ガラクタ道中拾い旅
第七話 闘技場の謀
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「……」
ヨシは、空を睨んでいる。その横顔を、ウトゥアは眺めていた。
「まぁ……そんな感じでさ。もっと詳しく知りたければ、図書室に本もあったはずだよ。……その様子だと、これ以上興味は湧かないだろうけどね」
その本の存在を、当然王も王妃も知っている。ワクァが王達の元へ帰ってきてからは、本を隠すかどうしようか、随分と迷ったようだ。だが、きっとワクァは既に知っている、知らなくてもいずれは王族として知らなくてはいけない事だと、思いとどまったらしい。
「陛下達は、親ばかだけど馬鹿親じゃないよ。何をすればワクァちゃんや国のためになって、何がためにならないかはちゃんとわかっていらっしゃる」
「……」
ヨシは、ずっと黙り込んでいる。
「……ヨシちゃん?」
「……ウトゥアさん」
顔を覗き込んできたウトゥアに、ヨシはやっと口を開いた。何かを考え込んでいるのか、難しい顔をしている。
「ワクァは……そのうち王様になるのよね?」
「このまま何事も無ければね。適性……と言うのはちょっとおかしいかもしれないけど、ワクァちゃんは王様の適性はわりとある方なんじゃないかと思うよ。それでなくても、陛下の血を分けた唯一の王子様だ。何年後かはわからないけど、王様にはなるだろうね。……何事も無ければ」
二度も口に出された「何事も無ければ」という言葉に、ヨシは引っ掛かりを覚えた。ウトゥアは、意味も無くこんなくどい話し方をする人間ではない。
「何事かが、起こる可能性があるの?」
ウトゥアは、唸りながら視線を遠くへと遣った。バルコニーで、庭の向こうで。そこかしこに、兵士や、侍女や、役人や……多くの人間の姿が見える。
「……やっぱさ、いるよね。十六年も行方不明だった王子様がいきなり現れて後継ぎになったら、不満や不安を感じる人がさ」
「……」
それに関しては、ヨシも同意だ。先ほど図書室で、自身がワクァに言ったばかりである。
「ワクァちゃんやヨシちゃんの活躍で、反乱の首謀者、クーデルは投獄された。……けど、残存勢力が残っていないとは限らない。この前、ワクァちゃんが陛下に進言したようにね」
「そいつらが……何かをするかもしれない?」
ウトゥアは、頷いた。
「残った者だけで再び反乱を起こすか、ワクァちゃんの悪い噂を流すか、暗殺を企てるか……何にせよ、気は抜けない状態だね」
「暗殺……」
ヒュッと吸い込んだ息が、妙に冷たかった。夏はとうに過ぎ、季節はあとひと月もすれば冬になる。秋が終わる頃には十六年ぶりにワクァの誕生日を祝う事ができると嬉しそうに語っていたのは、王妃だったか。
「ウトゥアさん……」
ヨシの声が、いつになく強張っている。
「何か……方法は無いの? 残存勢力を、何とかする方法……私に、できる事は……」
「……ヨシちゃんはさぁ……」
ヨシの目を見詰めながら、ウトゥアが口を開いた。
「何でそこまで、ワクァちゃんのために必死になってるの?」
「えっ……?」
思わぬ問いに、ヨシは言葉を失った。表情を見る限り、ウトゥアはヨシをからかているわけではない。本気で問うている。
「たしかに、ヨシちゃんはワクァちゃんと何ヶ月も一緒に旅をしてきたよ? それに、ワクァちゃんのお陰でヨシちゃんがちょっとしたトラウマを払しょくできたのもたしかだ。……けど、それだけだよね?」
「それだけって……」
「それだけだよ。血が繋がっているわけでも、恋人同士なわけでもない。この先ずっと一緒にいるわけじゃない。……むしろ、どんどん離れていく一方だ。何せワクァちゃんは、未来の王様なんだからね。そんなワクァちゃんのために、ヨシちゃんは何でそんなに必死になってるの?」
「それは……」
「何とかできたところで、ヨシちゃんに良い事があるわけじゃない。ワクァちゃんが殺されたりしたら、嫌な思いはするだろうけど……ヨシちゃんの人生がどうこうなるわけじゃない。むしろ、ワクァちゃんのために何かしようとする方が危険だよ? 最悪、死ぬかもしれない。たしかにワクァちゃんが死ねば、王家はまた後継ぎを失って混乱するかもしれないけど……ヨシちゃんには関係無いよね? 遊牧民族であるバトラス族は、王家が崩壊したところで大した影響は受けないんだし。なら、他の大臣や貴族みたいに、王家に忠誠を誓う必要も無い。なら、余計な事に首を突っ込んで、命を危険に晒す必要も無いじゃない」
「……」
ヨシとウトゥアは、しばらく互いの目を見詰め合った。睨み合った、とも言える。
やがて、ヨシが小さく口を開いた。
「……もの」
その声は、掠れている。いつも元気な彼女らしくない。
「知ってるもの」
「……何を?」
「ワクァは生真面目で、そのくせ馬鹿みたいに真っ直ぐだって事。何をするにも全力で、我が身は顧みない事。王様とお后様……ううん、お父さんとお母さんに会いたくて、苦しんで、悩んだ事。自分を守ってくれる人が誰もいなくて、一人で泣いていた事……。この半年ちょっとで、随分見てきたから」
二人とも、目を逸らさない。目を逸らせば、そこで話は終わってしまう気がする。
「旅をしている間に、ワクァは色々な物を手に入れたわ。人前で感情を出せるようになったし、ギルドでお金を稼ぐ術も身に付けた。友達もできたし、ウルハ族の子達と遊ぶ事で兄弟がいる感覚もなんとなく知ったと思う。それより何より、お父さん達と会う事ができて……マナーに苦戦してはいるけど、家族と暮らす事ができてる。リラと、ニナンくんとの交流以外は何も持たなかったワクァが、旅に出てからはそれまでの分を取り戻すみたいに色々な物を手に入れている……そう思わない?」
「……そうだね」
ウトゥアは、ゆるく首肯した。ヨシも、微かに頷いた。
「……全部、見てきたの」
声が、少しだけ大きくなった。
「ワクァが何かを手に入れるところ、私は全部見てきたの。ずっと一緒に旅をしてきたから。ワクァが色々手に入れたのは、旅を始めてからだから。だから……」
「ワクァちゃんが、今まで手に入れてきた物も命も、全て一瞬で失ってしまうような場面は見たくない?」
「……」
ヨシは、小さく頷いた。それを見たウトゥアは「なるほどね……」とやはり小さな声で呟く。
「ヨシちゃんからすれば、ワクァちゃんはずっと成長を見守ってきた子どもみたいなものなのか……いや、本の中で成長する姿を見続けてきた、物語の主人公かな? たしかに、それがいきなり無様に死んでしまったら、結構なトラウマになりそうだね。子どもであれ、主人公であれ」
「子どもって考え方は、嫌かも。私、ワクァより年下だし」
そう言って、ヨシは苦笑した。空気が、少しだけ緩む。
「……逆に、ウトゥアさんは……」
「ん?」
ウトゥアは、首を傾げた。ヨシは少しだけ問うのを躊躇ったが、思い切って口に出す。
「ウトゥアさんは、何でそんなに冷静でいられるの? 宮廷占い師なんだし……何か起これば絶対巻き込まれるのに……」
「そりゃ、私は大人だからね。何事も一筋縄じゃいかない事も、一旦事が起こったら、なるようにしかならない事も知ってるんだよ。ませた子どもの、口先だけのそれと違って……頭の芯からそれを理解してる。それに、一つの何かに執着する事無く、何かあれば諦める必要がある事もね」
「だから、何か起こったら仕方ないと考えてすぐに対応を考えられるし、ワクァの事も必要以上に心配しない?」
「そう。……大人の嫌なところだよねぇ。感動少なく、諦めが早いのってさ」
苦笑して、それからウトゥアは「あぁ」と何かを思い付いた顔をした。
「一つ、思い付いたよ。ワクァちゃんのために、ヨシちゃんができる事」
ヨシの目が丸くなった。ウトゥアの目が、優しく笑っている。
「何があっても、ワクァちゃんの味方でいてあげる事。味方がいるって事を、ワクァちゃんに感じさせてあげる事。……いつか、ワクァちゃんにいつでも支えてくれる奥さんができるまでね」
「……それだけ?」
ウトゥアは、大きく頷いた。
「それだけだよ。今、王城内ではっきりとしたワクァちゃんの味方は少ないからね。陛下達に、トゥモちゃんとニナンちゃん。それに、ヨシちゃんとマフちゃん。信じてもらえるなら、私も。それだけなんだ。そんな中、絶対的な味方が一人だけでもいると思えれば、それだけでワクァちゃんの負担は減るよ。……これ以上は、言わなくてもわかるよね? ずっと一緒に、旅をしてきたんだから」
「……」
ヨシは、こくりと頷いた。その顔には、いつもの明るさと力強さが戻っている。
「ありがと、ウトゥアさん!」
そう言うと、壁から背を話し、足元で暇そうにしていたマフを抱き上げた。
「まふっ?」
「そろそろワクァ達、マナーの勉強が終わる頃でしょ。たまには大いにボケてあげて、思いっきりツッコミを入れさせてあげないとね!」
何ともありがた迷惑な気遣いである。苦笑してから、ウトゥアは「思い出した」という顔をした。
「そうそう、ヨシちゃん? ワクァちゃんを心配するのは良いけど、自分の事もね」
「? 私も狙われる可能性があるって事? 大丈夫よ。最強の戦闘民族であるバトラス族、しかも民族の移動に加わらずに一人で行動してる変わり者。わざわざ狙う奴なんていないし、いたとしても返り討ちにしてやるから!」
そう言うと、ヨシは足取り軽く中庭から出て行ってしまった。後に残されたウトゥアは、また苦笑する。
「そういう意味じゃないんだけどなぁ。……まぁ、良いか」
ヨシの姿が完全に見えなくなってから、ウトゥアはふい、と空を見上げた。青い空を見詰めながら、誰にも聞こえないほど小さな声で、誰も聞いた事の無い歌を、歌う。宮廷占い師ウトゥアの、未来を告げる歌だ。
決断の刻(とき)がやってくる
君は朋友(とも)を救うため
声高らかに皆に告ぐ
君は力の頂へ
朋友(とも)は国の頂へ
そして二人は背を合わせ
更なる苦難に臨みゆく