僕と私の魔王生活





14





 瓦礫の中で、メトゥスは荒い息を吐いた。

 勇者達の一斉攻撃は、結界魔法を使い何とか全て防いだ。これだけは昔から得意だったんだ……と思うと、魔王として情けない気持ちになるので、頑張って考えないようにする。

 結界のお陰で体は無傷だが、かなり強固な結界を使用したために力の消耗が激しい。本来なら

「お前達の力はこの程度か? 私に傷一つ付けられぬとは」

 とでも言って勇者達を威圧するべきなのだろうが、そんな事を言えるような余裕は一切無い。

 ただ、流石に傷一つ付けられなかった事で勇者達は警戒したらしい。メトゥスから距離を取り、出方を窺っている。どうせなら、このまま帰ってくれないだろうか。

 望み薄な事を考えながらも、再び剣を構える。勇者側も方針が決まったのか、じりじりと動き始めた。

 魔法使い達が詠唱を始める。先程と違う言葉で、唱えるのに時間がかかっている。どうやら、更に強い魔法を使うつもりらしい。

 勇者と魔法剣士は動かない。恐らく、魔法使いの魔法がメトゥスを攻撃すると同時に床を蹴り、魔法を防いだばかりで隙だらけのところを攻撃するつもりだろう。他に、魔法があまりに強力なので、近寄ると危険であるという可能性も考えられる。

 ならば、立ち位置を変える他あるまい。魔法からの照準をずらすためにも魔法の威力を殺すためにも、走り回った方が良い。

 走れば、狙いが定まり難くなる。勇者や魔法剣士の近くにいれば、魔法使いは魔法の威力を弱めざるを得ないだろう。

 その判断から、メトゥスは勇者に向かって走ろうとする。だが、その瞬間。

 何本もの矢が、メトゥスの体を貫いた。

「……っ!」

 全て急所は外れたものの、体中に激痛が走る。足も貫かれ、走る事はおろか、いつも通り歩く事すら覚束ない。

 痛みに喘ぎながら首を巡らせれば、弓使いが弓に新たな矢を番えているところだった。近接戦闘を行う二人と、威力が大きい魔法を放つ魔法使いにばかり注意していた。弓使いへの警戒を疎かにしていた事に、今更気付かされる。

 しまったと思った瞬間に、更に一本の矢が飛来し、右肩を貫く。利き腕側の肩を射られ、メトゥスは思わず剣を取り落とした。

 今が好機と言わんばかりに、魔法使い達が詠唱を完成させる。太陽を髣髴とさせる光の塊が、頭上に現れた。

 あぁ、これは助からないな、と、瞬時に思った。同時に、これで終われる、という安心感が襲ってくる。

 もう、魔王として向いていない人間界への侵攻を考えなくても良い。

 もう、戦う準備や訓練をしなくても良い。

 もう、最弱の魔王としてからかわれなくても良い。

 そう考えると、酷く安心してしまって。全身の痛みなど、どこかへ行ってしまった。ただ、心地良い眠気だけが己の中に満ちていく。すぅっと、瞼が下りていった。

 だが、光の魔法がメトゥスを飲み込もうとした、その瞬間。

 二種類の衝撃が、彼を襲った。

 最初は、頭に小さな衝撃。思わずよろめいたところで、胴体に大きな衝撃があった。それで体が吹っ飛んだかと思いきや、大きな衝撃波が襲ってくる。

 大きな衝撃波により、彼の体は更に吹っ飛ぶ。そして最後は、床に叩きつけられた。

 強かに打った痛みと、謎の重みがのしかかってきた事で、メトゥスは呻いた。その呻きに、喝を入れる声が聞こえる。

「いつまで呻いてんだ、馬鹿! 早く起きろ!」

 クロの声だ。

 そう気付いた彼は、のろのろと目を開ける。何度も攻撃を喰らった中、クロの元気そうな声が聞こえる事が、ただただ、嬉しい。

 だが、目を開けた瞬間、彼はぎょっと目を見開いた。

 彼の上に、優音が覆いかぶさっている。先程から感じていた重みの正体は、彼女か。

「……ユー、ネ……?」

 呟く彼の声に、優音は薄らと目を開ける。生きている。だが、呼吸がか細く、大きなダメージを負っている事は明らかだ。

「ユーネ! ……え、なんで……どういう事ですか、クロ!」

 問う声にクロはクワァ……と言い淀むような鳴き声を発した。

「どうしたわけかな……お嬢が、様子を見に来ちまったんだよ。それで、せめて立ち位置を変えさせねぇとやべぇって……」

 クロ自身は、戦いの中で場所を移動していた。扉の近くにいたのだ。だから、優音が入ってきた時にすぐにわかった。……が、奥の間へ来た事を嗜める間も無く、メトゥスへの体当たりを指示されたのだと言う。

 先程頭に感じた衝撃はクロで、その後胴体に来た衝撃は優音の体当たりだったのか、と納得する。身を挺して、メトゥスを攻撃から逃がしてくれたのだ。

「……なんで……なんでそんな無茶をするんですか! 僕は魔族で、魔王です。傷を負っているとはいえ、それでもあなたよりずっと頑丈で、傷の治りも早いんですよ! なんでそんな僕を庇って、あなたがこんな大怪我をしているんですか!」

 そう……優音は、いくつもの大きな傷を負っていた。メトゥスに体当たりを喰らわせて魔法の照準からずれた場所に移動させたは良いものの、自身が喰らってしまったのだろう。背は服が破れて剥き出しになり、大きな火傷を負っている。切り傷も無数にあり、あちらこちらで血が滲んでいる。

 メトゥスは、痛みを堪えて起き上がった。覆いかぶさっていた優音の体が、力無く転がり落ちるところを、左腕で抱き上げる。

 魔法攻撃によって発生した土煙が、晴れてきた。敵も味方も、全ての姿を覆い隠していた煙が引いていく。

 それとほぼ同時に、勇者達の声が聞こえてきた。

「いたぞ、魔王だ!」

「ちょっと、人数が増えてるわよ。何あれ……人間……?」

「マジかよ、なんで人間がここにいるんだ?」

「傷だらけよ……酷い! あんなになるまで痛めつけるなんて!」

「魔王がやったのか? 何の抵抗もできない女性を?」

「何て奴だ……許せない!」

 その声を聞いた瞬間、メトゥスの中で何かが、プツリと音を立てて切れた。

 彼女に傷を負わせたのは、彼らの魔法だ。

 何の抵抗もできない? 彼女はたしかに抵抗しなかったが、する気が無かっただけだ。本来の彼女は、魔王である己を振り回せるほどの何かを持っている。勝手に、彼女を無力で哀れな犠牲者にしないで欲しい。

 痛めつけるなんて酷い? そう言う彼らだって、魔族の者達にたくさんの血を流させたじゃないか。魔族が襲ってくるから反撃しただけだとでも言いたいのだろうが、それならまず魔族の世界に攻め込んでこなければ良かったではないか。

 許せない? それはこっちの台詞だ。神の虚言と、歪んだ正義感に踊らされた人間が、いつまで勝手な事を言うんだ。

 ざわざわと、黒い物が体内に満ちていく。満ちて、収まり切らず、溢れ出していく。

 勇者達が、息を呑んだのがわかった。きっと、いつものメトゥスが今のメトゥスを見たら、同じように息を呑むだろう。

 体から溢れ出した黒い物が集まり、立ち上がり、生物のように姿を形作っていく。その姿を見た勇者が、呟いた。

「魔王……」

 そう、それは見ただけで魔王を髣髴とさせる姿だった。吸い込まれそうに感じるほどに純粋な闇の塊。人の何倍もありそうな巨躯、それに見劣りしない巨大で鋭い角。全てが大きく、黒く、禍々しい。魔王の影とも、魔王の真の姿とも言えよう。

「メトゥス、お前……」

 クロが、呆然とした様子で呟く。だが、メトゥスは応えない。

 このような物を恐らく生まれて初めて出し、体への負担は如何ばかりか。それでなくとも、矢で体のあちらこちらを貫かれ、血を流し続けている状態だというのに。治癒が早い魔王とて、辛いはずだ。

 なのに、呻き声すら発さない。ただ、フーッ、フーッと荒い呼吸を繰り返すばかりだ。

 巨大な影が、轟、と咆えた。空気がびりびりと震え、肌を突き刺すような冷たい風が嵐のように巻き起こる。その風に、辺りの瓦礫は舞い上がり、勇者達はあっけなく吹き飛ばされた。平然としているのは、風の中心にいるメトゥスのみ。彼の近くにいる優音とクロも、風の影響は受けていない。

「……何だ? この魔王、急に強く……」

 呟いたのは、勇者か、それともその仲間か。誰でも良いし、どうでも良い。そう言わんばかりに、影は再び咆えた。

 更に強い風が巻き起こり、天井は崩れ、部屋はむき出しとなる。薄曇りの空の下、風は勇者達を城の外へと放り出した。

 影を従え、クロを肩に留まらせ。メトゥスは外へと放り出された人間達を睨み付ける。その冷たい視線に、勇者達はビクリと震えた。

「……さっさと、帰ってください。これから、怪我をした者達の手当てをしなければならないので。あなた達の相手をしている時間が、惜しいんです」

 それだけ、言った。そして脅すように、影が三度咆える。

 分が悪いと、悟ったのだろう。勇者達は立ち上がると、各々駆出し、撤退を始めた。「レベルが上げて出直すぞ!」という声が聞こえる。

「……出直しもやめてほしいんですけど……」

 力無く呟くと、メトゥスはホッと息を吐いた。影が、消えていく。それと同時に酷い痛みと疲労感が全身を襲った。

 だが、まだ休むわけにはいかない。痛みに耐えながら、メトゥスは振り向いた。

 城は一部が完全に崩壊している。幸い居住スペースは無事なようだが、この奥の間を中心に、来訪者を出迎える部分は壊滅状態だ。修繕が必要だろう。

 負傷者の規模は、現時点ではわからない。今、確実に負傷しているとわかるのは、眼前で横たわる優音だけだ。

「……クロ、辺りを巡回して、負傷者の確認をしてください。無事な者がいたら、救助と治療の指示を」

「おう」

 メトゥスの指示を受け、クロがカァーッと鳴き声を発しながら飛んでいく。その姿を見送ってから、メトゥスは体を引きずるようにしながら、優音の元へ向かう。

 体は、とうに限界を迎えている。だが。目の前にいる、己を助けた事で傷付いた人を放って、気絶するわけにはいかない。

 その気持ちだけで、メトゥスは必死に体を動かす。引き摺った足が、床に真っ赤な尾を描いた。











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