贄ノ学ビ舎
20
風邪をひいて三日ほど学校を休んだ後の緊張感に似ている。……と、扉の前で奉理は思う。
扉を開けたら、クラスメイト達が一斉に振り向いて。何人かが近寄ってきて、取り囲まれて。「もう良いのか」「心配したんだぞ」などと口々に声をかけてくる。
実際にはそんな事にはならないと、今までの経験からわかりきっている筈なのに、それでも何故かそんな場面を想像し、緊張してしまう。
「柳沼、何止まってるのよ? 早く入りなさいって」
後から静海がせっついてくる。あの日、奉理にしがみ付いて泣いていたのは別人だったのではないか……と思えるほどにあっさりとしている。そう思うと同時に、抱きつかれた時の様子を思い出し。奉理は顔を紅潮させた。
「ちょっと……顔真っ赤よ? 熱でもあるんじゃないの?」
奉理の顔が赤い事にすぐさま気付き、静海は少しだけ心配そうな顔をした。そして、手を奉理の額に当てて熱を計ろうとする。
「だっ……だだだ、大丈夫! 体調が悪いとか、そんなんじゃないから!」
慌てて静海から体を離す奉理に、静海は不可解そうな顔をした。
「そう? なら、良いけど……。無理しないで、辛かったらすぐに保健室に行くのよ。良い?」
そう言いながら、静海は奉理の代わりに扉に手をかけ、あっさりと開け放った。今のやり取りの声がある程度聞こえていたのだろう。クラスメイト達は、既にこちらに視線を寄せていた。
クラス中の視線が自分に集まる事なんて無いと思っていたのに、集まっている。その事に奉理は驚いた。まぁ、確かに風邪で三日休んだのと、生贄や介添人という立場で死地に赴いた人間が、あろう事か化け物を倒して生還した……という物では、状況が違い過ぎる。流石に注目もするか、と一人納得した。
……が、流石に大人しくて引っ込み思案な性格の生徒が多い鎮開学園だ。まだ朝のホームルームが始まる前だと言うのに、自ら席を立ち、奉理達の元へとやって来る者は無い。……ただ一人を除いては。
「『静海、柳沼! 生還おめでとー! 大丈夫だったか? 変な事されたり、酷い怪我したりしてねぇか!?』」
「小野寺……何か、棒読みじゃない?」
あの、数少ない入学時から明るく振舞っていたクラスメイト、小野寺活輝だ。口調は奉理も静海も呆れかえるほどの棒読みだが、顔には自然な笑みが浮かんでいる。
「いや、修羅場から戻ってきて、三週間ぶりにクラスメイトと会うわけだしさ。こういう出迎えの言葉が欲しいんじゃねぇかと思って」
「あんた……相変わらずね」
呆れた声で言う静海だが、顔はどこかホッとしている。奉理もだ。あんな事があったのに、前と変わらない小野寺の接し方に、心底安心した。
「そりゃ、三週間しか経ってねぇし。俺らは特に何かが変わるような事も無かったしな。……って言うか、それは俺らの台詞だろ? あんな目に遭ったのに、静海も相変わらずだしよ」
「……まぁ、ね」
苦笑し、静海はチラと奉理に視線を投げた。あの時、奉理に抱きつき泣いた事は墓場まで持って行け、と視線が語っている。奉理は、背筋に悪寒を覚え、慌てて頷いた。
その様子を眺めていた小野寺は「ふぅん」と呟くと、ニヤニヤしながら奉理の肩に腕を回した。
「静海と違って、お前はどこか逞しくなったなぁ、柳沼?」
「えっ……そ、そう、かな……?」
「そうそう。三週間前は、どうしようどうしよう、何とかしたいけど俺にはなんにもできないし……って感じで弱々しそうだったのが。今は、何つーか……後悔が無いように生きてやる! って感じの顔してるぜ? 何か心境の変化とか、あったのか? なぁ?」
うりうりと軽く頬を小突いてくる小野寺に、奉理はどう返答しようかと頭を悩ませる。じゃれ合う二人の様子に、またも静海が呆れた様子を見せた。
「弱々しいとか、柳沼も小野寺には言われたくないわよね。小野寺は、介添人に立候補もしなかったんだし」
「そりゃ、静海には悪ぃけど、普通はしねぇだろ」
困ったように頭を掻きながら、小野寺は奉理から体を離した。
「お前や柳沼もそうだったろうけどさ、誰だって死ぬのは怖いしよ。それに……俺は最初っから、生き残るためにはどうすれば良いか、って喋ってただろ? そんな奴が、クラスメイト助けるために自ら危地に飛び込むなんて、誰も期待なんかしてねぇだろ?」
「まぁ、ねぇ……」
渋々ながらも頷く静海に、小野寺は「だろ? だろ!?」と同意を求めた。そして、再び視線を奉理へと遣る。
「……って言うかさ、柳沼。そもそもの話、お前、よく介添人に立候補する気になったよな」
「え?」
きょとんとする奉理に、小野寺は「だってそうだろ」と言う。
「介添人になった奴は、高確率でその後生贄に選ばれる、って俺、説明したよな? 説明しなくても、何となくそうなるだろうって、みんなが理解してた。お前だって、最初は介添人に立候補する素振りなんか欠片も見せなかったじゃねぇか。それが、自ら名乗り出たって聞いて……クラス全員、授業がお喋りで成り立たなくなるくらい驚いたんだぞ?」
真面目な生徒が集められたこの鎮開学園で、お喋りが原因で授業が成り立たなくなるなど、よっぽどの事だ。
自分の行動がそんな事態を引き起こしたという事に目を丸くする奉理に、小野寺は苦笑した。
「……まぁ、そういうわけだからさ」
チャイムが鳴り、それを潮時と見たのか、小野寺は席に戻るべく踵を返す。
「昼飯の時にでも、色々と詳しい話を聞かせてくれよ。お前が介添人に立候補するまでの間に、何があったのか、とか。儀式の時に、一体何が起こったのか、とかをさ」
「う、うん。話せる事なら……」
「そうこなくっちゃ!」
満足そうに頷きながら、小野寺は席に着く。その後、授業が始まってから、メモが回ってきた。
「話してくれる礼に、今日は昼飯買いに行ってやる。購買部のパン、何が好みだ?」
そのあまりにも生贄の儀とはかけ離れた平和さに、奉理はくすりと笑った。仮初ではあるが、平和な日常。そんな時間が戻ってきたのだな、と実感しながら、奉理はメモの裏面に「三色パンとカツサンド。三色パンの中身は何でも良いよ」と書き込み、小野寺の席へと回し戻した。