精霊水晶
―六―
「ここじゃ。おぬしには見えぬじゃろうが、ここが妖界と人界の狭間でな。ここをまっすぐ歩いてゆけば、一刻ほどで人界に着く。人界に戻れれば、あとの道はわかるな?」
田んぼの横にさり気無く開いている人一人がやっと通れそうな穴の前で華欠左衛門に言われ、幸多はこくりと頷いた。その幸多に、華欠左衛門は非常に申し訳無さそうに言葉を付け足す。
「本当にすまぬな。このような事に巻き込んでしまったのは、それがしの手落ちじゃ。玉梓に正気を疑われたりおぬしに怨まれたりしても、致し方ないやも知れぬ」
「俺っ! 怨んでなんかないよ!? ここに来る事を決めたのは、確かに玉梓の言う通り、俺なんだし……」
「……すまぬ」
幸多が慌てて華欠左衛門の言葉を否定すると、華欠左衛門は呟くように謝罪した。そして、幸多に背を向ける。
「……ご母堂が心配しておる。早く帰れ、幸多。あとの事はそれがし達で何とかしようぞ」
何となく帰り辛い雰囲気の中、幸多は華欠左衛門の背中に問いかけた。
「もし……もしだよ? もし、華欠左衛門たちが負けて……八岐大蛇が精霊水晶を手に入れたら……どうなるの?」
「…………」
幸多の問い掛けに、華欠左衛門はしばし黙り込んだ。そして、重苦しく、そして苦々しげに呟いた。
「……精霊水晶を取り込めば、奴は再び人界にも行けるようになるであろう。そうなれば……妖界はもちろん、人界も……そこに生きる全ての者が滅ぼされるのであろうな……」
言うや否や、華欠左衛門はバッ! と翼を広げると、上空に舞い上がった。暗い空から、彼は叫ぶ。
「達者でな、幸多! 水晶運搬を手伝ってくれた事、感謝いたすぞ!!」
そのまま、彼は先ほどの林へと飛び去っていった。きっとこの後、玉梓や玉藻、唾嫌と合流して、八岐大蛇の元へと行くのだろう。精霊王を復活させる為、勝ち目の無い戦いをしに……。
幸多は、ぶんぶんと首を横に振った。
もう、これ以上は自分に関わりの無い事だ。華欠左衛門の言った通り、早く帰ろう。じゃないと、お母さんに怒られる!
そう、心の中で呟いて、幸多は穴に足を伸ばしかけた。この穴の中をずっと歩いていけば、家に帰ることができる。華欠左衛門が一緒じゃないから往きよりも時間がかかりそうではあるけれど、それでもあんな化け物との戦いに巻き込まれるよりはマシだ。そんな事になったら、まず間違いなく死んでしまう。
「…………」
ぴたりと、幸多の足が止まった。何故だろう。先ほどの玉梓の冷たい目が頭から離れない。玉藻や唾嫌の、懸命に手を振る姿が忘れられない。華欠左衛門の苦々しげな顔が目に焼きついている。
何より、このままでは彼らは死ぬだろうという考えが、胸の辺りをぐるぐると回っているような気がして仕方が無い。
「俺、このまま帰っても良いのかな……?」
ふっと後を振り返りながら、幸多は呟いた。
返ってきたのは、さわさわという風の音だけだった。