贄ノ学ビ舎













29















白羽によって電源を切られてしまったのだろうか? ほとんどの照明が点いておらず、廊下が薄暗い。暗い中を奉理は、懸命に走る。走りながら、懸命に考える。

「俺はこれから……どうすれば良い!?」

校舎から飛び出して逃げる事はできない。出ればすぐに教師達に見付かるだろうし、見付からずとも、学園の敷地から出るのは相当困難だ。出れたとしても、鎮開学園の制服を着ている人間が敷地外を歩いていれば、即座に脱走者だとバレて通報されてしまう。

かと言って、白羽に発見されてしまった以上、校舎内に留まっていれば捕まるのは時間の問題だ。

白羽は、この場所の事を知っているのは奉理と知襲、白羽の三人だけだと言った。なら、このまま校舎内のどこかに隠れて……白羽が隙を見せたところで襲い掛かり、動きを封じるか?

……それも駄目だ。理事長が行方不明にでもなれば、それこそ教師達が山狩りのような事でもして捜索をするだろう。そうなれば、この地下校舎の存在はきっと、明るみに出る事になる。

考えても考えても、埒が明かない。埒が明かないから、考える事を止める事ができない。奉理は、考える事に集中力を注いだ。だからこそ、周囲への注意が散漫になった。

気付いた時には、もう遅かった。土間の付近で、足が、何かに引っ掛かる。次いで、バチンという音がして。それとほぼ同時に、奉理の足を衝撃と激痛が襲った。

「うあっ……!」

痛みにのた打ち回りながら、何とか首を巡らせ、足に目を遣る。薄暗いが、大体の物は判別がつく程度に見える。そして、奉理は信じ難い物を目にした。

足に、鋼鉄の罠が噛みついている。野山に仕掛ける、獣用の罠。確か、トラバサミという奴だ。物によっては、誤って踏んでしまった人間の足の骨を粉砕するほどの威力を持っているというシロモノだ。

「そんな物が、何で……」

「仕掛けておいたから、に決まっているじゃないですか。君が逃げ出した時のためにね……」

コツ、コツ、という硬い音と共に、廊下の向こうから白羽が歩いてくる。技術室かどこかから持ってきたのだろうか、万力を手にしているのが見えた。

白羽は奉理に近寄ると、万力でトラバサミの歯をこじ開けた。解放された足から血が流れるが、幸い、骨が砕けてはいないようだ。

「骨の心配は要りませんよ。これは、人間用に威力を弱めた物ですから」

言いながら、白羽はポケットから白く大きなハンカチーフを取り出し、奉理の足に縛り付ける。白い生地が、あっという間に赤く染まった。

止血を施されている間に視線を巡らせれば、似たようなトラバサミがあちらこちらに転がっている。

理科室へ来る前に、これを仕掛けておいたのか。地上へ出るにしろ、校舎内に留まるにしろ。奉理が一度はこの土間へ近付くと踏んで。

「平均よりも元気とは言え、私はこの通りの老人です。地上までは、自分で歩いて頂かなくてはいけませんよ」

その顔は、優しく微笑んでいる。だが、目は少しも笑っていない。奉理は、全身が寒くなるのを感じた。これは、血が抜けたからだけではない。

止血作業を終えると、白羽は立ち上がり、奉理に手を差し伸べてきた。この手を取り、立ち上がり、そして白羽と共に学園へ戻れ、という事だ。生贄として、命を落とすために。

「……何で……」

立ち上がろうとしないまま、奉理はぽつりと呟いた。白羽が、眉をひそめる。

「何で、こんな事……するんですか? どうして……」

「どうして? ……どうしてだと、思いますか?」

質問に質問を返され、奉理は押し黙った。わかるわけがない。地下校舎の存在を知った者を生贄に選んで命を奪い、捕えるためならば残酷な罠を仕掛ける事も厭わない。そんな事をする理由が、十五年間、平和に平凡に生きてきた奉理に、わかるわけがない。

「……私はね、三十年前まで……私立の女子中学校を経営していました」

この足では、多少無駄話をしたところで逃げられないと踏んだのか。落ち着いた声音で、白羽は言った。

清廉花女子中等学校。小野寺のメモ帳に書かれていた単語が、奉理の頭に脳裏に蘇る。奉理の顔を、白羽はじっと見詰めた。

「その様子ですと……柳沼くんは、既に知っているようですね。そう……清廉花女子中等学校。私が経営していた学校。……この地下校舎の、本来の名前です」

そう言って、白羽はぐるりと、校舎内を見渡す。その表情は、どこか懐かしそうで、懐かしむようで。

「清廉花女子中等学校では、特にマナーや礼儀作法の実践を厳しく指導していました。これは、私の信念に基づきます」










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