平安の夢の迷い姫











14











わらわらわらわら。

わらわらわらわら。

わらわらわらわらわらわらわらわら。

葵が鎌鼬に追いかけられて悲鳴をあげている頃。加夜の邸は魑魅魍魎の巣窟と化していた。

庭では人と変わらぬ体躯の鬼達や何がしかの植物の精らしき者達十数名が車座になって踊り楽しみ、簀子縁では付喪神達が楽しげにはしゃいでいる。池では猫や鼠、犬に鳥のような姿の妖達が網を打って漁をしているし、車宿では朧車が牛も繋いでいない牛車を頬を染めながら口説いている。

良く言えば非常に賑やかで、悪く言えば非常に混沌としていた。

あちらでは女房や端女達が悲鳴をあげているし、こちらでは侍所に詰めている武人達が鬼に立ち向かい、童をあやすような優しさであしらわれてしまっている。

「……姫様?」

「ごめんなさい……まさか、こんなに出てくるとは思わなくて……」

手には、あの三枚組の絵を持ったまま。加夜は困った顔でため息をついた。

「ひゃっはぁぁぁぁっ!」

「うぇぇええぇぇぇいっ!」

「ぎぇぇぇぇぇっ!」

「ふぉぉぉぉぉうっ!」

鬼達は通事不可能と思われる奇声を発して踊り狂っている。片足を天高く掲げて独楽のように高速で回転している者。ただひたすら、右に、左に、また右に、と横跳びを繰り返している者。上に跳ね、横に跳び、ぐるぐるぐるりと回転したかと思えば右に跳んで左に跳んでもう一度回転してから上に跳ぶ者。上に跳び、どうやってか更に上に跳び、着地してすぐにしゃがみ込み、左に跳び、右に跳び、もう一度左右に跳んだかと思えば

「びぃぃぃっ! えぇぇぇいっ!」

 と、奇声を発する者。とにかく様々に踊り狂っている。

付喪神達のはしゃぎっぷりも、そうそう真似できるようなものではない。

琵琶は自ら撥を持ち、べべべべべべべ……と弦を掻き鳴らしている。小鼓は何と、柱の上部に足だけでしがみ付き、やはり自らの皮をととととととと……と目にも留まらぬ速さで叩き続けている。龍笛や篳篥、笙に至っては、一体どうやっているのかもわからぬままに、ぴいひゃらぷわぁんと賑やかな音を奏でていた。

「どうしましょう……? 何だか、とっても楽しそうなんだけど……このままにしておくわけにもいかないわよね?」

加夜は、明らかに賑やかな妖達の騒ぎに混ざりたがっている。ちらりと、不破を見た。

当然不破は、ぶるぶると首を横に振る。そして、助けを求めるように明藤へと視線を遣った。明藤も、困ったように小首を傾げている。

『たしかに、放っておけばいつか人に襲い掛かってしまう恐れもございますし、調伏する必要がございます。ですが……これだけの量となりますと、下手に手を出す方が危険であるように思われます』

たしかに、今の鬼や付喪神達は、騒がしいだけで害は無い。下手に手を出すよりは、放っておいた方が安全であろう。

『私は惟幸様に、加夜姫様をお守りするよう命ぜられました。ですから、奴らが加夜姫様や邸の皆様に襲い掛かるような事となれば戦いますが……』

向こうが襲い掛かってこぬうちは、動く気は無いらしい。

『うん。けど、この数がもし襲い掛かってくるような事があると、明藤だけじゃ流石に心許無いね』

突如湧いて出た声に、加夜と不破は目を丸くした。明藤だけは、「まぁ」と呟いて苦笑している。

「惟幸様!?」

加夜達の足下に、先ほど邸を出て行ったはずの惟幸の形代がいた。ひらひらと、体を風に靡かせている。

「どうなさったのですか? 瓢谷様と共に、外に出られたはずでは……」

「まさか、隆善様に何か……!?」

顔を強張らせる加夜に、惟幸の形代は『違う違う』と言って手をひらつかせた。手が上下に揺れる度に、ぴらぴらと音がする。

『この形代は、二枚目だよ。一枚目はちゃんと、たかよしと一緒に行動してるから安心して。こうしておけば、たかよしと加夜姫様、どっちの様子も把握できるし、いざって時に手も出せるから、何かあった時に素早く対処できるでしょ?』

『では、惟幸様。葵様の元にも?』

『あー……そうしようと思ったんだけどね。暮亀の気配から察するに、何か今、葵はたかよしの方に向かってるみたいだし。無駄に疲れる必要も無いから、葵は無しで』

惟幸と明藤の会話に、加夜の目が輝き出した。

「まぁ……いくつもの場所で起きている事柄を同時に把握して対処できるだなんて……惟幸様、古の摂政、厩戸皇子のようね!」

『……そこまで持ち上げられると、恐縮なんだけど……』

惟幸の形代は、少々居心地悪そうに頭の後を掻いた。紙がこすり合う、さらさらという音がする。そして、その音を掻き消すように突如、けぇん、という声が聞こえた。

聞いた事の無い、獣のような声に、その場にいる者達は皆、はっと息を呑む。もう一度、けぇん、という声が聞こえた。

「この声は……?」

『……ひょっとしたら、ちょっとまずいかも……』

惟幸の声が、いつになく険しい。明藤も、顔を険しく引き締めている。

「なっ……何が? 何がまずいのでございますか?」

おろおろとしながら不破が問えば、惟幸の形代と明藤、主従は揃って、庭を指差した。

今までと、雰囲気がまるで変ってしまっている。

鬼達が皆、じっと加夜達に視線を寄せている。楽しげに踊っていた事など忘れてしまったかのように、血走った目をしている。

付喪神達もだ。楽を奏でる手を止め、じっと加夜達を見詰めている。時折思い出したように奏でられる音は、低く、重く、じっとりとしていて、耳に届くだけで心が重苦しくなっていく。

「惟幸様、これは……?」

何か、と問う前に、明藤が素早く前に出た。惟幸の形代も、紙とは思えぬ素早さで前に跳び、明藤の横にするりと並ぶ。

『加夜姫様、お下がりくださいませ!』

『臨める兵、闘う者、皆陣列ねて前に在り!』

明藤が馬手で加夜達を制すのと、惟幸の形代が叫ぶのは、ほぼ同時だった。瞬きをするほどの間、目を離しただけだというのに、目と鼻の先に鋭い爪を隠そうともしない鬼達が迫ってきている。

室内だというのに強い風が吹き、その鬼達を庭へと押し戻した。しかし、以前夢の中で見たものと比べると、威力がやや弱いように思われる。

『うーん……やっぱり、体の大きさが違うと、感覚が掴みにくいなぁ……。かと言って、全力でやったらどうなるかわかったものじゃないし……』

形代は、困ったように腕を組んでいる。どうやら、己や鬼の体格、相手との距離感などを掴みあぐねて難儀しているらしい。

『たかよし……は、取り込み中か。今応援要請なんてしたら、どっちの対処も半端になりそうで危ないし……葵がたかよしのところに着いたら、どうにかなるか……?』

「あの……隆善様が、危ないの?」

不安気な顔をする加夜に、惟幸の形代は『大丈夫大丈夫』と手を振った。ひらひらと、音がする。

『ちゃんと集中して真面目に対処すれば、たかよしが負けるような相手じゃないよ。……と言うか、加夜姫様? 今危ないの、僕達』

困っているのか苦笑しているのか。はっきりとしない声で惟幸の形代が加夜の不安を振り払った。そして、かさかさと音を立てながら首を巡らせる。

『さっき聞こえた、あの声。あれが聞こえた途端に、鬼や付喪神達が凶暴になった……。という事は、あの声は鬼達を統率する何かが号令をかける声だったんだと思うんだけど……』

かさ……と首をひねった。

『加夜姫様。この付喪神や鬼達を描いた絵に、親玉と言えるような何かを描いた?』

「あ、その……こんな風に……」

言いながら、加夜は唯一手元に残った、あの三枚組の絵を惟幸の形代に差し出して見せた。その隙を狙うように飛び掛かってきた雑鬼を、明藤が袖で叩き落として追い払う。

『これ……百鬼夜行? それで、二枚目と三枚目のこれって……』

そこで、惟幸は絶句した。二枚目には、先駆けとして百鬼夜行に向かっていく葵の絵。三枚目は背中合わせで後詰をしている隆善と惟幸。尚、この絵を見た隆善も惟幸と同様に言葉を失っている。

『く……くく……』

形代が、ぷるぷると震え始めた。動きに合わせて、かさかさぴらぴらと音がする。形代であるため、表情が無い。怒っているのか泣いているのかも、わからない。

形代は突然、ぺたりと床に腹ばいになった。

「こ、惟幸様?」

本体が急に病に罹ったりしたのだろうか。息を呑む加夜の前で、惟幸の形代はすっと右の腕部分を持ち上げる。また雑鬼が飛び掛かってきて、明藤が叩き落とした。

『く……くく……あはっ……あははははは!』

突如笑い声を響かせ、ぱしぱしと音をさせながら、惟幸は床を叩き始めた。時折、ぺろりと裏返る。どうやら、笑い転げているらしい。

『これ、僕? でもって、これが葵で、これがたかよし? かっ……かっこい……葵が大人の、貴公子みたいで、僕もなんだか、すご……強い人みたいだし……くくっ……あはは……と言うか、たかよしかっこ良過ぎ。本当、いつも加夜姫様の前で、どんだけかっこつけてるのさ、たかよしってば』

ぱしぱしと床を叩き続ける惟幸の形代を、明藤が困ったように見下ろした。見下ろしながらも、その腕は間断無く襲い掛かってくる魑魅魍魎達を振り払い、叩き落とし、追い払っている。

『惟幸様、お戯れはその辺りで』

『そうだね。ごめん、ごめん』

笑いを収めて。惟幸の形代はむくりと体を起こした。そして、起き上がりざまに両腕を前に突き出すと、叫ぶ。

『臨める兵、闘う者、皆陣破れて前に在り!』

途端に強烈な風と赤い稲光が前に走り、群れて襲い掛かろうとしていた鬼達を吹き倒し、焼き尽くした。

目の前の脅威がひとまず消えた事を確認して、惟幸の形代はふわりと浮かび上がる。そして、改めて三枚の絵に視線を注ぐ。

顔が無いため、傍目にはどの絵を見ているのか判然としない。……が、絵を描いた当人であり、惟幸が絵を見詰めるさまを傍で見ている加夜には、わかった。

惟幸の視線は、一枚目。百鬼夜行の描かれた絵に向かっている。特に、その一番左隅。百鬼夜行達からほんの少しだけ離れた場所に描かれている、頭目と思わしき妖の姿を見ているのだろう。

そこに描かれているのは、金色の毛皮を持つ妖。九つの尾を持つ巨大な狐が、澄ました顔で鬼達、そしてその先の隆善達を見詰めていた。











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