フェンネル謎解記録帳3~学び舎の花巡り~
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二月下旬。園芸部の三年生で、三組に所属している先輩が私立に合格し受験を終えた、という話を聞き付けた涼汰と山下は、早速三年三組の教室に足を向けた。一応、まだ受験が終わっていない生徒の事を考えて、授業が終わってかなりの時間が経ってからだ。
南校舎三階にある三年三組の教室へ行ってみれば、そこには既に園芸部の先輩、速水しか残っていなかった。
「速水先輩、すみません。無茶言っちゃって……」
二人して頭を下げると、速水は「いいって」と笑ってくれた。
「受験が終わっちゃえば、三年生はヒマだしね。それで、教室の中で宝探しをしたいんだっけ?」
「はい」
頷くと、涼汰はポケットから、十二月に掘り出したメモ用紙を取り出した。
霧を生みたる葵の学び舎。
朗々たる音響く箱。
横に築きし朱塗りの宮の。
筆と寄り添い睦み合う。
今のところ、解けているのは一行目だけだ。今日だけで残りの三行を解いてしまおうと、涼汰と山下は気合を入れる。
「えぇっと……朗々たる音響く箱……速水先輩、この教室に、CDプレーヤーとかって常備されてますか?」
「CDプレーヤー? 無いわよ、そんな物。この教室に常備されてて、音が出る物なんて、あれぐらいじゃないかしらね?」
変な物を見る目で二人を見ながら、速水は黒板の上を指差した。校内放送を流すためのスピーカーが設置されている。なるほど、たしかに〝朗々たる音響く箱〟だ。
「……え? って事は、〝横に築きし朱塗りの宮〟って……」
眉根を寄せながら、涼汰は視線を少しだけ横にずらした。
何と、スピーカーの横に神棚が設置されている。朱色に塗られたお宮の模型まで飾られていて、かなり立派だ。ほこりの積もり具合を見ると、このクラスの誰かが作って置いた物ではなく、かなり前からここにあるのだろう。
「あぁ、あのミニ神社? 三年生の教室全部に設置されてるわよ。四月になったら、山下も毎日見る事になるわね」
「あぁ、受験必勝祈願的な……」
うんざりした顔で、山下はミニ神社を眺めている。そして、うんざりした顔のまま、速水に問うた。
「ところで、神社ってたしか、ご神体とかあるんスよね? あの神社にもあるんスか?」
「あるわよ」
速水はあっさりと頷いた。
「バチが当たるから覗くなって言われててね。それでも、中身を知らないと覗きたくなるのが人のサガでしょ? だから、四月早々に先生が教えてくれたわ」
「それってもしかして……筆、ですか?」
「そうよ。知ってたの?」
驚く速水の前で、涼汰と山下は頷き合った。そして、椅子を一脚ミニ神社の前まで持ってくると、山下がそれに登り、ミニ神社の本殿部分に手を突っ込む。
「ちょっと、山下! 何やってるのよ? バチが当たるわよ! やめなさい!」
「すぐ降りますってー。……っと、あった!」
何かをつかむ動作をすると、山下はひょいと椅子から飛び降りた。手には、小さな紙を持っている。……あのメモ用紙だ。
「やったな、浅海。ビンゴだぜ」
言いながら、早速二人でメモ用紙を覗き込む。
ホタルブクロ
ダブルシャイン
ハオルチア
スノードロップ
エゾムラサキ
「……何だこれ……」
「今までずっと詩歌風だったのに……いきなりカタカタ語の羅列!?」
凍り付いたようになった二人の横から、少し怒ったような顔をした速水が覗き込んでくる。
「あんたらねぇ、さっきから何なのよ? 一体何を見て……あれ? そのメモ帳……。そうか、宝探しって……春に見付けたアレの続き、まだやってたんだ?」
「あ、はい……」
速水によく見えるようにメモの角度を変えながら、涼汰は頷いた。
「うわ、何これ……」
メモの中身を見て、速水は顔をしかめた。
「一番目と、四番目と五番目は植物の名前で聞いた事あるけど……何? これって何か意味あるの?」
「ある……と思うんスけどね……」
困ったような山下の顔を見てから、自身も困った顔をして。涼汰はこれまでの経緯を話した。そして、今までに出てきた暗号のメモ用紙も見せる。それらを見て、速水はまた顔をしかめた。
「ふぅん……何を考えて、こんなの残したのかしらね、佐原先輩は」
「そうなんですよねぇ………………え?」
「ん? 何?」
二人分の視線に気付いて、速水は顔を上げた。目の前で、涼汰と山下が目を見開いている。
「ちょっと……どうしたのよ、あんたら?」
「速水先輩……ちょっとうかがいたいんスけど……」
「これを埋めた人……佐原さんっていうんですか!?」
「そうだけど……え? 浅海はともかく、山下も知らなかったの!?」
「初耳っスよ!」
そこで、三人で顔を見合わせ。同時に深呼吸をした。
「オーケー、落ち着きましょう。まず、どこから話せば良い?」
「とりあえず……その佐原さんって、何者なんですか?」
涼汰の質問に、速水は「うん」と頷いた。
「私の、一つ上の先輩よ。……と言っても、園芸部じゃなかったんだけどね。園芸部だったのは、同じ学年だった水谷先輩。……こっちは山下、あんたも覚えてるわよね?」
「……はい」
山下の顔が、少し強張った。何なのだろうか。
「この水谷先輩が、例の佐原先輩と友達だったのよ。佐原先輩は体が弱くて、どこの部活にも所属してなかったんだけど……仲の良い水谷先輩がいたから、よく園芸部に出入りしていたわ」
「その佐原先輩が、これを埋めたんですか? ……どうして……」
「正確には、最初に浅海が掘り出した物だけが佐原先輩が埋めた物。夏と秋の花壇に埋まってたって言う箱は、体の弱い佐原先輩の代わりに、水谷先輩が埋めたんでしょうね」
そう言って、速水は四枚の暗号メモを見た。教室の中が薄暗くなってきたから、そう見えるだけだろうか。悲しそうな顔をしている。
「どうしてこんな物を埋めたのかまでは、わからないわ。ただ佐原先輩は、こう言ってた。もしこれを掘り出した人がいたら、怒らないで、好きなようにさせてあげてね、って」
「それって……」
「自分で考えた、暗号を辿っていく宝探し。誰かに、挑戦してもらいたかったのかもね。だから、浅海がそれを見付けた時も黙ってたんだけど……」
「……あー。佐原先輩って、ひょっとしてあの人っスか? よく水谷先輩と一緒にいた、色白で小さい……」
速水は、頷いた。そして、「そっか」と呟く。
「よく水谷先輩と一緒にいて、園芸部にいるのが当たり前になってたから……佐原先輩が何かしてても、気にならなかったのかもね。だから、山下も覚えてなかったんだわ」
「それで……その佐原先輩は、今は……?」
自分の仕掛けた宝探しに挑戦して欲しかったのであれば、それが解かれる瞬間を見たい事だろう。だが、速水は顔を暗くして、首を振った。
「……亡くなったわ」
「……え?」
ぞくりと、背中が寒くなった。うつむいたまま、速水は早口になる。
「元々、体が弱くて……中学を卒業するまで生きられないって言われてたそうだから。去年の二月中旬にあの箱を春の花壇に埋めに来て、これなら卒業できるんじゃないかって思ってたんだけど……その一週間後に容体が悪化して……ね……」
「そんな……」
この暗号を作った人間は、もうこの世にいない。つまり、この暗号を作った真の意図は、永久に知る事ができないのだ。
「……いや、知っているのは、佐原先輩だけじゃない……」
呟き、涼汰は顔を上げた。
「その……水谷先輩は? 佐原先輩と仲が良くて、暗号を埋めるのを手伝ったのなら……その暗号にどんな意味があるのか、水谷先輩は知っているかもしれませんよね?」
「……」
「……」
速水と山下が、二人揃って黙り込む。速水が、首を横に振った。
「……ダメなの」
呟く声が、弱々しい。
「水谷先輩も、亡くなってるの。佐原先輩があの箱を埋めた二週間前に、交通事故で……」
「なっ……」
絶句し、そして涼汰は理解した。
初夏からずっと涼汰を振り回してきた、この暗号たち。その真の意図を知る者は、最早この世界に、一人も存在しないのだという事を。