ガラクタ道中拾い旅
第二話 守人の少年
STEP3 厄介ごとを拾う
7
時は、少しだけ遡る。
屋敷中の人間が集められたマロウ家の食堂では、領主であるマロウ伯を初めとして、二十人近くの人間が事の成り行きを見守るに徹していた。
盗賊達に屋敷を乗っ取られてから、早数十分。本来なら、人質達の恐怖も盗賊達の我慢も、そろそろ第一の限界を超える頃だ。が、そんな我慢だの恐怖だのを忘れたかのように、その場所に集う者達は皆、固唾を呑んで二人の人物を凝視していた。
一人は、この事件を起こした中心人物。ジャンガル盗賊団を取り纏める、「頭」と盗賊達に呼ばれている男だ。身の丈は百八十pはあるだろうか。だが、無駄な筋肉の無いその身体は、大柄な者にありがちな鈍さや無意味な威圧感は持っていない。目付きは鷹のように鋭く、短く刈り込んだこげ茶の髪と太い眉毛が男臭さを醸し出している。
もう一人は、マロウ家にとっては本日限定の客人である少女……ヨシだ。身の丈は頭より二十p近くも低い。クリーム色の少々ゆったりとしたシャツの下に成熟した女性特有のラインは見受けられないが、かと言って逞しい筋肉があるわけでもない。世間一般の同じ年頃の少女たちと比べれば引き締まっている方だとは言えるが、それでも決して強そうには見えない。普段なら丸い瞳を細めて頭を睨んではいるが、それはどう見ても拗ねた子供のそれだ。人々を悪漢から守る正義の味方の目ではない。
そんなヨシは、への字に曲げていた口を開くと腰に両手を当て、相手を攻め立てるように言った。
「何で、そこで待ったなのよ? さっき私が待ったをかけた時は聞いてくれなかったでしょ? そのクセ自分は待ってもらおうなんて、虫が良過ぎんのよ!」
そう言ってヨシが指差した先には、長い食卓の上に転がったカードが数枚と盤らしき物を描いた紙、それにテーブル胡椒などの調味料の蓋やら瓶やらに、角砂糖の六面に紅茶で丸をペインティングしたらしいサイコロがある。
どうやら暇を持て余したヨシがそこらにあるものを改造したり見立てたりして何かのテーブルゲームの用具を一式用立てたらしい。そして、こちらも暇を持て余していたのか、盗賊団の頭がそのゲームの相手として乗ってきたらしい。そのゲームのさ中に頭が待ったをかけ、それにヨシが反発して現在に至っているようだ。
頭は腕組みをして、何とか待ったをかけられないかと思案している。
「いやいやいや。こっちは随分とハンデをやってんだ。待ったの一回や二回、良いじゃねぇか」
「そっちが勝手にハンデを付けてんでしょ! とにかく、待ったは認められません!」
頭の言葉に、ヨシは即座に切り返した。盗賊団の強面の頭を相手にして、一歩も譲る様子が無い。それに少々たじろいだ様に、頭はすぐ傍で成り行きを見守っていたファルゥに問うた。
「……おい、審判! どうなんだ、そこんトコ!」
「無しですわね。ヨシ様の仰る通り、ハンデを付けたのは貴方の勝手。それに加えて、先ほどヨシ様の待ったを認められませんでしたもの。貴方だけが待ったをかけて良い道理はございませんわ」
実は審判だったらしいファルゥにハッキリと言われ、頭は軽く舌打ちをした。そして、諦めたように瓶の一本を盤に見立てた紙の上で動かす。
「……にしてもよぉ、嬢ちゃん。アンタ、相当肝が据わってんな。普通できるか? 自分達を人質に取ってる盗賊団の頭とテーブルゲームなんてよ」
「だって、暇なんだもの。だからその辺にある物で盤やら駒やら作ってたら、アンタが勝手に乗ってきたんじゃない」
駒を動かしつつまたも素早く切り返すヨシに、頭は少しだけ苦笑した。そして、自分の駒を更に動かす。
「だからって、テーブルゲームっていう神経の太さがわかんねぇな。怖くねぇのか? いつ殺されるかもわからない。しかも聞けば、俺様達が八つ裂きにしようとしている少年剣士は嬢ちゃんの仲間だって話じゃねぇか。……仲間が死ぬんだぜ?」
脅すように、頭は言う。だが、ヨシは動じない。ケロリとした顔で、また一つ駒を動かした。
「別に。他の人が心配だから残ってるけど、その気になればいつでも逃げ出せるし。それに、ワクァだってそう易々と捕まったり、私達の為に死を選んだりしないわよ。ワクァは、自分が傷付く事で誰かが悲しむ顔を知ってるから」
「……だから、平然として遊んでるってか? そのワクァって奴は、相当信頼されてるようだな」
少しだけ進展があったのだろう。頭はカードの山から一枚だけ引き、そこに描かれたマークを見て駒を三つ動かした。その様子を嫌〜な顔をして見ながら、ヨシはサイコロを振った。
「まぁね。何だかんだ言って、何ヶ月も一緒に旅してきたわけだし。ワクァには護衛って名目で何度か無駄に守ってもらってるから、その強さは十二分にわかってるしね」
言いながら、ヨシはちらりと窓の外を見た。屋敷の外に、一人の男性が見える。不安そうな顔をしているが、その他に信頼や希望のような物も垣間見える。男性は、暫く迷ったように辺りを行ったり来たりしていたようだが、意を決したようにその場から歩き始めた。その様子を見て、ヨシは密かに笑みを浮かべた。そして、さり気無く一歩下がり、ちょっとした動きでファルゥにも数歩下がらせた。
そんなヨシの行動には一切気付かず、頭はサイコロを振り、再びカードを引いた。そしてカードを見るとニヤリと笑い、駒を動かし始める。
「だが、結局は時間の問題だぜ? 例えそいつがどんなに強くても、人質を見殺しにする事はできねぇだろう? ……となれば、屋敷に攻め込むのは無理。下手に事を起こせば人質が殺されるからな。考えあぐねているうちに、領主を助けたい街の奴らに捕まって……」
一息だけ言葉を切って、頭は手に持っていた駒で盤上のある駒を叩き落とした。ヨシの操る駒の中でも「要」と呼ばれる最も重要な駒で、実際に戦争に当てはめるなら王様に当たる。この駒を取られたら、ゲームオーバーだ。
「ジ・エンドだ」
ヨシの「要」の駒が陣取っていた場所に自らの駒を置くと、頭はニヤリと笑ってヨシを見た。ヨシはと言えば、さほど悔しそうな表情は見せず、「あ、やっちゃった」とでも言いたそうな顔をしている。
「あら、負けちゃった。まぁ、良いわ。実戦で勝てば良いわけだし」
「……実戦?」
頭が怪訝な顔をして呟くと、ヨシは少し思案した後、「もうばらしても良いか」とでも言うようにさらりと言ってのけた。
「決まってんでしょ? きっともうすぐワクァが乗り込んできて、ここは戦場になるわ。そのワクァが乗り込んできて戦闘になるまでの間の時間潰し兼、他の人質からアンタ達の目を逸らす時間稼ぎになれば、別にゲームに勝とうが負けようがどうでも良いのよ、私は。ま、アンタがゲームに乗ってくれるかどうかは一種の賭けだったけど」
ヨシの言葉に、頭はハッと窓の外を見た。相変わらず、窓の外は静かだ。だが、静か過ぎる。領民達に慕われている領主が人質に取られたのだからもう少し空気がざわついていても良いものなのに、その気配がまるで無い。あまりにも落ち着き過ぎている。それに、街の住民達にワクァを捕らえるよう書簡を送ってから既に一時間以上が経過しているのに、未だに何の音沙汰も無い。一時間毎に報告するように言ってあるにも関わらず、だ。
この頭は、決して頭の悪い人間ではない。だからこそ、ヨシの言っている意味がわかった。つまり、彼はヨシの罠に嵌められたのだ。結果、ゲームに興じている間にワクァが領民達を落ち着かせ、更にこの屋敷に囚われた人質達を助け出す為の突破口を開く時間を与える事になってしまった。
事実に気付いた頭は、怒りで震える手で腰の剣を抜き放った。顔は、真っ赤に染め上がっている。
「こっ……この小娘がっ!!」
頭は、怒りに任せて剣をヨシに向かって振り下ろした。だが、その動きを読んでいたのか。ヨシは咄嗟にテーブルの上の二又になった燭台を手に取り、それで剣を受け止めた。
「何っ!? 燭台で!?」
思わず頭は呟き、一歩引くと再び剣を振り下ろした。するとヨシは振り下ろされた剣を燭台の又に通し、素早く捻った。刃は上下から抑え付けられた形になり、ちょっとやそっとの力では引く事ができない。
勿論、体格から考えても頭の力はヨシよりも強い。だから、いつもより余計に力を加える事で、剣を燭台から外す事は容易くできた。だが、武器ではない燭台を武器として容易に扱うこの少女に警戒を覚えたのか、頭は慎重に剣を構えなおした。彼のそんな様子を見て、ヨシは燭台を肩に担ぐと不敵に笑って見せた。
「武器を持っていないから、私は非戦闘員だと思ってたでしょ? 残念でした! 武器なんか無くても、何か物さえあれば充分戦えるのよ! バトラス族の人間はね!」
ヨシの言葉に、瞬時にその場がざわめいた。盗賊達は交互に顔を見合せ、口々に言葉を交わしている。
「ばっ……バトラス族!?」
「……つったら、あれか!? 地上最強の戦闘民族の……」
「どんな武器の素質も持ち合わせ、戦闘においては敵無しっていう、あの……!?」
口々に自らの知るバトラス族の情報を話し合う盗賊達を見ているうちに、段々ヨシの顔が不機嫌そうに歪み始めた。頬をぷうっと膨らませ、不満そうに口をとがらせる。
「は〜い、五十点! まったく……何でどいつもこいつも、バトラス族って言うとそこの部分しか知らないのかしら? バトラス族最大の特徴は、どんな物でも武器に変え、どんな状況でもそれを使いこなす技術とセンスよ! 基本的にバトラス族の褒められる部分って言ったらこれしか無いんだから、よく覚えておきなさい!」
ビシィッ! と何処かへ向けて指差すヨシを、盗賊達も屋敷の者達も唖然として見ている。それは、ファルウも同様だ。
「バトラス族……」
その呟き声に気付いたのか、ヨシはくるりとファルゥに顔を向けると、おどけた調子でファルゥに言った。
「あ、バトラス族ってのはワクァには内緒ね。私、あんまり自分の民族が好きじゃないから。一緒に旅するワクァには、バトラス族って目で見られたくないのよ」
声の調子はおどけているが、その中には「ばらしたら絶対に許さない」とでも言わんばかりの底冷えする何かがある。バトラス族である事で、彼女に昔何があったのか……。思わずファルゥがそれを口に出して尋ねようとした時だ。
「てめぇら、何ビビってんだ! バトラス族がどうした! ただのこけおどしかもしれねぇだろうが!」
部屋中に、頭の怒鳴り声が響き渡った。流石に盗賊団をまとめる頭なだけの事はある。彼の声に鼓舞されたかのように、盗賊達は次々に我を取り戻し、手に手に短剣を取って構えだした。
「そっ……そうだ! バトラス族だからって、全ての奴が化け物並みに強いとは限らねぇ!」
「あぁ! 実際に打ち合ってみたら、夕方のあのシグとかいう小僧ぐらい弱ぇかもしれねぇしな!」
盗賊の一人が言ったこの言葉に、ファルゥがぴくりと反応を示した。彼女は眉を顰め、盗賊達を力の限り睨み付けている。しかし、そんなささやかな反抗に気付くような盗賊達ではない。
「そういやぁ、あの小僧がいねぇなぁ。俺達が攻め入ったからって、尻尾を巻いて逃げだしたんじゃねぇか?」
その言葉を切っ掛けに、盗賊達は皆、さも愉快そうにげらげらと笑い出した。その様に、ファルゥはギュッと拳を握り締めると、爆発したように盗賊達に向かって怒鳴り付けた。
「シグを馬鹿にしないでくださいませんこと!? シグは絶対に逃げ出したりは致しませんわ! 今この場にいないのは、きっと彼に何か考えがあっての事……決して貴方がたに恐れをなしたからではありませんわ!」
使用人達がハラハラと見守る中、ファルゥははっきりとそう言ってのけた。すると、頭は不快な顔をしてファルゥを睨み付けた。
「来るわけねぇさ。話を聞くにその小僧、傭兵奴隷なんだろう?」
「シグは傭兵奴隷などではありませんわ! あの子はわたくしの大切な友人で、弟です! 確かに、名目上は傭兵奴隷という事になっていますけれど……。大体、あの子が傭兵奴隷だったら何だと言うのです!? そんな事はあの子が逃げ出す理由にはなりませんわ!」
今にも掴み掛りそうな勢いで、ファルゥは頭に向かってまくし立てた。だが、頭は冷静だ。少女にどれだけ詰め寄られても、顔色一つ変わらない。
「なるさ。逃げ出すには充分な理由にな」
「何故!? 貴方に何がわかると言うんですの!?」
逆上したように、ファルゥが問う。すると、頭はふっと遠い目をした。そして、暫しの沈黙の後に皮肉めいた笑みを浮かべて言った。
「わかるも何も、傭兵奴隷ってやつはそういうもんだ。何せ、扱いは奴隷並み……主人には良いように使われて、その苦しみを分かち合う仲間すらいねぇ。広い屋敷という名の狭い世界にたった一人で閉じ込められて、妬まれ、蔑まれ、主人の顔色を気にしてばかりの毎日だ」
そう言う頭の言葉に、ヨシは一つ一つ当てはまる物を思い出した。何せ、彼女の旅の仲間は、三か月前までまさにその傭兵奴隷だった。彼の傭兵奴隷時代を、ヨシは知っている。彼女が知る傭兵奴隷時代の彼は、主人に頭ごなしに怒鳴られ、命令され、時にはその容姿が原因で主家の跡取り息子に良いように遊ばれていた。一々主人の顔色を気にして、それでも常に「奴隷のくせに」と蔑まれ、同じ奴隷の仲間達からは「何故あいつばかりが」と妬まれていた。
もし、自分がその立場だったらどうだろう? きっと彼のように耐える事はできず、さっさと隙を窺って逃げ出していた事だろう。だが、そう考える事ができるのは、彼女が外の世界を知っているからだ。外の世界での生き方を知っているからだ。だから、逃げ出そうと考える事ができる。物心が付く前に傭兵奴隷として売られた彼は、外の世界を知らなかった。逃げ出した後にどうすれば生きていけるのかを知らなかった。だから、逃げる事ができなかった。耐え続ける事しかできなかった。
それでも、もし千載一遇のチャンスがあったとしたら、彼だって逃げ出そうと考えるくらいはしたかもしれない。そう思えるほどに、あの時の彼は見ているのが辛くなる状況に置かれていた。
そこまで考えが及んだ時、再び頭の声がヨシの耳に届いた。
「そんな過酷な環境だ。もし主人一家が死にそうになったとなれば……これ幸いと逃げ出して、奴隷の身分から解放されようって考えるのが普通だろうが」
それが普通かどうかは、わからない。彼の性格なら、最後の最後まで死力を尽くして主人達を守ろうとするかもしれない。何せ、体を張って主人一家の一人を守り、死にかけた事のある人間だ。もっとも、その時は守る対象が唯一彼が心を開いている人間だったからかもしれないが。
それにしても、引っ掛かる。一見似ても似つかない彼女の仲間がひょっとしたら持ち得たかもしれない心情を、何故この盗賊団の頭がここまで語る事ができるのか。
「……随分と傭兵奴隷の心情に詳しいみたいね。それに、こんな知的教養の必要なゲームができる上に、ハンデ付きで勝つ事ができるなんて……ただの盗賊じゃないわ。……アンタ、何者?」
問われて、頭は胸糞悪そうな顔をした。そして、剣を振り上げ、ヨシに斬りかかる。
「傭兵奴隷だよ。「元」は付くがな!」
言葉と共に強く振り下ろされた剣を、ヨシは燭台で受け止めた。ギィン、という鈍い音が辺りに響く。ヨシは体をひねって頭の剣を外し、頭が薙ぐ剣の嵐を舞うように掻い潜る。
「なるほど? 傭兵奴隷は主人である貴族の恥にならないよう、それなりに知的教育も受けるって言うし? それに、アンタが元傭兵奴隷だって言うなら、屋敷の門番があっという間にやられちゃった事も頷けるわ。一対多数の野戦は、傭兵奴隷の十八番だものね」
知恵はどうだかわからないが少なくとも知識に関してはヨシよりも深い物を持つ仲間の姿を思い出しながら、ヨシは頭の姿を改めて見た。なるほど、前職が同じだと思えば、時折見せる表情などが似ているような気がしなくもない。それに、自分がそうだと思い込んでいるらしいこの屋敷に仕える少年とも。だが。
「そういう事だ。仕えていた国で内乱が起こり、俺様はその機に乗じて逃げ出した。そしてこの国まで流れてきて、俺様と同じように金持ちの家から逃げ出してきた奴隷達と大盗賊団を作ったのよ」
だが、得意げに語る頭の顔を見て、ヨシは「やはり違う」と感じた。元は同じかもしれないが、この頭は彼女の仲間やこの屋敷の少年と比べて、明らかに違う。その理由は、恐らくは……
「……貴方とシグを一緒にしないでいただきたいですわね!」
静かな、だが凛としたファルゥの声が響き渡った。それにより、それまでの室内のざわめきを瞬時に収める。そう、これだ。と、ヨシは思う。
「……何?」
「もう一度申し上げましょうか? 貴方なんかとシグを一緒にするなと申しましたの。シグは決して、わたくし達を見捨てたりはしませんし、貴方がたから逃げ出したりもしませんわ。あの子は貴方がたとは違う……。わたくしは、シグを信じておりますわ!」
信じてくれている人がいる。それが、彼らと彼の……ワクァやシグと、この頭の違いだとヨシは思う。シグには、ファルゥを初めとするマロウ家の人々がいる。この様子なら、ひょっとしたら街の人々もシグの味方かもしれない。ワクァとて、孤立していたとは言えニナンという存在があった。自分を信じてくれる存在がある。支えてくれる人がいる。ただそれだけの事で、ワクァやシグはこの頭よりも一回りも二回りも人間として大きく成長できた。そんな気がする。
だが、それを感じたのは、その場ではヨシただ一人のようだ。見まわしてみれば、屋敷の人間達はファルゥの発言にハラハラおどおどしているし、盗賊達は頭から下っ端まで、皆一様に不快を露わにした顔をしている。
やがて、堪忍袋の緒が切れたらしい下っ端の一人が、憎しみの籠った表情でファルゥに歩みを近付け始めた。その手は、ヒタヒタと短剣を弄んでいる。
「おとなしく聞いてりゃあ、好き勝手言ってくれやがって。この小娘が……!」
その殺気を隠そうともしない声音にハッと顔をこわばらせると、ファルゥは咄嗟に木剣を構えた。屋敷が盗賊達に乗っ取られて以来、常にお守りのように手放さずにいたファルゥの愛剣だ。
木剣を構えるファルゥの周りには屋敷の人間達が駆け寄り、ファルゥを守るように盗賊の前に立ち塞がった。更にその前にはマフが踏ん張り、威嚇するように唸っている。
だが、パンダイヌが元々気性がおとなしく襲ってくる事のない動物だと知っているのか、盗賊はマフを恐れる様子が無い。力任せに使用人達を押しのけ、時には殴り飛ばした。
「カヴェン! ハヨウ! クキイ!」
ファルゥが心配そうに使用人達の名を呼ぶと、彼らは上体を起こしながら懸命に叫んだ。
「ファルゥ様、お逃げ下さい!!」
「ですが……!」
躊躇うファルゥに、盗賊は容赦なく短剣を振り下ろす。ファルゥは慌てて木剣を掲げ、辛うじてそれを受け止めた。
その様子を、ヨシは燭台を構えたまま見ている。助けに走りたいのは山々だが、自分と対峙している頭に隙が無い。流石は元傭兵奴隷と言ったところだろうか。場馴れしている。
それでも何とか隙を生み出す事はできないかと、ヨシは口八丁で丸めこもうと口を開いた。
「……あれ、放っといて良いわけ? まずいんじゃないの? 人質を傷付けたりしたら、いざって時に有利な交渉ができなくなるわよ?」
だが、そう言われたところで頭は全く怯む様子が無い。涼しい顔をして、ヨシの攻撃に備え剣を構えている。
「構わねぇさ。どうせ最後にゃ腹立たしいお貴族さまも、それに仕える奴らも……全員殺すつもりだったんだ。それに、お前の話によれば、ワクァって奴は今この時にもこの屋敷に侵入しようとしている。向こうから来てくれるんなら、餌を残しておく必要なんか無ぇ……そうだろう?」
その言葉に、ヨシは冷や汗が流れるのを感じた。これは、ひょっとしなくてもまずい。この盗賊達はワクァを標的にしているだけなのだろうとタカをくくっていたが、どうやらそれだけではないらしい。この機に乗じて、昔自分達を苦しめた者と同じ立場にある者達――貴族とそれに仕える者――を殺して、鬱憤を晴らそうとしているのだ。ワクァを呼び出す口実としてマロウ家の人々を人質に取り、そこにまんまとワクァがやってきたところでワクァ共々マロウ家の人間達も殺す。それが、盗賊達の計画の全貌なのだろう。
気付くのに遅れた事が、そのまま対処への遅れとヨシの油断に繋がった。今更気付いたところで後の祭りだが、それでも悔しさと後悔が湧きあがってくる事に変わりは無い。顔を顰めたヨシを見て、盗賊の頭は満足そうに頷いた。そして、手下達を鼓舞するように言う。
「そういうわけだ。テメェら、遠慮なくやっちまえ!!」
「へい!」
下っ端達は威勢良く返事をし、皆手に手に短剣を取って屋敷の者達に襲い掛かった。襲われた者は、マロウ家の人間、使用人、身分に関わらず悲鳴をあげて逃げ惑った。このままでは、遅かれ早かれ死人が出る。戦える者が、戦えない者を守らなくては……。そう思ったのだろう。突如、ファルゥが木剣を滅茶苦茶に振り回し、目の前の盗賊に突っ込んだ。だが、多少余裕が残っていた夕方の時ですらいなされていたファルゥの滅茶苦茶な剣術だ。そんな剣術がこんな時に急に昇華する筈も無く、先と同じようにあっさりとかわされ、木剣を弾き飛ばされた。
「あっ……!」
悲鳴に近い叫び声をあげて、ファルゥが尻もちをついた。そのすぐ眼前には、残忍な顔をした盗賊が今にも自分の命を奪おうと剣を振りかざしている。
「剣術ごっこはおしまいだ、お嬢様。どうしても剣を振いたかったら、あの世で思う存分振るうと良い。お前が信じている、傭兵奴隷のガキと仲良くな」
そう呟いて、盗賊は躊躇いも無く剣を振り下ろした。風を切る音が、嫌でも耳に届いてくる。ファルゥは思わず目を閉じ、祈るように呟いた。
「……シグ……!」
その瞬間だ。突如、食堂に入るための扉が弾け飛んだ。どうやら蹴破られたらしいその戸板を踏みつけ、蹴破った犯人と思わしき者達は疾風の如く部屋に駆け込んだ。疾風はやがて二つに分かれ、片方は屋敷の者達を襲っていた盗賊達を瞬時に薙ぎ倒した。そして、もう片方は……。
「たぁぁぁぁっ!」
精一杯の雄たけびをあげながら盗賊とファルゥの間に割り込み、すぐさま盗賊に打ちかかった。数秒遅れながらもそれに気付いた盗賊はすぐさま剣を構え直し、打ちかかってきた剣を受ける。そこで、ファルゥは初めて二つの疾風の正体をはっきりと目にした。
そこにいたのは、黒い丸縁眼鏡をかけた少年と、誰もが注目せずにはいられない、黒髪の美しい少女だった。