平安陰陽騒龍記









12










「あ、弓弦ちゃん。大丈夫? 怖くなかった?」

紫苑の問い掛けに、弓弦は「大丈夫です」と答えて首を振った。紫苑の後では、未だに虎目と栗麿が低次元な罵詈雑言の応酬を続けている。紫苑が、いい加減うんざりだという顔をした。

「虎目、栗麿。いい加減にしなよ。弓弦ちゃんの前で、みっともないよ」

「にゃ……」

「む……?」

紫苑の叱責に虎目は苦虫を噛み潰したような顔をし、栗麿は珍しい物を見る目で弓弦を見詰めた。

「……?」

どこか居心地の悪そうな顔で、弓弦が一歩引き下がる。すると、間を埋めるように栗麿が一歩前に踏み出してきた。

「おぉ! これは、昨日の女童(めのわらわ)ではおじゃらぬか! ……いやぁ、昨日は麿の手違いで、迷惑をかけたでおじゃるなぁ。けど、わざとではないので、許して欲しいでおじゃるよ。……それにしても、いやはや……改めて見れば、目が覚めるような美少女でおじゃるなぁ!」

「……男って……」

呆れた顔で紫苑が溜息を吐くが、栗麿は気にしない。気にしないまま、弓弦に一歩、また一歩と近寄っていく。そして。

「この下郎!」

弓弦に引っ叩かれた。

「うぶほぅっ!?」

頬を叩かれた栗麿は宙を舞い、そのまま弧を描いてゆっくりと地へ堕ちていく。

「弓弦、大丈夫!?」

「何やったんにゃ、この馬鹿は!」

「……って言うか、弓弦ちゃん、力強っ!」

三者三様の言葉を口にしながら近寄る葵達に、弓弦はハッと我に返った。

「私、今……」

「……えーっと……あー、うん。……すごかった、よ?」

「うん……ボクも栗麿をあそこまで吹っ飛ばした事は無いや……」

「今のが、素かにゃ?」

葵達の苦笑気味な発言に、弓弦は顔を真っ赤に染めた。

「も、申し訳ございません。私としたことが、はしたない真似を……。そこの方が近付いてきたら、身体が勝手に……」

「……ま、気持ちはわからんでもにゃいけどにゃ」

ハッ! と鼻で笑う虎目に、よろけながらも立ち上がった栗麿が突っかかる。

「何が、気持ちはわからんでもない、でおじゃるか! 麿が一体、何をやったと言うのでおじゃるかーっ!」

「いや、弓弦ちゃんを危険な目に遭わせたんでしょ……」

呆れた様子の紫苑に、栗麿は鼻息を荒くした。

「麿が直接やったわけではないでおじゃるっ!」

「……えーっと……栗麿さ、この際、訊いても良い? 昨日、何が起こって、弓弦があの式神に攫われるような事になっちゃったのか……」

葵の問いに、栗麿はフム、と唸った。

「過去を語るのは、麿の趣味ではおじゃらぬが……このままでは麿の名誉が失墜しそうな雰囲気でおじゃるな」

「失墜もにゃにも、そんにゃ物は初めから存在しにゃいにゃ」

「うっさいでおじゃるよ、化け猫!」

虎目が反論する前に、栗麿はウォッホンと大きく咳払いをして話す姿勢を作り上げてしまった。この強引な姿勢は見習うべきかな、と稀に葵は思う。本当に、稀に。

「まずは、事の発端から話すでおじゃる。……実は、麿は近頃、恋をしてしまったんでおじゃって……」

「あぁ、それがさっきまであの黒いトカゲを忍び込ませていた邸の姫様ね」

「それでおみゃーが、姫の気を引くために式神を作り出して。式神に姫を襲わせて。姫のピンチがクライマックスににゃったところで颯爽と現れたおみゃーが見事に姫を救い出す……という実にくだらにゃい筋書きを今回も作って。挙句に作り出した式神が案の定おみゃーの言う事を聞かず、大暴走……までは昨日も聞いたにゃ。良いからとっとと核心を話すにゃ、この馬鹿!」

「紫苑は昨日、聞いておらぬでおじゃる! 話の腰を折るなでおじゃるよ、この化け猫!」

「だから! 化け猫と言うにゃと、何回言ったらわかるんにゃ! この馬鹿!」

「そっちこそ、麿を馬鹿と言うなでおじゃる! 何をどう言おうと、化け猫は化け猫でおじゃるよ、この化け猫!」

「何をどう言おうと、馬鹿は馬鹿にゃ! この馬鹿!」

「はいはい、そこまで! 虎目も栗麿も、一々こんな事やってたら、いつまで経っても話が進まないよ?」

「にゃ……」

「む……」

紫苑の介入に、虎目と栗麿は不満げに口を噤んだ。つい先ほど見たのと、ほぼ同じ構図であるような気もする。

虎目にとりあえずは最後まで話を聞くよう言い聞かせ、紫苑は栗麿に続きを話すよう促した。この時の事を、後に栗麿はこう語っている。

「いやはや、麿と化け猫のあの争いを止めただけではなく、麿の話を聞くように展開を進める事ができるとは……。紫苑も大人になったものでおじゃると、あの時は感心したものでおじゃるよ。苦労して指導してやった甲斐があったでおじゃる」

そしてその直後、「誰が誰を指導したって? いい加減な事を言わないでよ!」という怒声と共に、紫苑に蹴り飛ばされて地面に顔を埋める事になるのだが、それはまた、別の話。





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