フェンネル謎解記録帳3~学び舎の花巡り~
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昔は、土曜日でも午前中は授業があったのだと言う。涼汰は土曜日が毎週休めるようになって良かったと思うが、昔を知る先生に言わせると、土曜日は「午後にたっぷり遊べる」というワクワクが大きくて、むしろ一日休みの今よりも楽しかったのだそうだ。一々電話やメールをしなくても、学校で友達と遊ぶ約束や打ち合わせができるという利点もある。
そんな馬鹿なと思っていた涼汰だったが、園芸部で休日登校した今なら、少しだけその気持ちがわかるような気がする。
一日休みだと、つい一日中家でダラダラ過ごしがちだ。しかし、部活でも授業でも、一度学校に来てしまえば、その後別の場所へ出向くのがそれほど面倒ではない。結果として、有意義な一日を過ごせるような気がする。
今日だって、園芸部の活動が無ければ、家を出るのが面倒で、結局一日ゴロゴロしていたかもしれない。そうなると、きっと例の花屋には行こう行こうと思いながら、行かずじまいになってしまっていた可能性だってある。半日だけ授業というのも、案外悪くないのかもしれない。
「仁志山駅の前……ここか」
家からそれほど離れていない土地だ。電車に乗って来るまでもない。店の前に自転車を停め、涼汰はドアの前に立った。
緑色に塗られた木枠にガラスがはめ込まれた可愛いドアの横には、「フラワーショップ・フェンネル」と彫り込まれた、これまた可愛らしい金属製の看板がかかっている。
「……よし!」
意を決して、ドアを開ける。カランコロンと、ドアベルが軽快な音をたてた。
「いらっしゃいませー」
ドアベルの音が聞こえたのだろう。店の奥から、一人の男性が顔を出した。歳は、多分三十前後。柔和な顔つきで、保育園の保父さんを思い出させる笑顔を浮かべている。クリーム色のポロシャツにジーンズ、黒の長靴にエプロン。服装を見ても、間違いなくこの店の店員だ。
「どんな花をお探しですか?」
「えっと……間島さんという店員さんは、今日、いますか?」
問うと、目の前の相手は目を丸くして「えっ」と呟いた。そして、観察するように涼汰の事を上から下まで眺めてくる。
「えーっと……ちょっと待ってね? 和樹くーん!」
「何ですか、乾さん?」
男性――乾というらしい――が奥に声をかけると、すぐにもう一人、この店のエプロンを身に付けた青年が顔を出した。ライトブルーのポロシャツにジーンズという姿が爽やかで、海津と同じぐらいの歳だろうか。ちょっとしたイケメンという雰囲気である。
「なんか、中学生ぐらいの男の子が、和樹くんをご指名なんだけどさ。……何やったの? まさか、彼氏持ちの女子中学生をナンパして、彼氏の恨みを買った……なんて話じゃないだろうね?」
「しませんよ、そんな事! 乾さん、俺を何だと思ってるんですか!?」
「いや、だってさ。和樹くんがうちの店でアルバイトを始めた動機って、花屋の店員って心優しい草食系男子に見えて女の子にモテそうだから……でしょ? 和樹くん、顔は良いんだし。ついつい無意識のうちに女子中学生をナンパするぐらいは有り得るかなぁ、って」
乾の言葉に、青年――和樹はがくりと肩を落とした。そして、ノロノロと顔を上げる。
「それで……その俺をご指名の中学生っていうのは?」
「あぁ、そうそう。そうだった。彼だよ。……君、僕は店長の、乾洋一。そしてこれが、君ご指名の間島和樹くん。うちのアルバイト店員だよ」
「これって」
どこかで見たようなやり取りを繰り広げてから、乾と和樹は涼汰に目を向けた。何と切り出せば良いものかわからず、涼汰はとりあえず生徒手帳を取り出して見せてみた。ドラマで刑事が警察手帳を出すような仕草になってしまい、少しだけ、恥ずかしさで声が上ずった。
「えっと、俺……浅海涼汰って言います」
「……これまた、随分と涼しげな名前だねぇ……」
「……あー……」
ずれた乾の反応に、涼汰は間抜けな声を発した。たしかに、涼汰と言い海津と言い、名前に使われている漢字四文字全てがさんずい編というのは、いささかやり過ぎ感がある。
「……って、それは今回の話とは関係無くてですね。間島さんが暗号解読が得意だって話を聞いて、この店に来たんです」
「……は?」
眉をひそめて首をかしげた和樹と乾に、涼汰はこれまでの経緯を話した。山下や海津に説明して、今回で三度目だ。さすがに、すらすらと説明できるようになっていた。
「それで、姉ちゃんの友達の……児玉さんって人に、間島さんが暗号を解くのが得意だって聞いたんです」
「児玉さんかぁ。そう言えば、彼女が持ち込んできた暗号、和樹くんが鮮やかに解いて見せたんだったねぇ。……彼女、元気にしてた?」
「あ、はい!」
頷いて見せた涼汰に、乾は「そっかそっか」と満足そうに首を振っている。
「それで……どうでしょう? 解けそう、ですか?」
「そうだなぁ……」
腕組みをしながら、和樹はメモ用紙を見詰めている。そのポーズが先日の山下とダブり、涼汰は少し不安になった。
「まず、これだけで解くのは難しいと思うよ。だから……いくつか、質問をしても良いかな?」
「え? は、はい!」
勢いよく頷いた涼汰に、和樹は苦笑しながら口を開いた。
「まず、最初に言っておくと。……これは、俺のカンなんだけどね。この暗号が示す物は、涼汰くんの通っている中学校の敷地内にあるんじゃないかと思うんだ」
「えっ……!?」
驚く涼汰に、和樹は「カンだよ」と言って念を押す。
「ただ、敷地内の様子がわからないんじゃ、これ以上は解きようが無いと思うんだ。だからまず、君の中学校の敷地内に、どの建物がどういう風に配置されているのかを教えてくれないかな?」
「え? えぇっと……」
目を白黒させながら、涼汰は普段通っている学校の風景を思い描いた。入学して二ヶ月……校内で迷う事は無くなったが、他人に説明しようとすると、まだまだ難しい。
「敷地は、長方形で……北側に、校舎が二つ並んでいます。北側の校舎は四階建てで、南側の校舎は三階建て。北校舎には一年生と二年生の教室と、家庭科室や理科室なんかがあって……南校舎には、三年生の教室と、職員室と進路指導室と図書室が入っていたと思います。あとは……」
「焦らなくて良いよ。ゆっくりで良いから」
和樹が優しく言ってくれるので、涼汰は一度息を吐き、吸った。
「えぇっと……西側に、南校舎に直角になるようにして、体育館があります。それと、体育館の南には格技場って呼ばれてる小さい体育館が……」
「格技場? ……あぁ。そこって、部活の時間になると畳を敷いて、柔道部が練習したりするような場所?」
「乾さん、中学で柔道部がある学校って、少ないんじゃ……」
和樹の言葉に、乾が驚いた顔で「えー?」と言う。
「けど中学なら、男子は体育で柔道をやったりするんじゃないの?」
「それも、今は学校ごとに体育科の先生の裁量で決める事になってます」
「えっと……柔道部は無いし、体育で柔道をやるかもわかりませんけど、畳はあります。部活の時間は、剣道部と卓球部が主に使ってるみたいですが」
脱線しそうになった話を元に戻すべく、涼汰は二人の会話に口を挟んだ。どうもこの花屋、見ていると漫才か何かを観ている気分になってくる。
「それで、えっと……南校舎の南側で、体育館と格技場の東側になる残りの部分は、全部運動場です。結構広くて、サッカー部と野球部とソフトボール部とラグビー部とテニス部と陸上部が同時に練習していたりします。……あ、運動場は北東の一部がネットで仕切られていて、その中にテニスコートを作るためのポールを立てる場所があるんです」
「な、なんか部活の時間がにぎやかそうだね。……部活同士でケンカとか起きないの? それ……」
「あ、時々野球部とソフトボール部が、ハンデ付きで野球かソフトボールで対決してるみたいです。あと、ラグビー部とサッカー部もたまーにハンドボールをやってますね」
その様子を見るたびに「運動部に入らなくて良かった」と思う涼汰だが、当の運動部員たちは楽しそうである。
「ところで、涼汰くんがそのメモを見付けた、花壇の話がまだ出てないよね?」
和樹に言われて、涼汰は「あぁ」と呟いた。そうだ、園芸部として、それは忘れてはいけない。
「花壇は、運動場をぐるりと囲むようになってます。……と言っても、完全に取り囲んでいるわけじゃなくって、幅三メートル、奥行き一メートルくらいの物が、二メートルぐらいずつ間隔を置いて並んでいる感じですね。北と南には十五ずつあって、東と西は……十一か、十二だったかな?」
「なるほどね。それで、涼汰くんがこのメモを見付けたのは……」
「東側……と言っても、かなり南寄りの場所にある花壇です。南から二つか三つ目?」
ふむふむと相槌を打ちながら、和樹はずっとメモ用紙を睨んでいる。眉間に皺が寄っているが、そこそこイケメンだからか、それもなんだか様になっている。……ちょっとだけ、悔しい。
「じゃあ、最後の質問。この学校、門はどの辺りにあるのかな?」
「門? ですか?」
「そう。校門」
うなりながら、記憶を絞り出す。たしか、三か所にあったはずだ。
「たしか……北には業者さんなんかが出入りするための門があって、そこはトラックが出入りしたりもするので、結構大きいです。西は先生達とお客さん用で、そんなに大きくないけどパッと見立派な門があって……南側に、俺達生徒用の門があります。生徒の数が多いからか、この門も北門と同じぐらい大きかったような……」
「それで……その三つの門は、それぞれの面の、どこにあるかわかるかな? 例えば、北門なら北校舎のどの教室から見た場所にあるのか、とか」
「え!?」
涼汰は、再び目を白黒させた。そこまで細かく門を観察した事は無い。
「えーっと……北門は、塀のど真ん中辺りにあったと思うんですけど、どの教室の前かまでは……すみません」
「謝らなくて良いよ。わかる範囲で良いから」
「……西門は、先生達の出入りがしやすいように、職員室の前にあります。だから、西側のやや北寄りですね。南は……少し東よりだけど、運動場から見れば、真ん中です」
「なるほど。……と、いう事は……」
呟き、和樹は少しの間だけ考え込んだ。そして、「うん」と頷くと、涼汰に向き直る。
「多分わかった……かな?」
「えぇっ!?」
涼汰よりも先に、乾が驚いた声を発した。
「もうわかっちゃったの!?」
「はい。まず一行目のこの文ですが……」
そう、和樹が説明しかけた時だ。カランコロンと、ドアベルの軽快な音が鳴り響いた。
「あ、いらっしゃいませー!」
条件反射とでも言うように、和樹と乾がドアの方へと視線を寄せる。
「ごめん、謎解きはちょっと待っててくれるかな?」
涼汰が頷けば、二人はいそいそと客の方へと向かってしまう。その後ろ姿は、どう見ても普通の、町の花屋さんだ。
「……本当に解けたのかよ……?」
疑わしげに呟きながら、涼汰は自分でももう一度考えるべく、メモ用紙に目を落とした。