お母さんは変身ヒーロー!
◇5◇
雨が小降りになりつつある。庭を眺めながら、私はぼんやりと昔の事を思い出していた。
あれは……そう。出産直後に、私の病室に達也達が見舞いと称して押しかけて来た時だ。
「理貴ちゃん、お疲れ様〜! 今見てきたけど、すっごい可愛い男の子だね〜!」
新生児室を覗いてきた美菜が、興奮冷めやらぬ声で言うと、その横に立っていた達也が冷やかすように言う。
「いや〜、理貴が母親か〜。これからは理貴じゃなくて、早さ母さんって呼ばなきゃな〜」
「呼ぶな。大体、何で義務形なんだ」
「早坂で、母さんだから、足して早さ母さん」
「そんな事は訊いていない」
ボケとツッコミの応酬が続いた。この時私は、出産してまる一日も経っておらず、相当疲弊した状態だった筈だ。それでなくても、出産直後とは神経が高ぶってイライラしている物だと言うのに、そんな私にツッコミをさせるとは無神経にも程がある。だから美菜や吉野に「デリカシーが無い」と言われ続けているという事に、こいつはいつになったら気付くのだろうか……。
「それよりも、理貴。あなた、これからどうするつもり?」
いい加減意味の無いやり取りに嫌気が差したのか、吉野が呆れながら私に問うた。私は、その言葉の意味がわからず、思わず首を傾げた。
「? どう、とは?」
「仕事の事よ」
吉野は更に呆れたような顔で言った。私はそんなにおかしな事を訊いただろうか?
「子どもを産んだら、流石に前線は無理でしょう? 緊急の呼び出しが多いし、危険だし。どうするつもりなの?」
その問いに、私はかぶりを振って答えた。尋貴がこの身に宿ったと知った時から、ずっと考えていた事だ。
「いや、産休明けには、今まで通り前線に出るつもりだ」
「えぇっ!? どうしてですか!?」
「前線は危ないんだぞ? 理貴に何かあったら、子どもが悲しむじゃん!」
優介と善太郎が目を剥いて言った。驚かれるかもしれないとは思っていたが、ここまで驚かれるとは思っていなかった。確かに、前線は危険だ。私に何かあれば、尋貴に悲しい思いをさせてしまう事になる。それでも……
「それでも……私は、前線に立たなければならないんだ」
「何で? 理由は?」
理由は……そうだ。私が前線に立とうと決めた理由は……。
「産休で私がいない間の、お前達の戦いっぷりがあまりに不甲斐ないから……とでも言って欲しいか?」
「何だよ、それ!? ひっでー!」
……ここで、私の回想は途切れた。戦い続けると決めた理由は思い出せたが、それでもまだ迷う。私は、ぼんやりとテーブルの上を見た。そこには、帰って早々腕から取り外した変身ブレスレット。その横には、メッセージボードが置いてある。父兄参観の時に、尋貴が授業で作ったメッセージボードだ。二足歩行をする熊と兎が手をつなぎ、空いた方の前足で花を持っている。
ボードの空白部分には智尋の字で「尋貴と散歩に行ってきます」と書かれている。智尋と一緒の散歩なら、まず早く帰ってくる事はないだろう。なら、夕食を準備する時間は多分にある。
「折角早く帰ってきたんだしな……。二人の好きな物を作るか……」
気分を変えようとあえて口に出しながらキッチンへ行き、冷蔵庫に手をかけた。その時だ。遠くから、爆発のような音が聞こえた。
「!」
身に付いた習性という物だろうか。私は即座に窓に駆け寄り、外を見た。見れば、少し離れた場所で濛々と煙が立っている。
乱暴に変身ブレスレットを掴み、外に駆け出そうとする。だが、ここで近江長官の言葉が脳裏に蘇った。
「暫く休んで、子どもに嫌われてでも今の仕事を続けるか考えるんだ。続ける気があるなら、いつでも出て来い。そこで休暇は終了だ」
私は、まだ答が出せていない。尋貴に嫌われてでも今の仕事を続けるのか、辞めるのか……。決まっていないのに戦っても、足手まといになるだけだ。
外に出るのを躊躇い、一度居間まで戻った。部屋に入るなり、中央に置かれたテーブルの上のメッセージボードが目に入る。智尋の字だ。尋貴の絵だ。
もう一度、窓の外を見た。煙は依然、濛々と立ち上っている。下手をしたら、先ほどよりも煙の量が多いかもしれない。
「…………」
私は、顔を上げた。家を飛び出し、煙の立っているであろう場所まで駆け出した。
左腕に、変身ブレスレットを装着した。
# # #
雑魚怪人達は、倒しても倒しても湧いて出た。達也達は懸命に戦うが、いつまで経っても数が減らない。どうしてもそれに掛かり切りになってしまい、街を喜々として破壊しているトカゲラスがノーマーク状態になってしまっている。
「……っ! 次から次へと!」
「このままじゃ、キリがありませんよ!」
「こんな時に、理貴がいたらなぁ……。理貴にかかれば、こいつらなんて瞬殺なのになぁ……」
吉野が毒づき、優介が悲鳴を上げ、善太郎がボヤいた。すると、それを叱咤するように美菜が言う。
「駄目だよ! 理貴ちゃんは今、戦い続けるかどうするか考えなきゃいけない、大事な時期なんだから! 頼っちゃ駄目!」
「そうだ! ここで理貴に頼ったら、あいつはきっとそのままなし崩し的に戦い続ける事を選択する事になる。それじゃ駄目なんだ! 理貴には、後悔の無い選択をさせねーと……じゃねぇと、理貴も俺達も……きっと後悔する事になる……!」
達也の言葉に一同は顔を見合せ、無言で頷いた。
「泣き言は、駄目ですよね」
「だな」
「弱音を吐く前に、私達にできる事をやらないとね」
「うん!」
口々に言い、それに賛同するように達也が頷いた。
「満場一致! 俺達のやるべき事を続けるぞ。街と、理貴の選択肢を守るんだ!」
全員が武器を構え直した。仕切り直しだ。
「いくぞ!!」
達也が叫び、全員が怪人達目掛けて駆け出そうとした。
その時だ。
「お母さん!」
突如聞こえた声に、一同は思わず動きを止めた。時が止まったような気分を味わった一同は、恐る恐る声のした方に顔を向けた。声が聞こえたのは、トカゲラスのすぐ背後にある建物の陰だ。
そこから、尋貴と智尋が歩き出てきた。
「お母さん! いるんでしょ? どこにいるの!?」
尋貴は、必死に声を張り上げて理貴の姿を探している。だが、当然の事ながら理貴の姿は現れない。
「嘘……だろ……」
「何で、尋貴君と智尋さんがここに……!?」
呆然として、達也と美菜が呟いた。そんな声が聞こえる筈も無く、尋貴は更に叫び続けている。
「お母さん! 僕、お母さんにお願いがあって来たんだ。出てきて、話を聞いてよ! ねぇ!」
「理貴! 尋貴をあまり長い間危険な場所にいさせたくない……。いるなら出てきてくれ! 早く!」
尋貴に続き、智尋が叫んだ。すると、二人の頭上に濃い影がヌッとかかった。ハッとして二人が仰ぎ見ると、そこにはトカゲラスが嬉しそうに顔を歪ませて立っている。
「ひゃっひゃひゃひゃひゃひゃひゃはーっ! こいつぁ良い! 美味そうな餌が寄ってきやがったぜぇっ!」
その言葉に、尋貴と智尋の顔が恐怖で引き攣った。智尋はとっさに尋貴を抱き締め、トカゲラスから尋貴を守ろうとする。
「まずい! 美菜、こいつら頼む!!」
その様子に焦った達也は今まで目の前にいた雑魚戦闘員だけを片付けると、その後ろから襲いかかってくる怪人達を身を捻って避け、トカゲラスに向かって駆け出した。自分も雑魚戦闘員と戦わなければ美菜達が囲まれて危機に陥るかもしれない、などと考えている場合ではない。このままでは、尋貴と智尋がみすみす目の前で殺されてしまう。
「間に合うかっ!?」
心の中で叫び、既に限界スピードを超えてガクガクとし始めた足に鞭打って更に速度を上げようとする。だが、目の前では既にトカゲラスが嬉しそうに銛を振り上げている。一瞬あれば、あの銛は尋貴と智尋を貫いてしまうだろう。
「駄目だ……間に合わねぇ……!」
脳裏に最悪の事態が過ぎり、達也は思わず目を瞑った。その瞬間だ。
「尋貴! 智尋!」
声が聞こえたと思うや否や建物の陰から黒い影が飛び出し、有無を言わさずトカゲラスに体当たりを喰らわせた。……いや、ひょっとしたら飛び蹴りとか、そんな感じのもう少し品の無い攻撃だったかもしれない。
その飛び蹴りを喰らわせた影――理貴は綺麗な姿勢で地面に着地すると、左腕のブレスレットを掲げて構え、叫んだ。
「武装強化!!」
瞬時にバトルスーツに身を包み、腰からブレイドを抜き放って怪人の前に立ちはだかる。その姿に、達也達は驚き、眼を見開いた。
「理貴!?」
「答が……出たんでしょうか?」
「どうかしら? 私達があまりに不甲斐ないから、おちおち休んでいられなかったのかもしれないわよ?」
「そう言えば、前にそんな事言ってたよねぇ……」
心配そうに言う吉野達に、美菜はふるふると首を横に振った。
「ううん。答は、ちゃんと出たんだと思う。だって、理貴ちゃんのあの顔……」
理貴の顔には、迷いが全く見られない。まっすぐに怪人を睨み付け、容赦をする様子は微塵も見られない。
その顔は母親・早坂理貴ではなく、街の静かなる守護者、ブラックガーディアン・早坂理貴の物だった。