平安陰陽騒龍記
22
不意にかけられた声に、紫苑達はハッとして振り向いた。見ればそこには、三人と一匹が予測した通りの人物が、不敵な笑みを浮かべて立っている。
「師匠! それに、盛朝おじさんも!」
「全員、無事だな? 良かった良かった。惟幸に呪い殺されずに済みそうだ」
朗らかに笑う盛朝は、抜き身の太刀を手にしている。刃に脂が付着しているところを見ると、ここへ来るまでに相当数の蛇を斬ったようだ。
「さて……盛朝は笑ってるが、中々、笑えねぇ事になってるみてぇだな」
状況を眺めて唸る隆善に、紫苑はハッとした。
「そ、そうなんですよ、師匠! 葵が、何か急に暴れ出して! 何か鱗が生えたりとか、目の色が変わっちゃったりとかしてますし! あ、さっきまでは弓弦ちゃんも何か同じような感じになってて……今は違いますけど! 二人ともあの井戸の水に浸かったら、何かあんな感じに! ……って言うか、そうだ! 井戸に落ちる前に、葵が何か急に具合が悪くなって! 井戸から出てきたら治ってて、でもその後蝮に咬まれて……」
「あー。わかった、わかった。わかったから落ち着け」
煩そうに手をヒラヒラと振りながら、隆善は視線を弓弦へと向けた。
「弓弦」
「……はい」
どこか警戒している様子の弓弦の目を、隆善はまっすぐに見た。
「……おろち誕生の時が、近いんだな?」
「! ……はい」
サッと顔を強張らせ、そして頷く。
「……おろち? 何の話ですか、師匠?」
「……何にゃんにゃ、これは……」
首をかしげる紫苑の横で、虎目が顔を険しくする。どうやら、未来を垣間見たようだ。
「おい、隆善! これは一体、どういう事にゃ!? にゃんでコレが今の時代に……にゃんでコレが今まで、オイラの目に見えにゃかったんにゃ!? その様子だと、おみゃーと惟幸は知ってたにゃ? ……にゃんで隠してた?」
「え? どういう事、虎目? え? 師匠? え? え?」
隆善を睨む虎目と、混乱した様子で虎目と隆善を交互に見ている紫苑。そして、顔を強張らせたまま難しい顔をしている弓弦。二人と一匹を順番に眺め、隆善は溜息をついた。
「順を追って話す……が、それは葵も揃ってからの話だな。おい、盛朝」
「わかってますよ、たかよし様」
頷き、盛朝は抜き身の太刀を引っ提げると、葵が蛇達を引き千切り続けている場へと身を躍らせた。盛朝が太刀を一振りする度に、十を超える蛇達が両断され、ぼたりぼたりと地に落ちる。あっという間に、百とも二百ともとれる数の蛇がその場から消えた。
その様子に、これまで暴れ回っていた葵はぴたりと動きを止め、「ほぉう……」と唸った。声が、葵のようであって葵ではない。先の弓弦と同じ……腹の底に響き渡るような、ズシリと重い声だ。
「人間風情が、中々やるではないか」
「そりゃどうも。……惟幸やたかよし様から聞いていた通りだ。お前、葵じゃないな? 葵の中にいる、別の何かだ」
盛朝の言に、葵……いや、葵の中にいる何かは呵々と嗤った。仕草が、どう見ても十五、六歳の若者のそれではない。もっとずっと、大人びて落ち着いている。
「わかっているのなら、話は早い。……おっと」
道端の石でも避けるような気軽さで葵は右足を持ち上げ、そして勢い良く地面を踏んだ。胴を踏み潰された蛇が、痙攣し、絶命する。
「これで全部か。ご苦労さん」
隆善が、悠々と葵と盛朝の元へと歩いてくる。その様子に、葵はムッと顔をしかめた。
「何だ、お前は。何もせぬまま、偉そうに……」
言いかけて、葵はジッと隆善の顔を見た。そして、ふむ、と唸る。
「お前……あの時の若造か。……そうか、この武士(もののふ)に私の事を話したというのは、お前だな? ……あの時一緒にいた、もう一人の若造はどうした?」
「残念ながら、あいつは山に引き籠りっ放しで、出てきやしねぇ。……さて、昔話に花を咲かせてぇところだが……そろそろ限界じゃねぇのか?」
「何?」
隆善の言葉に怪訝な顔をし、直後、葵の膝はくずおれた。
「……っ!?」
「葵っ!」
「葵様!?」
突然倒れ込んだ葵の姿に、弓弦と紫苑が顔色を変えて駆け寄ってくる。蛇の死骸の山頂で、脂汗を流しながら葵は土を掴む。
「……何故だ。何故、急に……」
「単純に、疲労だろ。憑代(よりしろ)になるのに慣れてねぇ奴の身体で、いきなり暴れ過ぎなんだよ。俺や惟幸が葵を鍛えてなかったら、もっと早くに力尽きて、今頃葵は黄泉の国で伊弉冉尊(いざなみのみこと)に謁見中だ」
しゃがみ込んで上から説明する隆善に、葵は悔しそうに拳を握った。
「くっ……やはり、人間の身体では無理があったか……」
「どうだろうな。……まぁ、とにかく、今は休め。お前が休んでいる間に、こいつらには説明を済ませておくからよ」
そして隆善は、葵の額を右手の人差し指と中指でトン、と叩いた。その途端、全身から力が抜けたように葵はくたりとなってしまう。
「葵!」
「葵様!」
「安心しろ、眠っただけだ」
そう言うと、隆善は葵の上体を持ち上げ、顔を弓弦達に見せてやった。その顔はいつもの、まだどこかに幼さの残る葵の顔に戻っており、すーすーと寝息をたてている。そして、いつの間にか顔や手から鱗は消えていた。
「……おい、隆善」
虎目がジトリとした目で見詰め、隆善は煩そうに顔を顰めた。
「わかってる、わかってる。事の説明だろ? ……まぁ、こんな場所で話すのもアレだ。一旦邸に戻るぞ。話はそれからだ」
そう言うと、隆善は立ち上がり、邸の方角へと向かってスタスタと歩き出した。その後に、葵を背負った盛朝が続く。背負われた葵を気遣うように、盛朝の斜め後ろに弓弦が就いた。
「あ、待ってくださいよ、師匠! 盛朝おじさん、弓弦ちゃんも!」
慌てて紫苑が後を追い、盛朝の横に並んで歩き出す。その後姿を……いや、正確には盛朝に背負われた葵と、その斜め後を歩く弓弦の姿を眺めてから、虎目は地面へと視線を移した。
無数の蛇の死骸が散らばっている。見ただけでゾッとするその光景に、虎目は顔を顰めた。
「虎目? 何やってるの? 置いてっちゃうよ!」
遠くからかけられる紫苑の声に、虎目はハッとした。そして、蛇達の死骸に背を向けると、紫苑達の元へと駆けていく。
その時、死骸の山がごそりと動いた事に気付いた者は、誰一人としていなかった。