平安の夢の迷い姫











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「……つまり、こういう事か? 加夜が前触れも無くやってきて、お前は深く考えもせず邸に上げた、と。そして加夜から新しい着物を貰って浮かれていたお前は、奥から近付いてくる気配にも気付かず、現れた諸々を目撃した加夜が盛大なる誤解をした上で混乱、気が触れ、挙句力が暴走した……と」

葵が、亀のように首を引っ込めて頷いた。その様子を見て隆善は、ふっ、と笑う。そして、葵の頭に向かって思い切り拳を振り下ろした。ごっ、という鈍く嫌な音がする。

「痛っ!」

「いたっ! じゃねぇよ、この大馬鹿弟子! 他の弟子も、人間に化けれる妖もいる。なのに、何で加夜の邸に行く時はお前を連れて行っていたと思う? お前が一番常識的で何の特徴も無く想像力を掻き立てない無難な見た目をしていて、且つ、女じゃねぇから加夜に無用の疑いをさせずに済むからだろうが! それを、何お前の判断で化け物や女弟子も住み着いている上にいわく付きの道具まである面白びっくり邸に上がらせてんだ!」

「そんな理由だったんですか? 俺を連れて行ったの……」

「って言うか、自分の邸を自分で面白びっくり邸とか言っちまうのかにゃ……」

「黙れ、面白びっくり邸の材料その一」

口を挟んできた化け猫をひと睨みし、ため息を吐くと、隆善は傍らに置かれていた包みに手を伸ばした。加夜が持ってきた、二つの包みの内の一つだ。片方は葵への礼なのだという。ならば、もう一つのこれは、隆善への礼物という事なのだろう。

包みを解けば、中からは紙の束が顔を出す。まず、伊勢物語の写本が一冊。これは恐らく、惟幸への礼だろう。流石に山までは行けないから、代わりに届けてくれという事か。

そして、折り畳まれた文が伊勢物語の下から出てきた。開けてみれば、二枚の紙。一枚目は美しく色付けされた料紙。それに、繊細な文字で和歌が書き留められている。



天つ風 雲の通ひ路 吹き閉ぢよ 愛し背の君 しばしとどめむ



「……古今集の、僧正遍昭の歌……でしょうか?」

料紙を覗き込んだ葵が、まだ痛むらしい頭をさすりながら問うた。

「……いや、少し違うな。僧正の歌を、一部だけ変えたのか……」

たしか、本来の歌は〝愛し背の君〟ではなく〝をとめの姿〟であったはずだ。

難しそうに口を結び、黙り込んだまま隆善は二枚目の紙を見た。描かれているのは、一組の男女。誰に訊かずとも、わかる。隆善と加夜を描いた物に違いない。

「あいつ……何だってこんな絵……」

少しの間だけ考え、「わからん」と呟いてため息を吐いた。二枚の絵と伊勢物語の写本を懐に収め、そのまま小路へと足を踏み出す。

「あれ? 師匠……どこへ?」

不安気な葵に、隆善は空を指出した。……いや、空ではない。指の先には、微かに山が見える。

「……惟幸のところへ行ってくる。お前は他の奴らと手分けして、この京の混乱状態を何とかしとけ」

「え……」

隆善の言葉に、葵は耳を疑うように顔を顰めた。

「師匠……加夜姫様はどうするんですか? 早く行って、誤解を解かないと……」

「行ってどうする? 実は女の弟子も住み込みで取ってます。以前関わった騒動で出会った妖も何匹か住んでいます。同じく呪われた器物がいくつか塗籠に仕舞われています。……とでも説明すりゃ良いのか?」

葵の顔が曇った。どう答えた物か、と言葉を探している顔だ。反論が出てこないのを良い事に、隆善は一気に畳み掛ける。

「それで、加夜が納得すると思うか? 妖が住んでいる、呪いの器物を管理している。それを言っただけで、想像力豊かな加夜が何を思い描くかわかったもんじゃねぇ。ぼかそうが詳しく説明しようが、結果は変わらねぇ。今の京より更に酷い面白空間ができあがるぞ。まして、女が一緒に住んでいるなんざ……弟子だと説明して、あいつが納得してくれる保証がどこにある? 下手な説明をすりゃ不安が増幅して、今京を闊歩している妖達がより一層凶暴化するぞ」

「それは……その……」

葵の声が小さくなったところで、隆善はくしゃりと葵の頭を撫でた。顔が、優しく苦笑している。

「だから、情けねぇ話だが……既婚者に相談しに行くんだよ。俺が醜態晒せる既婚者なんざ、惟幸ぐらいしか思い当たらねぇからな」

「……すみません。俺がもっと、気を付けていればこんな事には……」

「事が済んだら、炊事と掃除、薪割りでいつもの倍働け。それで手を打ってやる」

俯いたまま、肩が震えだした。泣き出してしまったらしい弟子の頭をぐしゃぐしゃと掻き回し、隆善は今度こそ小路へと出た。

「解決策を見出せたら、すぐに戻る。それまで、京の事は頼んだぞ、葵」

「……はい!」

力強い返事に頷き、隆善は走り出した。目指すは、京の外、惟幸が住む山の庵。

今から急げば、昼過ぎには着けるだろうか。いや、それよりもまず、惟幸は在宅だろうか。

普段は引き籠りだと揶揄してはいるが、京に出てこないというだけで、彼は決して外に出ないわけではない。薬草探しや鬼の調伏、麓の村人達との交流のために留守にしている事だって少なくないはずだ。

幼馴染の在宅を珍しく祈りつつ、隆善は足を速めた。












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