平安の夢の迷い姫











15











『あぁ、あったあった。あそこに紙が一枚ひっかかってるよ、たかよし』

闇夜の空を、白い惟幸の形代がひらりひらりと飛んでいる。時を同じくして、加夜の邸で同じ形代が活動している事など、微塵も感じさせないのんびりとした声音で言いながら、前方を指した。

崩れかかった築地に紙が一枚、引っ掛かっている。隆善が近寄り手に取ってみれば、隆善達を待つ間に夜露を吸ったのか、紙はしっとりと濡れていた。

くるりと裏返して、描かれている物を見る。間違いない。加夜の絵だ。

「しっかし……あいつは何だってまた、こんなに鬼やら妖やらばっかり描く気になったんだ?」

そう言う隆善の懐には、既に幾枚もの絵が収められている。現とならないよう術が施してあるのだが、全部が全部、鬼や妖の描かれた絵だったのだ。

『それだけ、かっこ良いたかよしを見たいって事なんじゃないの? それとも、誰かから妖の話を戯れに聞いちゃって、想像が膨らんでいくのが怖くなったから絵に起こしたとか』

「そういや、前に何度か、妖について訊かれた事があったな。質問のほとんどが見た目に関する物だったが……」

『なるほどね。最初に加夜姫様に妖の話をしちゃったのは、親しくされている姫君とか、何かの書物を読んだとか、そんなところかな?』

「だろうな。……お、あんなところにも」

回収した絵が現にならぬよう術をかけながら、隆善は新たに発見した絵に向かって歩いていく。こちらも、夜露を含んで湿っているのだろう。築地にぺったりと貼り付いてしまっている。

破らないよう慎重に剥がし、裏返して。隆善は思わず、顔を顰めた。

『たかよし? どうしたの?』

いつも以上のしかめっ面をしている幼馴染の様子に、惟幸の形代が訝しげに降りてきた。そして隆善の手元の絵を覗き込み、『む……』と唸る。顔も顰めたのか、少しだけ、くしゃ、という音がした。

紙の隅には、朱墨のような色で、済、と記されている。

『済って……どういう事? 考えられるのは、この絵が既に現になってしまっているって事だけど……。現になったけど、既に陰陽寮の誰かに調伏されているのか、それとも現になっただけで、この済という字は出てくるのか……』

「んなこたぁ、どうでも良いんだよ!」

不機嫌な声で、隆善が怒鳴る。そして、ぱしぱしと紙の隅を叩いた。

「問題は、この絵だ。今までひたすら、鬼やら妖やらばっかりが描かれていたってのに、何でこの絵は……」

言葉を切って、隆善は絵を睨む。そこには、隆善がよく知っている……しかし、鬼や妖だらけの絵の中に紛れて描かれているのはあまりにも不自然な人物の姿が描かれていた。

「何でこの絵は、加夜の姿が描かれているんだ?」

『たしかに、妙だね。加夜姫様は、たかよしや葵の調伏の話や、鬼や妖怪の噂話を聞いて想像してしまった恐怖が膨らまないように、絵に起こした。そして、それを調伏するかっこ良いたかよしが見たくて、たかよしの姿も描いた』

「俺だけじゃねぇぞ。既にお前と葵も巻き込まれてる」

隆善の言葉に、惟幸の形代は『あ、そうなの?』と苦笑した。

『とにかくさ、加夜姫様の今回の絵は、鬼や妖、それらを調伏する術者。それがほとんどなんだよね?』

「あぁ。鬼達と戦うすべを持たねぇ加夜が描かれているのは、おかしい。そもそもあいつは、自分で自分を描きたがるようなたちじゃねぇ。そこまでして、かどわかされて助けられる物語の姫君になりたがったりもしねぇはずだ」

『それに、加夜姫様の力では、実在の人物が現になる事は無いよね? たかよしの絵を描いても、二人目のたかよしが現れる事なんて無かったんだし。なのに、この絵には今、済と書かれている……』

隆善も、惟幸の形代も首を傾げ。二人揃って「妙だ……」と唸った。その時だ。

「隆善様」

声が聞こえ、隆善と惟幸の形代ははっとして振り向いた。そこに、今まさに話題にしていた人物の姿がある。

色白で、儚げで、細くなった月の光に照らされた姿は美しい。

「加夜!? お前、何でこんなところに……」

思わず隆善が駆けだそうとした眼前に、惟幸がひらりと舞い降りる。

『待って、たかよし! おかしいよ!』

「あ? そりゃ、たしかにおかしいが……加夜なら、待ちきれなくて邸を飛び出してもそれほどおかしくねぇ。少なくとも、自分で自分を描くよりはな。加夜の絵で実在の人物が現になる事は無い以上、ここにいるのは加夜だ。そうだろう?」

『そんなわけないよ。だって加夜姫様は、今も邸にいる! 二枚目の形代を送り込んであるんだ。間違いないよ!』

「……何?」

惟幸の言葉に、隆善の顔が曇った。そして、目の前に現れた加夜を見る。どう見ても、加夜だ。誰かが化けているとは思えない。

(……どういう事だ?)

「……どういう事だ? と、お考えになっていらっしゃるのね?」

「!?」

目を見開き、隆善は加夜を見た。眼前の加夜は、にこにこと明るい笑みを浮かべている。

(今……俺が考えた事……)

「今……俺が考えた事……とお考えになっていらっしゃるのね?」

「……!」

目が、ますます見開かれた。その間に、今まで姿を隠していた宵鶴が現れる。

『たかよし様、お下がりください。こ奴は……』

「こ奴は危ない……そう、お考えになっていらっしゃるのね?」

くすくすと、加夜が笑う。隆善は思わず後ずさり、宵鶴もまた、腰の太刀に手を伸ばしつつ警戒する様子を見せた。

隆善の肩に、惟幸の形代がひらりと舞い降りる。

『たかよしや宵鶴の考えてる事を、全部言い当ててる……となれば、考え得る妖は一つだね。この加夜姫様は……』

「考えた事を全て読み取ってしまう妖、さとり。そう、お考えになっていらっしゃるのね?」

『……本体がこの場にいない僕の考えも、お見通しってわけだ』

惟幸の形代に向かい、加夜――さとりはくすくすと笑う。そして、誰かが何かを言う前に、口を開いた。

「不思議に思っていらっしゃるのね? 何故加夜は、加夜姫様は、さとりを加夜の、加夜姫様の、姿で描いたのか。皆様、そうお考えになっていらっしゃるのね?」

くすくすと笑い続けるさとりに、隆善があからさまに不機嫌な顔をした。拳を握り、さとりを睨み付ける。

「あぁ、そうだ。不思議に思ってる。何で加夜は、自分の姿でお前を描いた? とっとと教えやがれ!」

「駄目だよ、たかよし。さとりは僕達の考えを読めるだけ、僕達の心を煽りたいだけで、僕達の疑問に答える気は無いんだ。訊いたところで、教えてくれるわけがない。……そう、お考えになっていらっしゃるのね?」

『……僕の』

「僕の言葉を取らないで欲しいなぁ。そう、お考えになっていらっしゃるのね?」

『……』

惟幸の形代が黙り込んだ。黙っていてもわかるほどに、機嫌が悪くなっている。いつも穏やかにしている惟幸も、ここまでやられると流石に苛立つらしい。

「早いところ、調伏しなきゃ。そう、お考えになって……」

『宵鶴!』

『御意!』

さとりの言葉を遮るように、惟幸は前触れも無く宵鶴をけし掛けた。……が。

「太刀を抜き放ち、下から掬うように斬り上げる……そう、お考えになっていらっしゃるのね?」

宵鶴を馬鹿にするように、さとりは難無く宵鶴の太刀を躱して見せた。考える事を全て読む事ができるさとりだ。惟幸が宵鶴をいきなりけし掛けようと考えた事も、宵鶴の太刀筋も、全て読まれてしまったらしい。

「太刀筋まで読まれちまうのか……厄介だな」

『……多分、太刀筋どころの話じゃないと思うよ』

「話しているふりをして、さとりが油断している間に九字を切って調伏しよう。……そう、お考えになっていらっしゃるのね?」

言うや否や、さとりはさっと後方にさがり、築地の陰に隠れてしまった。

『……ほら、読まれた。話しているふりをしながら調伏しようとは考えたけど、九字は調伏に使う術の第一候補として頭に浮かんだだけなのに……』

「阿弥陀如来や不動明王の真言を唱える事も考えたんだけどね。……そう、お考えになっていらっしゃるのね」

「使わない手の内まで読まれちまうのか……!」

「そうよ。私は、さとり。頭で考えた事なら、全てさとってしまうの。だから、私に不意打ちなんて効かないわ」

加夜の声で、さとりは楽しそうに言う。くすくすくすくすという笑い声が、築地の向こうから聞こえてくる。

「隆善様に教えて頂きたいわ。隆善様は、私の事をどう思っていらっしゃるのかしら?」











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