で惟幸が言うと、荒刀海彦は、ふ、と嗤ったように見えた。

「若造の割に、察しが良い。歳に見合わず、それなりに艱難辛苦してきたようだな」

「……」

黙り込む惟幸から視線を外し、荒刀海彦は隆善に抱かれた童子に目を遣った。その目は、どこか優しく、どこか哀しげだ。

「……私にも、生まれたばかりの娘がいる。せめて、この童子ほどまで育つところを見たかったが……」

その声に、童子が意識を取り戻し、ゆるゆると目を開けた。見知らぬ大人と、巨大な龍とに顔を引き攣らせ、今にも泣きそうな顔をしている童子に、荒刀海彦は済まなそうに言う。

「行きずりのお前を厄介事に巻き込み、心苦しいが……私の命運はもはやここまで。……私の使命を、お前に託したい」

荒刀海彦がそう告げた瞬間、今まで周りで蠢いていた蛇達の気配がぴたりと止んだ。まるで、何かに威圧されているかのようだ。

やがて、ずずず……という音がしたかと思うと、荒刀海彦から形容し難い何かが発せられ、隆善の腕の中にある童子に吸い込まれていった。

童子に何かが吸収されるうちに、荒刀海彦の姿は次第に薄らいでゆく。惟幸と隆善が呆然と見守る中、荒刀海彦の身体は跡形も無く消え失せてしまった。光も消え、神気も全く感じられなくなってしまう。そして代わりに、ぞろぞろとした蛇達の蠢く気配が辺りに復活した。

「……無念、お察しします。娘の成長を見守りたかった気持ちは、よくわかる……」

先ほどまで荒刀海彦のいた穴を眺めながら、惟幸は暗い声で呟いた。だが、暗い思考はいつまでも続かない。

「……おい、惟幸! このガキ、凄い熱出してるぞ!? こういう時はどうすりゃ良いんだ!」

横から隆善の慌てた声が聞こえ、惟幸は思考を引き戻される。見れば、隆善に抱かれた童子は再び意識を失い、ハッハッと荒い呼吸をしている。額に手を遣ってみれば、確かにかなり熱い。

「一旦、僕の庵へ行こう。薬があるし、子どもの看病は僕達よりもりつに任せた方が、間違いが無いよ」

「……そうだな」

頷き、隆善は童子を背に負った。

「先導頼むぞ」

「わかってる」

頷き合うと、二人は走り出した。来た時と同じように孔雀明王の真言を唱えながら、時折童子の体調を心配して。

そして、その翌日。惟幸達が再びその場所を訪れた時には、既に蛇達の姿は一匹も無く。ただ、巨大な穴だけがそこにあり、彼らの見聞きした物が夢ではない事を物語っていた。








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