平安陰陽騒龍記









13











昨日の、栗麿が葵達と出会うほんの少し前の事。

栗麿は、あの山中で式神を作り出そうとしていた。何故わざわざ山の中まで入って作ったのかと言えば、京の中で準備を行っているところを誰かに見付かってしまったら、襲われる姫を助ける栗麿……という展開が自作自演だとバレてしまうと考えたからだそうである。

「えーっと、まずは邸に派遣してある黒丸を呼び戻して、邸の中の様子を把握するでおじゃる。それができたら、これから生まれるこいつを派遣して、その後は……ぐふふ。……おっと、いけない。オン、ハラペコリン、ロン、ソワカ!」

色々な思考に気を取られつつ、真言になっているかどうかすら怪しい真言を唱えて、栗麿は式神を生み出した。

普通に考えたら、このような過程で生み出された式神がまともなわけはない。失敗して何も生まれないか、出オチにしかならないような弱々しい式神になってしまうか。どちらにしても、栗麿が思い描くような式神は生まれない。……はずだった。

真言もどきを唱えたその瞬間に、ドドン! という衝撃があった気がしたと、栗麿は言う。

「なっ……何でおじゃるか? 何でおじゃるか!?」

必要以上に慌てながら、栗麿は周囲を見回した。だが、特に何か変わった様子は無い。

「……何だ。気のせいでおじゃるか」

そこで気のせいで済ませてしまうのは、仮にも陰陽の術を使用する者として如何なものなのか。兎にも角にもホッとした栗麿は、作業に戻ろうと、媒介となる動物の毛を置いてあった場所を見た。

「ふぉぉぉぅっ!?」

素っ頓狂な声をあげてしまうのも、無理は無い。そこには、影のように黒く、獰猛な顔付きをした、狼のような姿の式神が生まれていた。ぐるるるる……と唸っていて、攻撃性も充分にありそうだし、目的にぴったりと合致した性格のようだ。

栗麿はかつて、ここまで目的に合った、ある意味まともな式神を生み出した事は無い。……と、隆善、紫苑、虎目は口を揃えて言っている。話を聞いただけの隆善と紫苑が断言しているところに、普段の栗麿の式神創造能力の程度が見えてしまっていると言えようか。

「おぉぉう……何でおじゃるか、このカッコ良い式神は……! ハッ! これはまさか、麿の心の闇の、具現化……! 恋しいお方を想うがあまりに、このような手段にまで手を伸ばしてしまった、救われぬ、麿の、心……!」

一応、式神を邸に忍び込ませたり、自作自演で相手を虜にしようとする方法が犯罪めいているという自覚はあったようである。この場にまだ虎目がいなかった事が、本当に悔やまれる。

さて、この式神である。黒い狼のような姿で、性格も攻撃的。そしてまぁ、何だかんだ言って、栗麿の生み出した式神である。いきなり歯を剥きだしたかと思うと、主であるはずの栗麿に、容赦無く襲い掛かって来た。

「ふぉぉぉっ!? 何でおじゃるか! 何故麿を襲うでおじゃるか!? 麿は、お前のダディでおじゃるよ! それに、麿は食べたところで脂身ばかりで美味しくないでおじゃるー!」

騒がしい悲鳴をあげながら、栗麿は逃げる。とにかく逃げる。わき目もふらずに逃げる。体型の割には、案外速い。

走りに走りに走りに走り、結構な距離を走ったところで、栗麿は何かに躓いた。

「痛たたた……何でおじゃるか……?」

思い切り地面に打ち付けた鼻を押さえながら、少しだけ後方を見る。するとそこには、鮮やかな青の袿をまとった少女が横たわっている。外傷は無い。栗麿に躓かれたせいか少しだけ痛そうに顔を歪めてはいたが、それもまたすぐに緩み、健やかな寝息を立て始める。どうやら、眠っているだけのようだ。だが、眠っているだけと言うには、あまりにもこの場は不自然過ぎる。

「ちょっ……そこの女童! 何でこんなところで寝てるでおじゃる!? ……と言うか、何でこんなところに女童が一人でいるんでおじゃるか!?」

少し混乱しながらも、眠っている少女を抱き起こす。見れば、中々の美少女だ。栗麿は思わず、ごくり、と唾を呑む。

そして、この場から逃がすためか、それとも他に目的があってか。少女の背と膝を掬い、抱え上げた。虎目に未来の言葉で言わせるなら、お姫様だっこ、という奴である。

「ん……」

抱き上げられた震動で、少女が目を覚ました。

「おぉ、目が覚めたでおじゃるか。麿は……」

当人の中では最もカッコ良い声で問いかけ、当人の中では最もさわやかで好感を持てる笑顔を見せたつもりだった。あくまで、当人は。

その笑顔を見た瞬間、少女の顔が凍りつき、少し遅れて引き攣った。「ひっ……」という引き攣った声も漏れ出る。

そして、あわや少女が悲鳴をあげるかと思われたその瞬間、栗麿の下半身を強烈な衝撃が襲った。すっかり忘れ去られていたあの式神が追い付き、体当たりを喰らわせたのだ。

「ふぐぉぅっ!?」

あまりの衝撃に、栗麿はうっかり、抱き上げていた少女を宙に放り投げてしまった。少女はゆっくりと落下し、あろう事か式神の背の上に落ちてしまう。しかも、落ち方が悪かったのか気を失ってしまったらしい。どこかを強く打ちつけたのか、ぴくりとも動かない。

「はわ……はあわわわわわわ……」

痛みを堪え、よろけながらも栗麿は立ち上がる。式神が、少女を背負ったまま栗麿の方を見た。ぐるるるる……と喉を鳴らしている。

「ふぉぉぉぉぉぉっ!!」

再び悲鳴をあげ、栗麿は一目散に逃げ出した。式神の背に落ちてしまった少女の事など、既に忘却の彼方だ。

逃げに逃げに逃げに逃げ、走りに走りに走りに走った。

「ふぉぉぉぉぉっ!!」

またも叫ぶ。前方に茂みがあっても、気にする暇も無い。真っ直ぐ、突っ込んだ。

「いっ!?」

そして、短く誰かの声が聞こえたかと思った時、栗麿は茂みを突き抜けていた。茂みの前には人間と思わしき影と、それより二回りは小さな影が見えたが、そのどちらもが突っ込む栗麿をひらりと軽やかに交わした。視界の片隅に、赤い手巾が見えた気がする。

栗麿は勢い余って、更に前方にあった木に激突した。そして、ずるずるとその場に倒れ込む。

「なっ……何だよ、今の……」

「……あー……嫌にゃ予感はこれだったか……」

背後から、何やら覚えのある声が聞こえてくる。声の主は、栗麿が起き上がらないうちから、更に言った。

「……あ。ひょっとして……天津、栗麿……?」

その声に、栗麿はむくりと起き上がった。さっきから何度も打ち付けているが、幸い、鼻血は出ていない。そして、振り向いて声の主の顔を確認する。想像した通りの人物達が、そこにはいた。

「……おぉ。瓢谷のところの葵に、化け猫ではおじゃらぬか。奇遇でおじゃるなぁ。まさか、こんなところで出会うとは……」





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