平安陰陽騒龍記














23














隆善の邸に戻り、葵の部屋へ行き。床を延べ、葵を横にする。上から苦しくない程度に着物をかけてやり、そこでようやく一同は落ち着いた。

さほど広くない……寧ろ狭い葵の部屋で、葵が寝ている横で。紫苑を含めた大人が四人、体格的にはまだ女童と言える弓弦、そして普通の猫より少々大きい虎目。

非常に窮屈だが仕方が無い、と言い置き、隆善は葵の足元に腰を下ろした。すると弓弦は葵の枕元に座り、何とはなしにその横に紫苑が座り……とめいめいが適当に座り、いつしか車座になる。

「さて……どこから話しゃ良いもんか……と、その前に」

そう言って、隆善はぎろりと前方を睨んだ。

「おい、そこの馬鹿。何でお前がここにいるんだ?」

「そう言えば……あの場にいたんだよね、栗麿……」

「すっかり忘れてたにゃ……」

「しかし、だからと言って何故この場にいるのですか……?」

反応に困った顔をする紫苑達を横目に、隆善に睨まれた栗麿はムッとした顔をすると、膝を立てて前に身を乗り出した。

「何でとは何でおじゃるか、瓢谷! 麿はあの場で事件に巻き込まれて、危うく命を落としかけたのでおじゃるよ!? しかも、そこの弓弦とかいう女童には蛇を投げつけられるし、イメチェンした葵には殴られて吹っ飛ばされるし、挙句の果てには蛇の死骸の山に埋もれるしで、随分な迷惑を被ったでおじゃる! だからして、麿には何故こんな事が起こったのか、経緯を聞く権利があるのでおじゃるよ!」

隆善は、ハァと深い溜息をついた。

「わかった、わかった。お前もこの場に同席させてやる。……ただし!」

隆善の顔が、恐ろしく歪んだ。栗麿と紫苑が思わず「ヒッ」と短い悲鳴をあげてしまう程度に恐ろしい顔だ。

「話をしている間、余計な口を挟むな。聞いた事を、誰一人として洩らすな。これを守れなかったら、来世で豚に生まれ変わるよう、呪いをかけてやるからな。……惟幸が」

「……自分でやるんじゃにゃいんか」

「普段惟幸に、呪詛返しだ何だとおかしな文句で返答されている意趣返しですか、たかよし様……?」

「えー。父様、そんな事やってくれるかなぁ? 豚という豚に好かれて付きまとわれる呪いとかなら、面白がってやってくれるかもしれないけど」

「栗麿を好かなければならない豚が哀れにございます。それは却下で」

女性陣の発言に、栗麿はぷぅと頬を膨らませた。可愛くない。

「何でおじゃるか! 黙って聞いていれば、好き勝手な事を言って! いじめは駄目でおじゃる! 絶対に!」

「よし、栗麿。お前の来世、豚な」

「……」

栗麿が黙ったところで、隆善は視線を弓弦に向けた。

「弓弦。まずはお前から話してくれ。お前は何者なのか、何のために現れ、何故山の中で倒れていたのか。その話の後の方が、多分俺は話し易い」

「……わかりました」

頷き、弓弦は居住まいを正した。姿勢を美しくするだけで、二つも三つも大人びて見えるのが不思議だ。

「まず……私が何者なのかをお話しする前に。皆様は、八岐大蛇(ヤマタノオロチ)、という化け物の事はご存じでしょうか?」

「……」

弓弦の問いに、虎目が難しそうな顔をした。それに気付く事無く、紫苑がはいっと右手を挙げる。

「知ってるよ! ずーっと昔、素戔鳴尊(スサノオノミコト)に退治された、化け物だよね? 確か、身体の大きさは山のようで、首と尾が八本あって。背中には苔や木が生えていて、お腹は血で爛れてて、目は鬼灯(ほおずき)のように真っ赤な蛇の……あれ? 蛇……蛇?」

何かが思考に引っ掛かったらしく、紫苑が首を傾げた。その答を待つ事無く、弓弦は頷く。

「そう、蛇です。八岐大蛇は蛇の化け物。今回、京にあれほどの数の蛇が現れたのは、その八岐大蛇に関係しています」

「え。け、けど! 八岐大蛇は、素戔鳴尊に退治されたのではおじゃらぬか!? それが何で、この寛仁の世に関わってくるんでおじゃる!?」

余計な発言ではなかったらしく、隆善は何も咎めない。

「……八岐大蛇は、確かに素戔鳴尊によって退治されました。ですが……子を為し、自らの血を後世に残そうとするのは、命ある物の性。それは、化け物である八岐大蛇も例外ではございませんでした」

「え。……それって、まさか……」

「素戔鳴尊に退治される前、八岐大蛇は仔を残していた。それが、今ににゃって京に影響を与え始めている……そういう事かにゃ……?」

弓弦は頷いた。「正確には……」と口を開く。

「おろちの仔は、まだ生まれてはおりませぬ。地中深くに眠り、龍脈から気を得て……生まれ出るための力を蓄えている段階です」

「そのおろちの仔が生まれ出る時が近付いたら、蛇達が活発に動き始めるようになる。人を襲って、地を穢して……生まれるのに必要な、瞬間的で爆発的な力をおろちの仔に与えるためだ……と惟幸は言ってたな」

盛朝の言に、弓弦は「その通りです」と頷いた。

「……ちょっと待ってよ。じゃあ、その……さっきあんなにたくさんの蛇が出てきたのって、ひょっとしなくても……」

「おろちの仔が誕生しようとしている……そういう事にゃんか……!?」

弓弦は頷いた。そして、ふっ、と遠いどこかを見るような顔をする。

「そもそも……おろちの仔は、本来であれば、今から十二年前に生まれ出るはずでございました」

「今が丁巳(ひのとみ)の年で、十二年前は乙巳(きのとみ)の年。どっちも蛇年だ。蛇にとっては、力が強まり易く、生まれ出るのに良い年なんだろう」

隆善の補足に、紫苑と栗麿が「なるほど」と声を出さずに頷いた。そして二人揃って、「ん?」と首を傾げる。

「十二年前に生まれるはずだったおろちの仔が、何でその時生まれなかったんですか?」

「何か、辛い事でもあったんでおじゃるか?」

「それを、今から話すんにゃ」

「だから、お前は黙ってろ。そんなに豚になりたいのか、この馬鹿栗」

栗麿が憮然として黙ったところで、隆善、虎目、弓弦は溜息をついた。その様子を見て、盛朝は苦笑している。

「おろちの仔がいる事。そして、それが生まれ出ようとしている事。それに気付く者が誰一人としていなかったわけではございません。特に、龍宮はいち早くその気配に気付き、対策を打とうと致しました」

「龍宮……って言うと、あれ? 海の中にある宮殿……」

「左様でございます。おろちの仔が生まれ出る時が近い事を察した龍宮は、多くの人々が再びおろちによって苦しめられる事が無いよう、おろちの仔を生まれ出る前に滅しようと決めました。その時、おろちの仔を斃す為選ばれたのが、当時龍宮一の武士(もののふ)とされていた我が父、荒刀海彦(アラトミヒコ)。……先ほど、葵様の身体を憑代として蛇達を駆逐しておりました」

「……!」

場が、シンと静まり返った。隆善と盛朝は、知っていたのか察していたのか、今までと変わらずに落ち着いた様子で話を聞いている。

「憑代……? 葵が、取り憑かれてるの? その……弓弦ちゃんの父様、荒刀海彦さんに? ……って言うか、え? って事は、弓弦ちゃんは、龍宮から来たって事? ……え!?」

「なるほど。葵の見た目が変わったのはイメチェンではなく、取り憑かれた末のメタモルフォーゼだったのでおじゃるなぁ」

「今までこの未来が見えにゃかったのは、龍宮が関わっていたからか。龍宮の住人は、オイラ達と比べてまだまだ高天原に近いからにゃ。オイラの未来千里眼を狂わせる事も、できるだろうにゃ」

そう言う虎目の顔は険しい。

「……お偉いさんってのは、基本的に自分達に都合が悪い事は隠すもんにゃ。それは人間も神様も、そんにゃに違いは無(にゃ)い。……それで、十二年前に荒刀海彦が派遣されたはずにゃのに、おろちの仔が死んでにゃかったり。おろちに関わる未来がオイラに全く見えにゃいという事は……」

「……そこから先は、俺の話になるな」

そう言って、隆善は虎目の言葉を遮った。ちらりと横目で葵の顔を見、そして一同の顔を見渡すと、思わせぶりに口を開いた。

「今から十二年前……紫苑が俺のとこに弟子入りして、三ヶ月くらい経った頃の話だ……」








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