フェンネル謎解記録帳3~学び舎の花巡り~
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フェンネルへ着いて、乾に通されたバックヤードで涼汰と山下が真っ先に見た物。それは、テーブルに突っ伏してうめいている、和樹の姿だった。時折「あー」「うー」という声を発する以外は、ぴくりとも動かない。
「い、乾のおっちゃん……間島さん、どうしたの?」
「あー……うん、まぁ何て言うか……。この時期の大学生が罹りがちな症状と言うかねぇ……」
バックヤードを覗いて苦笑しながらも、乾はレジカウンターで手際よくフラワーアレンジメントを行っている。もうすぐクリスマスである事だし、注文が入っているのかもしれない。
「冬休み直前の大学生って、後期の試験勉強とか、レポートなんかの提出物とか……結構忙しいんだよね。それでヘロヘロになってたところで、昨日ゼミの年末飲み会に行って、調子に乗って、二日酔い。おまけに、風邪も貰ってきちゃったんだってさ」
「それって大丈夫……じゃないっスね。どう見ても」
「……と言うか、あの状態の間島さんから、それだけの情報をよく引き出せたね。乾のおっちゃん……」
「涼汰くんは会った事あるよね? 三宅さん。あの子がさっき、アルバイト先のお店に飾る用の花を買いに来て、教えてくれたんだよ。女の子たちの前で良いとこ見せようとして、日本酒とワインとチューハイをチャンポンしてたって」
「うわ、姉ちゃんが悪酔いする時と同じ飲み方だ……」
「ありゃ、たしかに残念なイケメンだな」
結構大きな声で言ったのだが、和樹がこちらを見る事は無い。頭に響いたようで、痛そうにうめいている。
「和樹くんさぁ……さすがに、その調子じゃ仕事は無理でしょ。今日はさっさと帰って、体を休めなよ」
「……ふぁい……」
やっとうめき声以外の声を発した和樹がのろのろと立ち上がり、ロッカーの方へと歩いていく。
「……あの様子だと、今日は暗号解読は無理かなぁ……」
「あぁ、どう見ても無理だね。……せっかく来てもらったのに、ごめんね?」
申し訳なさそうに言う乾に、二人は首を横に振った。そうこうしている間に、着替え終わった和樹がバックヤードから出てくる。
「じゃあ、済みません。今日はこれで失礼します……」
「うん、お大事に。ちゃんとお医者さんにも行くんだよ?」
乾に頷き、涼汰たちには「ごめんね」と言って。和樹は家に帰ってしまった。こうなると、何のためにここまで来たのかわからない。
「あー……ところでさ、暗号解読って事は、夏の終わりに解いた暗号の場所、掘ったんだね? また暗号が出てきたんだ」
見せて、と言う乾に、二人は苦い物を食べたような顔になった。「えー……」と声を揃える。
「乾のおっさんに見せてもなぁ……」
「いつも、暗号の意味する事に気付くの、一番遅いですしねぇ……」
二人の言葉に、乾は絶句した。フラワーアレンジメントをする手が止まってしまっている。
「そ、そういう事言わないでよ! 言っておくけど、花の知識だけなら、僕の方が和樹くんよりも詳しいんだからね!」
「そうやって、ムキになっちゃうのもなぁ……」
呆れながら、涼汰はメモ用紙を乾に見せた。予想通り、さっぱりわからん、という顔をしている。
「まぁ、解けないのは予想済みなんだけどさ……乾のおっちゃん、せっかくだから、一つ訊いても良い?」
「ん? 何だい?」
馬鹿にされた事をそれほど気にしていない様子で、乾がにこやかに応じた。そこで涼汰は、メモ用紙の一行目を指差して見せる。
「この〝葵〟ってさー、植物か何か? ほら、今までの暗号って、両方とも花とか椿とか、植物に関係ある言葉が混ざってたしさ」
「お、そう言えば。今回、植物っぽい漢字ってこれぐらいだもんな」
二人の言葉に、乾は「あぁ」と頷いた。
「そうだよ。葵は植物の事で……花だったら、タチアオイって花があるよ。ほら、あれ」
そう言って、乾は店の奥を指差した。そこは通常よりも室温が高めに設定してある、春や夏の花を冬に置いておくためのコーナーだ。そこに、植木鉢に植えられた花が置いてある。丈は、一メートル以上あるだろうか。ピンクや白の花が、きれいで可愛らしい。
「きれいでしょ? 他に、ハイビスカスやフヨウ、食用のオクラなんかも、同じアオイ科の仲間だよ。元々きれいだった花が園芸用に品種改良されて、更にきれいになっているんだ。日本でも、かなり昔から好まれている花なんだよ」
「昔って、どれくらい?」
「さぁ……徳川家の家紋が葵だし、遅くても江戸時代が始まる頃にはもう日本にあった事になるよねぇ。……いや、たしかもっと古かったよ。奈良だか平安だかの時代の物語に、葵って言葉が出てきていたらしいし。もっとも、最初は観賞用じゃなくて薬用だったらしいけどね」
こういう話は、それこそ文学ゼミ学生の和樹の専門なのだが……と、乾は和樹が去っていったドアを恨めしげに眺めている。
「奈良か平安かぁ。そういや、こないだの暗号も、平安絡みだったよな」
「あれは平安時代じゃなくて、平安神宮だったけどね」
ひとしきり喋ってから、三人揃って腕組みをし、うなる。
「わかんねぇなぁ……」
「やっぱり、間島さんが元気になってから出直しましょうよ、先輩」
「けど、元気になっても、怒涛のレポートアンド試験勉強期間は一月いっぱいぐらいまで続くよ?」
「げっ……そんなに待ってられねぇよ。冬の花壇、何も植えずに放置してあるんだし」
山下の顔がひきつった。たしかに、これから一ヶ月半、何も植えずに放置しておくというのは、あまりよろしくない。
「じゃあ、今年の冬はうちの店から鉢植えの花を大量に買っていって、花壇の前に並べておくっていうのはどう? 顔見知り価格で、お安くしておくよ?」
「中学校の園芸部に、鉢植えばっかりたくさん買えるような予算は無いよ。乾のおっちゃん……」
「高校でも無いと思うよ」
「わかって言ってたんスか……」
あははと笑って、乾は手を振った。
「鉢植えは冗談だけど、買いたい花があればおまけしてあげるよ? 卒業式の時とか、先輩に渡す花が要ったりするでしょ?」
「そうっスね。……じゃあ、その時には、お願いします」
そう言って、山下は頭を下げた。そのまま何となく、涼汰と山下は店の外に出てしまう。
「今日は、これ以上ここにいても暗号は解けそうにねぇなぁ……」
「ですね。……どうしましょう?」
「ま、そうだな。間島さんが一月まで忙しいってんなら、迷惑かけるわけにもいかねぇし。何とか俺達だけで、頑張ってみるしかねぇか」
「……冬の花壇、どうします?」
「明日、改めて作業する。解読の結果、冬の花壇に埋まっている事がわかったとしたら……うん。そん時は、二月下旬までお預けだな」
「……二月下旬って、学年末テストがありますけど……」
涼汰の不安げな言葉に、山下は鼻息荒く笑って見せた。
「関係無ぇよ、そんな事!」
頼もしいが、この先輩は来年、受験は大丈夫なのだろうか。