駆出し陰陽師と夏に降る紅葉








11










 池に面していて、屋根の下。流石に、釣殿は涼しい。許しを得て狩衣の前を肌蹴させ、家人に持ってきてもらった水を飲む。体が冷えて、多少復調してきたところで、季風はこの場所からあのもみじの木を見た。

 はらはらひらひらと、葉が降っている。

「やっぱり……」

 静かに、呟いた。

 先程までは、もみじ葉はただ降っているだけだと思っていた。だが、気付いた今なら、ただやみくもに降っているわけではないとわかる。先日調査した別の案件――〝踊る百鬼夜行事件〟と同じだ。

 何もわからないまま見ていると意味がわからないが、その踊り方には、その降り方には、意味がある。もみじ葉の降り方の意味まではまだはっきりとしないが、それでも何か決まり事があるらしいとわかっただけでも大収穫である。

 糸口が、見えてきた。

 体の調子も戻ってきた事だし、そろそろまたもみじの木の元で調査をしようか。

 そう考えて、季風が立ち上がった、その時だ。

「おぉ、季風殿。気分が優れないと聞いたが、もう良いのかね?」

 邸の主人が、姿を現した。家人から、季風の体調が良くなさそうだと報告を受けていたらしい。……いや、まず報告をしていなければ、釣殿で休憩をさせてもらう許可など出してくれないか。

「復調いたしました。ご迷惑をかけてしまい、申し訳ございません」

 頭を下げると、主人は「いやいや」と笑いながら首を振る。

「大事無くて、何よりじゃ。今日は来客の予定も無い。また調子が悪くなったら、この釣殿でも、他の場所でも、遠慮無く休憩のために使われよ」

 これは……ついているかもしれない。密かに、季風はそう考えた。今の主人の言葉は、言いかえればいつでも好きな場所に入って良いという事だ。勿論、休憩のためという口実で怪しまれない場所のみではあるが、好きに動く事ができる行動範囲が広がった事に変わりは無い。

 主人の厚意に礼を言いつつ、季風は首を傾げた。やはり、この人物が帝に成り代わろうなどと考えているとは思い難い。やはり、季風の考え過ぎだろうか。

 首を傾げたところで、季風は主人の背後にいくつもの行李が積み重なっている事に気付いた。

「あの……それは?」

 背後の品を指差されると、主人は少々照れ臭そうに頭を掻いた。

「おぉ、これか。これは……妻が使っていた品々じゃ。昨年、あれがいなくなって以来、時々出しては眺めて、思い出に浸りたくなっての」

 歳じゃろうか、と少し寂しそうに言う主人に、季風は首を横に振った。

「いえ、それほどまでに、お方様の事を大切に想われていたという事でございましょう。亡き後もそれほど想って頂けるとわかれば、お方様もきっと喜ぶのではないでしょうか」

 そう言ってから、季風ははっとする。

「あっ……ひょっとして、こちらでお方様の品を眺めるおつもりでしたか?」

 この釣殿が、邸の主人とその妻の思い出の場所である可能性は充分に考えられる。その場所で思い出の品を眺めたいと考えたとしても、おかしくない。

「だとしたら、とんだ邪魔をしてしまいまして……」

 恐縮する季風に、主人は苦笑しながらまた首を振った。

「いや、これはもう眺め終わってな。塗籠に戻しにいくところじゃった。折角立った事じゃし、季風殿の様子を見ておこうかと思ってな」

 ならば、まず塗籠に品々を仕舞ってから見に来れば良いものを。よほど気にかかったのか、いくつもの品を持ったまま、釣殿まで様子を見に来てくれたらしい。

 その事に密かに感動し、そして、今現在この主人を疑いの目で見なければならない状況にある事を申し訳なく思ってしまう。そして、気付けば季風は、こう言っていた。

「あの……塗籠に運ぶの、お手伝いします!」

 その発言に、主人は少々驚いた顔をし、そして、顔を綻ばせた。

「おぉ、すまんの。実は、家人に対しては強がって自分で全て運ぶと言ったのじゃが、やはり、量が多くて少々重くての。手伝ってくれるのであれば、ありがたい」

 そう言って、主人は積み上げられた品々の中から、取扱いが難しくなさそうな物を選んで季風に手渡してくる。主に、絵巻物と着物だ。

 良かったら見てみるかね? そう言われて、季風はぱらりと絵巻物を広げた。

「……綺麗な絵巻物ですね。お方様は、こういった物がお好きだったのですか?」

「うむ。わしにはどこが良いのかよくわからなかったが、妻は絵巻物が好きでの。暇になると、よく引っ張り出しては飽きもせずに眺めておったわ」

 目を細めて言う主人に、季風は「そうですか」と相槌を打つ。

「色々ありますね。源氏物語に竹取の翁の物語……伊勢物語に宇津保物語、落窪物語も……」

「ほとんどが物語じゃ。おなごは本当に物語好きが多いのう。加えて、己の好きな物語を、わしにも読めと見境なく押し付けてきて、本当に参ったものじゃ」

「仲睦まじいご夫婦だったんですね」

「馬鹿を言うでない。何かあるごとに、口喧嘩ばかりしておったわ」

 そう言う主人の顔も声も、嬉しそうで。本当に仲の良い夫婦であったのだろうと、季風は頬を緩ませた。

「ほれ、最後にこれも頼む。着物はどうして、軽そうに見えて重い物が多くてな」

 季風より素早く動けるこの元気な老人であれば、重い物も軽々と運べそうな気がするが。孫ほどの歳である季風に手伝いを申し入れられて、甘えたい気分になっているのかもしれない。

 苦笑しながら、季風は着物を受け取る。刈安色の華やかな着物だ。蘇芳の着物と合わせれば、美しい紅葉(もみじ)の襲(かさね)になるだろう。そして、「あれっ」と呟いた。

「あの、この着物……最近、供養の場かどこかで飾られたりとかされました?」

「? いや? この着物は、妻が亡くなって以来、こうして眺める時以外は塗籠にしまいっぱなしじゃよ? それに、見ての通り少々派手な着物じゃからな。生きている時分も、寺を詣でる時には着なんだわ」

 不思議そうな顔をする主人に、季風は「そうですか……」と返す。そして、すぐに「気のせいです」と言って誤魔化した。

 主人は重ねて不思議そうな顔をしたが、細かい事は気にしない事にしたのか、残った品を持ってに塗籠へと先導を始める。

 その後を追って歩きながら、季風は考えた。

 主人が思い出に浸るために出してきた事から考えて、恐らくこの着物は、亡くなった主人の妻が気に入っていた物であろうと思われる。つまり、故人と結びつきの強い品だ。

 この品は、供養の場などに出していた事は無いと言う。また、寺を詣でる時に着る事は控えていたらしい。

 なのに。それなのに。

 何故、この着物には、護摩の匂いが染みついているのだろうか。










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