ガラクタ道中拾い旅










第三話 親友のいる村











STEP3 記憶の断片を拾う











「その針金をどう使うつもりだ!? それに掴まらせるのは、恐らく至難の業だぞ!?」

走りながらも、ワクァはヨシに問うた。確かに至難の業だ。針金はロープなどと違い硬くて重いから、川の流れに乗せられない。かと言って、棒ほど硬くも重くもないから、流れに負けずに目的地まで突き出すこともできない。漂流者に向かって差し出すのがそもそも難しいブツだ。更に、差し出すことができたとしても、鉄製の針金はロープや棒と違ってツルツルしている。水に濡れていれば、尚更だ。掴まったところで、すぐに手から滑り離れてしまうだろう。それをこの濁流の中に突っ込んで掴まらせ、更に引き上げるなど……はっきり言って、可能性はほぼゼロだ。

そんな一連の考えが浮かんだのであろうワクァに、ヨシは呆れたような苦笑を漏らしながら言う。

「やぁねぇ。誰が掴まらせるなんて言ったのよ?」

「……?」

ヨシの言わんとする事がわからず、ワクァは思わず顔に疑問符を浮かべる。しかし、そんなワクァの表情はスルーして、ヨシはズイッと針金の束をワクァに突き出して言った。

「はい、命綱。大丈夫よ、片端はちゃんと私が持ってるから!」

「……」

短い沈黙。ワクァは、一瞬だけ言葉を失った。

「結局、泳げという事、か……!?」

「うん、そう」

心なしか言葉が途切れがちなワクァに、ヨシはさらりと頷いて返した。そして、更に追い討ちをかけるように言う。

「言っとくけど、私に泳がせようとか考えないでよね。女の子は体をむやみやたらと冷やしちゃいけないんだから!」

怪我や病気に無縁の、無敵の健康状態を誇りながら何を言う。一瞬そう考えたワクァだが、性別を口実に出された以上、これ以上の反論は下手したらセクハラに繋がりかねない。いや、寧ろヨシの奇想天外な解釈でセクハラにされかねない。そう判断したワクァは口を閉じ、無言のまま針金の片端を受け取った。

走りながら上着を脱ぎ、愛剣リラと共に一旦宙に放る。投げ出したそれは、マフがボールを追いかける犬よりも上手くダイビングキャッチした。その表情は「僕がワクァさんの上着と剣を盗られたりしないように見張っていますから!」とでも言いたそうだ。それを横目で確認したワクァは、器用に針金を自らの胴体に巻きつけ、ちょっとやそっとじゃ解けないように結び、捻っていく。負荷を減らすために靴も脱ごうかと一瞬考えたが、やめた。川底に何があるかわからない以上、裸足になるのは危険だ。徒歩で旅をしている以上、足を怪我するのは極力避けたい。

ワクァの横では、ヨシが掌にスカーフを巻きつけ針金が食い込みにくくしている。そして、スカーフの上に針金を何重にも巻きつけると、ワクァに言った。

「オッケー! 準備完了! いつでもいけるわよ、ワクァ!」

その言葉に無言で頷くと、ワクァは思い切り地を蹴り、川に飛び込んだ。濁流は思った以上に激しく、少しでも気を抜くとあっという間に自分も流されそうだ。しかも、流されかけると命綱代わりの針金が容赦なく腹に食い込んできて、はっきり言って痛い。そんな状態から一刻も早く解放される為にも、ワクァは懸命に水を掻いた。目標は川岸から一mと少し。距離だけで考えるとたいした事は無いが、如何せん、流れが速い。何度も押し流されそうになり、自分も沈みそうになり、目標を見失いかけたりしながらも、ワクァは懸命に泳ぎ続けた。途中何度か泥水を飲んでしまったが、それでもひたすらに目の前の漂流者を目指し続けた。

後で、ヨシとマフの声が聞こえる。

「あと少しよ! 気張って、ワクァ!!」

「まふっ! まふぅっ!」

まったく……自分だって命綱代わりの針金を渾身の力で引っ張りながら全力疾走しているくせに、よくもまぁ他人の応援ができるものだ。そんな考えを一瞬頭に過ぎらせながら、ワクァは改めて漂流者を見た。草の絡まった掌が、必死で水面を叩いている。

……水面を叩いている?

漂流者は、まだ意識がある! 瞬時に、ワクァはそう考えた。意識が無ければ、掌が水面を叩いているわけがない。漂流者の顔が、ちらりと見えた。相手の目は、こちらを見ている。どうやら、自分を助けようとしている者の存在に気が付いたようだ。

意識があるのなら、手をこちらに伸ばしてもらおう。即座に、ワクァはそう思った。こちらからだけ距離を詰めるよりも、向こうにも距離を詰めてもらった方が間は縮まり易い。そう判断し、ワクァは手を漂流者に向かって伸ばす。

「掴まれっ!」

そう叫び、顔を水面からできる限り上に上げて大きく息を吸う。溺れていた者が救助に来た者を確認すると、いきなり掴まる為に助けに来た者までが溺れてしまうという話を聞いた事があるからだ。予め心積もりをして、息を吸っておきさえすれば、しがみ付かれて水に沈んでも何とか対応できるだろう。あとは、息をできる限り長持ちさせる為に腹に力を込めて腕を更に伸ばした。すると漂流者は、案の定ワクァの腕にしがみ付き、ワクァを水底に沈めようとする。心の奥底で自らの判断に拍手を贈りながら、ワクァは漂流者を小脇に抱え、とにかくまずは水上に出て息を吸おうと、空いた腕と両足で思い切り水を蹴った。だが、鉄でも主食にしているのだろうか。抱えた人物は見た目によらずかなり重い。普段から重量が三sか……下手したら四sはあるであろうバスタードソードのリラを片手で振るい、腕力にはそこそこ自信があるはずのワクァの腕が重さに負けてどんどん沈んでいく。それに加えて、漂流者はパニックを起こしてもがき暴れ、救助を更に困難にしている。

『ここまでか……?』

段々息が苦しくなってきた彼の脳裏に、ふと諦めの考えが過ぎる。自分も、あの漂流者も……二人揃って、溺れ死んでしまうのではないか。頭の中では、昔の記憶のようなものが巡り始めた。これは、ひょっとしなくても走馬灯というものではないだろうか。記憶は最近のものから少しずつ過去に遡っていく。その時々に関わった人々の声が、聞こえてくる気がした。





「構いません! ファルゥ様をお助けしたいんです! 例え命を懸けてでも!」

「なら、尚更素晴らしいですわ! 努力であれほどの強さを手に入れるなんて!!」

「まふー!!」

「食べやしないよ。野生の肉なんて、味が下品過ぎて俺達貴族の口には合いやしない。それに……埋葬? 何でそんな事をする必要があるんだ? 毛皮の中身は、森の中に捨ててきたよ。今頃は他の動物の餌になってるんじゃないか?」

「ほら、私って天才だから! どんな武器でもちょっと練習すれば使えるようになっちゃうのよね〜」

「誰に向かってモノ言ってんのよ!? 任せなさいって!」

「ワクァ、一応言っておくけど、殺しちゃ駄目よ? いくら相手が山賊で、どう考えても正当防衛になるって言ったって、私達に生殺与奪の権限は無いんだからね!?」

「覚悟? そんなモン要らないわ。アンタ達程度の奴と戦う度に覚悟なんかしてるような腕前じゃ、日々是命乞いなんて事になっちゃうわよ」

「は〜い、そこでストーップ!!」

「……お前、傭兵奴隷だろう?」

「俺様達はこの山一体を支配する山賊様よ! 命が惜しけりゃ、黙って俺様達に従いな!!」

「もぉ〜……そうやってワクァはすぐにまだ使える物を見捨てようとする〜。悪い癖よ? そんなに何でもかんでも「これは要らない、あれは要らない」って見捨ててたら、そのうち後悔しちゃうんだから!」

「ほらワクァ! 早く行きましょ! 何ボケッとしてんの? 日が暮れちゃうわよ〜!」

「見てよワクァ! この鞄、可愛いと思わない!?」

「……ワクァ、元気でね! 無理しちゃ駄目だよ!?」

「特に当ても無いならさ、私と一緒に行きましょうよ!」

「餞別として、リラはお前にくれてやる。本来なら暇を出すと同時に返還させるのが当然なのだが……傭兵奴隷が使っていた剣など、誰も使いたくはないだろうからな……お前の剣技があれば、何処の土地へ行っても護衛として何とかやっていけるだろう……。それがせめてもの情けだ。わかったな?」

「ワクァは、いつも僕を守ってくれてるでしょ? だから、そのお返しだよ! ワクァがいつも頑張って僕を守ってくれてるから、僕も頑張ってワクァを守ったんだ!」

「ワクァぁっ! 大丈夫なの!? 血が沢山出てるよ!? ワクァ!?」

「……ワクァ……来てくれたの!?」

「お前は奴隷だ。奴隷が主人の命令に逆らう事は罷りならん」

「何を言ってるんだ、馬鹿! お前はこのタチジャコウ家の傭兵奴隷……今はこの部屋の護衛だろ!? この部屋にいる者全員を守る事を放棄して、当ても無くニナンを探すつもりか!? 奴隷にそんな事……許されると思ってるのかよ!?」

「何をボサッと突っ立っているんだ!? 噂が本当だった時に備え、すぐに戦闘の準備に取り掛かれ! お前はこの家の執事ではなく傭兵奴隷なんだ……こんな時に役に立たなかったら、承知せんぞ!!」

「ま、そんな先の事をぐちゃぐちゃ考えていても仕方ないでしょ? 今は、ニナンくんを守ってあげる事だけ考えてれば良いのよ。折角自分に懐いてくれてる唯一の存在なのよ? そんな子が、盗賊なんかに殺されちゃったら悔やんでも悔やみ切れないでしょ?」

「ほ〜ら〜、そんなに自分の家族が気になるのなら、私と一緒に旅に出ましょうよ〜。旅をしていれば、ひょっとしたらそのうち家族にも会えるかもしれないわよ?」





『……家族……』

酸素不足で段々頭がぼんやりしてくる中、ワクァは以前のヨシの言葉を何となく反芻した。その間にも、記憶はどんどん遡っていく。

タチジャコウ家の次男、ニナンと親しくなった。傭兵奴隷として正式に働く事となり、バスタードソードのリラを賜った。傭兵奴隷となる為に、厳しい訓練と野戦に関する教育を受けた。使用人や他の奴隷を含む多くの人々に蔑まれ、辛い目にも遭った。だが、タチジャコウ家に売られる前は……



「ワクァ……」



「!」

聞き覚えの無い……しかし、異様に懐かしい気がする声が聞こえた気がしたのと同時に腹部に軽く痛みを感じ、ワクァはハッ! と我に返った。腹部に目をやれば、命綱代わりの針金がグイグイと動き、彼を水上に誘おうとしている。ヨシだ。彼女が水中に沈んだままワクァが上がってこないのをヤバイと判断し、針金を引っ張っているのだ。針金が食い込む腹部の痛みが、ワクァに「まだ死んではいけない、諦めてはいけない」と語りかけてくる。

『そうだ……これしきの事で死ねるか……!』

更に意識が朦朧としてくる中、ワクァはギリ……と唇を噛み締め、水を蹴る足に力を込めた。腕の中の人物は相変わらず重く、ワクァの身体を水に沈めていく。だが、それでもワクァは諦めない。足だけではなく、水を掻く手にも力を込めた。水が濁っている為、どれだけ泳げば水上に出れるのかもわからない。それでも、ワクァは懸命に水を掻き続けた。その気迫が伝わったのだろうか? 気付けば、いつの間にか腕の中の人物はもがいて暴れるのをやめている。それどころか、その足は力無くも水を蹴っているのだ。

『いける……!』

ワクァの水を蹴る足が力強くなった。少しだけ、水中が明るくなった気がする。それに元気付けられ、更に力強く水を蹴り、掻く。視界はどんどん明るくなっていく。そして、ふいに指先が冷たくなった。今までの水に触れている冷たさとは違う冷たさだ。濡れた肌が風に触れた時の、あの冷たさだ。

次の瞬間、ワクァの顔は飛沫を上げながら水上に突き出していた。大きく息を吸い、腕に力を込めて中の人物を水上に引き上げる。彼もまた、新鮮な空気を思い切り吸い込んでいる。そんな彼に、ワクァは励ますように言った。

「あと少しだ。再び水に潜りたくなければ、力を抜いていろ」

言われて、泥水で顔を汚した人物はコクコクと頷いた。それを見た後、ワクァは岸を確認する。命綱とそれを掴んでいたヨシのお陰で、沈んでいる間もそんなに遠くには流されなかったようだ。それに、溜まった土砂によってできた壁のお陰で、岸周辺の流れは比較的穏やかになっている。岸までの距離は精々一m半。流れさえ無ければ二秒で辿り着けるような距離だ。ホッと肩で安堵の溜息をつき、水を蹴った。








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