平安陰陽騒龍記




















にぎやかな京の大路小路を、葵は弓弦と連れ立って歩いている。すれ違う人々が、一様にこちらをチラチラと見ているのは、恐らく気のせいではない。何せ、弓弦は目の覚めるような鮮やかな青色の、上等な袿をまとっているのだ。おまけに、まだ幼さが抜け切っていないとはいえ、整った綺麗な顔立ちをしている。人目を引かないわけがない。

人々の好奇の視線から気を逸らすように、葵は弓弦に声をかけ続けた。

「ねぇ、弓弦。疲れてない?」

「……大丈夫です」

「どこか見覚えのある景色は無いかな?」

「……無いようです」

「……そっかぁ。良い着物を着てるから、京に住む良い家の子なのかも、と思ったんだけど。……あ、良い家の子なら、家から出る事も少ないもんね……外の景色じゃ、見覚えが無くても当たり前かな?」

「どう……なのでございましょうか? 確かに、着物は皆様のお召しになっている物と比べると上物のようですが……だからと言って、私が良家の子女であるかと言われますと……」

少し困ったように考え込む弓弦に、葵は慌ててぶんぶんと両手を振った。

「あ、そんなに深く考えないで! 俺が勝手に、良い家の子だと思っただけだからっ! だって、着物だけじゃなくて、弓弦って言葉遣いも動きも綺麗だし、肌も髪もすごく綺麗で、何て言うか……そう! 天女みたいだし! すごく大事に育てられてきたんだろうなーって……その、だから……えっと……」

ここに虎目がいれば、「落ち着くにゃ!」「青いにゃー」などと言って葵の思考を混乱から冷静に引き戻すのだろうが。残念ながら、彼は現在、恐らく栗麿と「馬鹿」「化け猫」の言葉の応酬中である。

「……あの、葵様……」

弓弦が、不安そうに葵の袖を引っ張った。ハッと我に返った葵の顔を、弓弦はジッと見詰めている。

「葵様は……私の事がお嫌い……なのでしょうか?」

「え? ……えぇっ!? そんなワケ無いよ! 何で……」

何でそんな事を。そう問うた葵に、弓弦は「言わなければ良かった」と後悔したような顔をする。しかし、一度言葉を口にしてしまった以上、黙り込むわけにもいかないと思ったのだろう。

「葵様は……私がお顔を窺ったり、私に何事かを話しかけてくださっている時、いつも慌てたようなお顔をなさるので……。だから、私と早く離れたくて、こんな風に私の記憶を探してくださっているのだろうかと思ってしまって……」

「ちっ……違うよ! そんなんじゃないって! 慌てるのは俺が女の子と一緒にいたり、話をしたりするのに慣れてないだけで……!」

「ですが、紫苑様とはごく自然な様子で接していらっしゃいましたし……」

その言葉に、葵は「あー……」と間抜けな声を発した。

「……そりゃ、紫苑姉さんとは小さい頃から一緒で、本当の姉弟みたいなものだし。……と言うかね、確かに紫苑姉さんは女の人なんだけど、さっきみたいに大声は出すし、走り回るし、物を投げるし……ちょっと女の子らしくはないと言うか……本当、女の子! って感じの女の子と一緒にいるのは、弓弦が初めてなんだよ。だから、どうしたら良いかわからなくて……」

そして、葵は再び「あー……」と間抜けな声を発した。そして、ガリガリと頭を掻く。

「……何言っても、言い訳にしかならないよね。……うん、確かにちょっと、慌て過ぎだったかも。……不安にさせて、ごめん」

「あ、いえ……私こそ、不用意な発言で葵様に不快な想いをさせてしまいました。……申し訳ございません……」

「や、そんな……謝らないでよ。俺が悪かったんだし……」

そこで双方、言葉を失ってしまった。シンとした重い空気の中、二人は気まずそうに互いを見ている事しかできずにいる。

「……あ、あのさ……」

やがて、沈黙に耐え切れぬと言った様子で葵が口を開いた。しばらくの間、もじもじと照れ臭そうにしていたが、やがて覚悟を決めたように弓弦をまっすぐに見る。

「弓弦は、その……何で俺に着いてきてくれたの?」

「?」

首をかしげる弓弦に、葵は「だってさ……」と情けない顔で頬をポリポリと掻きながら言葉を続けた。

「確かに、栗麿の式神から助けはしたけど……けど俺、半人前の陰陽師だよ? 隆善師匠にも惟幸師匠にも、紫苑姉さんにも頭が上がらないし。虎目にはからかわれっ放しだし。……顔も、カッコ良いわけじゃないし。なのに、惟幸師匠の家に、隆善師匠の家に、今のこの京の探索に……。記憶が無くて不安だろうに、何でこんな、半人前の得体の知れない奴の連れ回しに付き合ってくれるんだろうって……」

自虐ともとれる言葉を一息に言い切った葵に、弓弦は少しだけ目を丸くした。そして、少しだけ困ったような顔をする。

「それは……」

弓弦が言葉を探し、葵はごくりと息を呑む。弓弦が、「その……」と、いつもより更に控えめな声で呟いた。

「葵様から、懐かしい匂いがする気がして……」

「……懐かしい匂い? 俺から?」

葵が首をかしげると、弓弦は「はい」と頷いた。その様子に、今度は葵が目を丸くする。

「それって、記憶を取り戻す手掛かりになるじゃないか! 匂いって、どんな匂い!? 匂いって言ったら、香とか……いや、俺から香の匂いなんかするわけないし! じゃあ、食べ物? え? でも、最初に会った時に食べ物なんか持ってなかったし……あとは? 隆善師匠や紫苑姉さんにはよく、泥臭いとか汗臭いとか言われてるけど……あぁっ! けど、弓弦がそんな臭いがする場所にいたとは考え難いしっ!」

興奮と混乱を極めていく葵の発言を、弓弦は慌てて制止した。

「ちっ……違います! そうではなくて……匂いと言いますか、懐かしい気配と言いますか……」

「……気配?」

益々わからぬという顔で、葵が問い返した。「はい」と頷き、弓弦は両の手で葵の右手を包み込む。そして、その手を自らの左頬へと導いた。

「何が懐かしいのかは、わかりません。ですが、こうして葵様と共にいますと……何やらとても、安心するのです。私の事をよく知っている、強くて優しい何かが、私の事を見守ってくれているようで……」

そう言う弓弦の顔は、本当に安心しているようで。そして、葵も何故か、温かく安心した気持ちになった。

手が弓弦の顔に触れるという、今までで最も接近した状態となっているにも関わらず、今までのように心臓が飛び跳ね続けるという事が無い。

まるで、力強く優しい何者かが、弓弦と共に葵の事も見守っていてくれているような。この感じは、例えて言うならば……そう。

「……お父さん……」

誰に聞かせるでもなく、葵は呟いた。突然の湧いて出た単語に、弓弦は不思議そうな顔をする。

「父親……でございますか?」

頬に当てていた葵の手を静かに下ろし、問う。

「……うん」

少し照れ臭そうにしながら、葵は頷いた。自由になった右手を、ぬくもりを惜しむように眺める。

「……伺っても、よろしゅうございますか?」

右手を眺める葵に、弓弦は少し遠慮がちに問うた。そんな弓弦に、葵は「勿論!」と力強く頷く。

「答え惜しみなんてしてたら、いつまで経っても余所余所しいままだもんね。俺、そういうのは苦手だし。何でも訊いてよ!」

「では……」





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