贄ノ学ビ舎
28
「……っ!」
ぞくり、ぞくりと。今までに味わった中でも、一番の悪寒が。奉理の背を一瞬で駆け抜けた。
殺される。
元々生贄として死ぬ予定であるというのに、この時ほどそれを強く実感した事は無い。そして、それと同時に奉理は、自分が生贄に選ばれた理由を悟った。
静海の生贄の儀で予定外の事をしたからではないし、ましてや、介添人を務めたからという理由では無い。勿論、小野寺や静海に頼んで調べ物をしてもらったからでもない。
あの毒薬を使った事がバレたので目を付けられた、という答は、半ば正解で半ばハズレだ。正確には、あの毒薬が保管されている筈の場所を知っているとバレたので、生贄に選ばれた。
今までの流れから察するに、あの毒薬を作り出したのは堂上明瑠だ。彼女は、何故あれほど効力のある毒薬を準備室に隠し、発表しなかったのか。あれを量産できるようになれば、多くの人が生贄にされずに済むかもしれないというのに。
発表しなかったのではない。発表できなかったのだ。だから、隠した。隠し通して、卒業して。学園外部の人間とコンタクトを取れるようになった時、あの場所から取り出して発表するつもりだった。
だが、卒業を迎える前に、彼女はこの地下校舎を知っている事を悟られ、ひょっとしたらあの毒薬を作り出した事もバレた。だから彼女は、生贄に選ばれた。この地下校舎の存在と、毒薬の存在を隠し通すために。生贄という名目で、殺された。
そして今、同じ理由で、奉理は殺されようとしている。奉理が死ねば、地下校舎と毒薬の存在を知っている人間は、再び白羽と知襲の二人だけになる。
だから、殺される。
ジリ……と、身構えたまま。いつでも走り出せるよう、身を低くする。白羽が、ため息を吐いた。
「往生際が悪いですねぇ……。堂上さんも、お友達の竜姫さんも。生贄に選ばれたと知った時は、もっと潔かったですよ」
「……知襲も?」
白羽の表情を探りながら、奉理は知襲の名を……小野寺のメモ帳に書かれていた、白羽の娘の名を口にした。白羽は一瞬、顔を顰める。
「柳沼くん!」
一瞬の変化を隙と捉えたのか、知襲が大きな声で奉理を呼んだ。ハッとした二人は思わず知襲に目を向け、その間に知襲は、二人の間に体を滑り込ませる。
「……知襲。私と柳沼くんは今、話をしているんですよ。どきなさい」
知襲はふるふると首を横に振った。
「……嫌です。どいたらきっと、お父さんは柳沼くんに酷い事を言いますから。酷い事を言った後に、優しい言葉をかけて。それで、柳沼くんを説得して、学園に戻らせるつもりなんでしょう? 柳沼くんを、生贄にするために。私や、明瑠さんにしたみたいに……」
知襲は、振り向いた。その顔は、どこか凛々しい。
「柳沼くん、逃げてください! 早く!」
その言葉に弾かれるようにして、奉理は駆け出した。白羽のいない、理科室後方の扉から廊下へと飛び出す。そのまま強く床を蹴り、元来た道を全速力で駆け抜ける。
「! 待ちなさい!」
目の前を突っ切られた白羽が、急いで後を追おうとする。すると、知襲がするりと回り込み、通せん坊をして邪魔をする。
「お父さん、柳沼くんを見逃してください。じゃないと……アダムを呼びますよ」
知襲の脅し文句に、白羽は一瞬怯んだ。しかし、すぐにフッと不敵に笑うと、迷わず前へ進もうとする。
「お父さん!」
非難めいた知襲の声に、白羽は首を振った。
「アダムを呼べば、確かに私を止められます。しかし、知襲。それならば、何故すぐに呼ばなかったのですか? 私が来てすぐに呼べば、柳沼くんに要らぬ恐怖心を与えずに済んだでしょうに」
「……それは……」
言い淀んだ知襲に、白羽は勝ち誇ったように言う。
「柳沼くんに、アダムを見られたくないのでしょう? 柳沼くんは、強くない。至って普通の人間です。アレを見れば、彼はきっと、恐怖で心に更なる傷を負う事となります。そして、アレを知襲が呼んだとわかれば、彼は知襲にも恐怖を抱く事になる。……それが怖いのでしょう?」
「……」
知襲は、言葉を発する事ができずにいる。白羽は、深くため息をついた。
「今は呼べないとわかっている以上、その言葉は脅しにはなりませんよ。時間の無駄です」
そう言って、白羽はスタスタと、理科室の廊下へと出て行ってしまう。奉理の逃げて行った方角へと足を向けると、特に急ぐ様子も無く、しっかりとした足取りで歩いて行った。
あとに一人残された知襲は、がくりとその場にくずおれた。両手で顔を覆い、弱々しい声ですすり泣く。
「私……私は、どうしたら良いんでしょう……。明瑠さん……」
その声に、答える者などいないかのように思われたが。
「グゥオォォオォォォオオォォ……」
上の階……体育館から、唸り声が聞こえてきた。