平安陰陽騒龍記
21
クセのある叫び声と共に、栗麿が凄まじい速度で向かってくるのが葵には見えた。その後には、ぞろぞろとした蛇の大群。どうやら、追われているようだ。
「あー……」
「にゃー……」
「……すっかり忘れておりました……」
紫苑、虎目、弓弦が頭に手を当てた。その間にも、栗麿は大量の蛇を引き連れてどんどんこちら側へと迫ってくる。
「……って言うか、あの馬鹿! 折角弓弦ちゃんと葵が、こっちの蛇を何とかしてくれたってのに……」
眉を吊り上げながら、紫苑が臨戦態勢に入る。虎目も、毛を逆立てた。そして弓弦は、もう一度井戸に手を潜らせようと、振り向いた。だが。
「……!」
いつの間にか井戸の縁に、一匹の蛇がとぐろを巻いている。しかも、蝮だ。咬まれればただでは済まぬとわかっている以上、迂闊には近付けない。
蛇の群れはどんどん近付いてくる。弓弦は、どう動くべきか決めかねている様子だ。
その困惑した気配を弱った獲物と認識したのか、井戸端の蝮がしゅるりと動いた。
「! 弓弦!」
葵が咄嗟に動き、弓弦と蝮の間に腕を割り込ませる。蝮が、葵の右腕に咬み付いた。
「葵っ!?」
「……っ!」
「葵様!」
青ざめて葵の腕を取ろうとする弓弦を、葵は左腕で制した。蝮はまだ葵に咬み付いているのだ。下手に手を出すと、弓弦が危ない。
「大、丈夫……」
「蝮に咬まれて大丈夫なわけがないでしょ! ……虎目、葵達の方へ行って。ここはボクが何とかするから!」
「……にゃ!」
短く返事をして、虎目が葵と弓弦の元へと駆け寄ってくる。蝮は葵に咬み付いたまま離れる様子が無く、葵は鱗の生えた顔をしかめている。
「どう、すれば……虎目様、このままでは、葵様が……。私は、どうすれば……」
「落ち着くにゃ! まずは、葵の未来を見る。にゃんとか、助かる未来に繋がる手段を見付けるにゃ!」
それだけ言うと、虎目は顔を険しくして葵の姿を見詰めた。
例えば、今のままでは駄目でも、何か処置をする事を考えれば、元気な葵が京を駆け回っている姿が見えるようになる可能性だってある。葵が助かる未来が、必ずある筈だ。
そう信じて、虎目は葵を見詰め続けた。やがて、険しく細められていた目が、次第に丸くなっていく。
「……どういう事にゃ、これは……」
虎目がその言葉を最後まで口にする事は無かった。
「あ、ぐ……うわぁぁぁぁっ!」
突如葵が雄叫びを上げ、左手で蝮の胴体を鷲掴みにした。そして、力任せに蝮を引っ張り、右腕から離そうとする。
蝮の胴体がブチブチと音を立てて千切れ、遅れて右腕に残っていた頭部がぼたりと落ちる。
「……どういう事にゃ……」
もう一度、虎目は呟いた。葵の突然の行動に、その呟きを聞いている者は誰一人としていない。それでも、彼は呟き続けた。
「何もしにゃくても、葵が助かる未来が見えた……。それに、あんにゃ……蛇を力任せに千切るにゃんて、葵らしくもにゃい行動……。まるで、何(にゃに)かに取り憑かれているようにゃ……」
虎目が呟いている間も、葵は叫び続けている。先ほど蛇達を鎮めたのとはまた違う、叫び声。先ほどのあれが稲妻ならば、今度のこれは荒れ狂う暴風のようだ。
葵は一しきり叫ぶと、辺りにいる蛇達をぎろりと睨み付けた。そして、まるで獲物を見付けた猫のように俊敏な動きで蛇達に踊りかかると、そのまま素手で蛇達を次々と掴み、引き千切っていく。暴れる蛇達に腕や顔を咬まれようが、お構いなしだ。
その目には、人間の情らしき物が消え去っている。かと言って、狂気が宿っているわけでもない。例えるなら、そう。縄張りを守る狼のような。
「何、これ……。葵、どうなっちゃったの!?」
「わからにゃいにゃ……。蝮の毒が頭に回ったというわけでもにゃいみたいだけどにゃ……」
為すすべ無く立ち尽くす紫苑と虎目。弓弦も、葵の行動を息を呑んで見詰めている。
「ふぉぉぉぉぉっ!?」
そして、いつもと調子が変わらぬ栗麿。ただし、葵が蛇の数を減らしたためか、よく見ると先ほどまでより若干余裕があるようにも見える。
「何でおじゃるか。何でおじゃるか、その見た目はっ!? 葵、イメチェンでおじゃるか? イメチェンでおじゃるな!?」
栗麿の相手をする事無く、葵は蛇を攻撃し続ける。しかし栗麿は挫けない。
「おおう! いつもだったら、何だかんだでトホホな顔をしつつも麿の話を聞く態度を取ってくれるというのに、何だか急に冷たくなったでおじゃるな! それが葵の新しいキャラでおじゃるか!? 麿は悪くないと思うでおじゃるよ! 闇に堕ちた孤高の戦士のようでカッコ良いでおじゃる! 寧ろ、トラブル巻き込まれ体質で苦笑しながら振り回されていた今までよりも良い……」
「うがぁぁぁっ!」
最後まで言わせまいとするかのように、葵が叫び、そして腕を振り回した。腕は栗麿の顎に当たり、栗麿は虎目達のところまで吹っ飛ばされる。
「ふぉぉぉうっ!?」
「あー……異常にゃ状態ににゃってても、やっぱりこの馬鹿の馬鹿発言は癇に障るんだにゃー……」
「馬鹿につける薬はございませんね……」
「……と言うか、この状況であんな発言ができるのも、ある意味凄いよね。……馬鹿だけど」
馬鹿馬鹿大合唱に、流石の栗麿もムッとしたらしい。唾を飛ばしながら、虎目達に詰め寄った。
「なっ……何でおじゃるか! 皆で馬鹿馬鹿言うなでおじゃる! ……と言うか、イメチェンでないなら、何なんでおじゃるか、あの葵の格好は!? 何をどうやったらあんな姿になるんでおじゃる!?」
「それを聞こうとしていたところで、おみゃーがあの蛇達を連れてきたんにゃ! ちょっとは空気を読め!」
「あんなのに追っ掛けられて、空気を読むもクソも無いでおじゃる! それぐらい察するでおじゃるよ、この化け猫!」
「化け猫言うにゃ、この馬鹿!」
「馬鹿って言うなで……」
「馬鹿な言い合いしてる場合じゃないでしょ!」
一人と一匹の罵り合いをいつもの調子で強制終了させ、紫苑は弓弦に視線を向けた。
「蛇が減るのは頼もしいけど、このままじゃ葵が壊れちゃいそうで心配だよ。弓弦ちゃん、何か……葵を元に戻す方法、知らない? さっきは弓弦ちゃんも、今の葵みたいになってたのに、今は元に戻ってる。……何か方法があるんだよね!?」
「ございます。ですが、あれは自力で行うもので……それ以外の方法では、葵様が力を消耗するのを待つ他は……」
現状、打つ手無し、であるようだ。紫苑は「マジ……?」と呟くと、困ったように辺りを見渡した。
「あー、もう! どうなってんの、これ!? 栗麿は馬鹿だし、蛇は出るし、葵はおかしくなっちゃうし! 誰かどうにかしてよ、これぇっ!」
「お手上げか? まぁ、お前らにゃあ、これはまだ荷が重かったかもしれねぇな」