夢と魔法と現実と













「確かに俺的には人助けになって、就活のヒントも得られるかもしれなくて、ついでに場馴れするチャンスにもなるかもしれなくて一石三鳥だけどさ……頼むから、二度と人様の社員バッジを盗むなんて真似はしてくれるなよ? 良心の呵責で心臓が潰れそうじゃねぇか」

天成堂出版のビルを目前に、亮介はトイフェルに向かって苦情を言った。言われたトイフェルはと言えば、耳の後を後足で掻いていて聞いているのかはかなり怪しい。

そんなトイフェルに溜息をつき、亮介はビルの中へと足を踏み入れた。指紋一つ無いガラス製の自動ドアが開き、落ち着いた印象を受けるエントランスホールが姿を現す。

就活セミナーやゼミの先輩から聞いた話を思い出しながら、自分はどういう行動をするべきかと亮介は考えた。考えながら、とりあえず学生証と先ほど宇津木から手渡された名刺を財布から取り出す。

そして受付へ向かうと、先程から迷子を見る目でこちらを凝視していた受付嬢に声をかける。

「中城大学社会学部三年の土宮亮介です。就職活動のOB訪問で、その……営業部の宇津木先輩を……」

「社員バッジを盗んだら良心の呵責で心臓が潰れそうになるのに、嘘をつくのは平気なんだね」

余計な茶々を入れるトイフェルを、亮介は受付嬢が内線電話の為に視線を外した瞬間はたき落とした。

どうやら、宇津木との話が済んだようだ。受付嬢が顔をこちらに戻した。恐らく電話の向こうで「え? OB訪問? 何ですか、それ。そんな予定無いですよ?」といった感じの会話でも繰り広げられたのだろう。疑惑の視線を投げかけてくる。

「宇津木はすぐにこちらへ来るそうです。少々お待ち下さい」

それでも、来てはくれるらしい。亮介がホッとしたところで、近くのエレベーターがチン、という音を発した。扉が開き、宇津木が慌てて受付へと走ってくる。

「……あれ? 君はさっきの……」

首を傾げながらも、宇津木は視線と手で近くの応接スペースへと亮介を伴った。そこで、亮介はまず頭を下げる。

「あの……嘘をついてまで呼び出して、済みませんでした」

すると、宇津木は苦笑しながらもどことなくホッとした顔で椅子に腰かけた。

「良いよ。丁度部長に怒られて、一時でも良いから逃げ出したかったんだ。まぁ、どうせ後から改めて怒られるんだけど……とりあえず、助かったよ。それで……僕に何の用? ……あ! まさか……さっきぶつかった事でやっぱり何か問題があった!?」

本気で心配そうな顔をする宇津木に、亮介はブンブンと両手を振った。

「ちっ……違います! あの、これを落としていかれたみたいなので、渡さなきゃと思って……」

そう言って、亮介は社員バッジを宇津木に差し出した。宇津木はそれを受け取ってマジマジと見た後、慌てて自らの胸部や胸ポケットの内を確認し始める。そして、亮介の持参したバッジがどうやら本当に自分の物であるらしいと確認すると、情けなさそうな顔をして頭を下げた。

「確かに、僕のみたいだ。……ありがとう。無くした事に気付かないままでいたら、また部長に怒られるところだったよ……」

言いながらバッジを胸につけ直す顔は、泣きそうだ。何となく、声をかけ辛い。そんな亮介の表情に気付いたのか、宇津木は恐らく無理矢理笑顔を作ると、亮介に問うた。

「ところで、用事ってこれだけ? これを届けるためだけにわざわざ電車に乗ってまで来てくれたの? それに、落し物なら別に嘘をついてまで呼び出さなくても、さっきの名刺と一緒に受付に渡してくれれば……」

「あ、その……俺、宇津木さんにちょっと訊きたい事があって……」

「訊きたい事?」

首を傾げる宇津木に、亮介はしどろもどろになりながらも言った。

「その、俺……見ての通り学生で、もうすぐ本格的な就活で……。それで、誰か社会人から就活とか社会の事とか訊いてみたいなって思ってたんですけど、俺にはまだそんな知り合いはいませんし……」

「ははあ。それで、名刺を貰った事で「社会人に直接話を聴くチャンス」だと思ったわけだ」

「はい。その……済みません」

頭を下げる亮介に、宇津木は「良いよ良いよ」と片手をヒラヒラ振りながら言った。

「さっきも言ったけど、ちょっと部署から逃げ出したかったし。それに、バッジを届けてくれたお礼もしないとね」

宇津木の何気無い言葉で、またもや良心の呵責が心臓を圧迫してくる。寧ろ、亮介が今この場から逃げ出したい心持だ。そんな気持ちを知るわけも無く、宇津木はビルの外を指差した。

「ここで長話っていうのも何だし、外の喫茶店にでも行こうか。コーヒーぐらいは奢るよ。……あ、コーヒーは飲める?」

「あ、はい」

亮介が返事をすると、宇津木は「じゃあ行こうか」と言いながら立ち上がった。それに追随する形で亮介は慌てて立ち上がり、ビルの外へと向かう。出掛けに受付嬢に頭を下げると、彼女は笑顔で会釈をしてくれた。学生相手でもニコニコして、その笑顔を一日中保つのが仕事なのだとしたら、大変なのだろうな。ぼんやりとそんな事を考えながら、亮介は宇津木の後を追った。




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