フェンネル謎解記録帳2
~待ち人アリス~
後篇
和樹が店に戻ると、丁度客が花束を抱えて店から出て行くところだった。ドアが閉まり、ドアベルがカランコロンと軽快な音を立てる。
「ありがとうございました! またお越しください!」
帰る客に声をかけてから、乾がくるりと振り向き、和樹の方を見る。
「……で、和樹君。暗号、解けたんだよね?」
「えっ!?」
先ほど店内に残されていた三人に、波紋が広がった。
「解けた……んですか? 本当に!?」
「えぇ、多分。……時間が惜しいですから、ちゃっちゃと説明しちゃいますね」
そう言うと、和樹は先ほどの便箋の、暗号の部分を指差した。
「まず、わかりやすいところから解説していきます。「月の盤上」はとりあえず置いておくとして、「短い針」。これは、単純にアナログ時計の短針の事だと思います。これが何を表しているかと言えば、待ち合わせ時間は何時何十分、とかではなく、ぴったり何時、となる。……これは良いですか?」
一同が、頷く。和樹も頷き、説明を続けた。
「この「札」というのが何かはひとまず置いておきまして。12の時を刻む、一巡りすれば日が昇り、二巡りすれば夜が更ける……という書き方から、この時計が一般的な、一回り12時間の時計だという事もわかります。短針が一巡りすれば正午で、もう一巡りすれば深夜ですからね」
ここで和樹は「さて」と言った。
「これで待ち合わせ時間は、24分の1にまで可能性が絞られました。じゃあ、何時か? そのヒントは、これです。「江戸の藤月」……真一さん、藤月という単語に、聞き覚えは?」
問われて、真一は「えっ」と目を丸くした。そして、少しだけ考えてから……「あっ」と叫ぶ。
「花札……ですか?」
和樹は、頷いた。
「さっき、ネットで調べてみました。花札というのは、12か月折々の花が描かれているそうですね。花暦、というものが元になっているんでしたっけ?」
真一は「そうです」と頷いた。
「ここで、さっき一旦置いておいた「月の盤上」「12の札」の意味がわかってきます。月の盤上……つまり、一巡りすると12か月が過ぎるように。1から12までの数字には、花札の札を当てはめる。そうびさんはおもちゃ屋で、花札やトランプも扱っているカードコーナーの担当。そして真一さんは、カードゲームを得意とするおもちゃの問屋にお勤めです。あなたなら、藤月が花札の事だと気付けると思ったんでしょう」
実際には、ヒントが必要ではあったが。確かに、真一は藤月が花札の事だとはわかった。
「じゃあ、この藤月の札が当てはまる数字が、そうびさんが待ち合わせに指定した時間、という事ですか?」
美月の問いに和樹が頷くが、それに対して真一の顔はまだ不安そうだ。
「け、けど……花札や花暦の歴史は長いんですよ? 時代が変わるにつれて暦は変化して、花も多様化して……。その文章が花札の事を指しているのか、元になった花暦の事を指しているのかもわかりませんし。藤月と言っても、それが特定の月を表す事には……」
「だから、「江戸の」と書いてあるんじゃないですか」
和樹に言われ、真一は「あ」と間抜けな声を発した。和樹は、苦笑する。
「江戸の……江戸時代の事なのか、東京という地域を指しているのか。……まぁ、さっき真一さんが仰ったように、暦が変化した事によって、担当する月が変わった……という事を考えれば、江戸時代に使われていた花暦の藤月……と考えるのが妥当でしょうね。……真一さん、江戸時代の花暦で、藤月は何月ですか?」
真一は、少しだけ思い出すしぐさをすると、恐る恐る、と言う風体で口を開いた。
「し、四月……です……」
「じゃあ、指定された時間は四時?」
美月に頷き、和樹は「多分」と答えた。
「けど、四時って言っても……午前と午後、どっちの? 午後なら良いんだけど……午前なら、完全にアウトだよ?」
乾が口を挟んだ。すると、三宅と美月が呆れた顔をし、和樹が苦笑する。
「あの……普通に考えたら、午後じゃないですか? 午前四時じゃ、まだ電車も動いてないですし……」
「いや、けど、あえてそういう時間を狙うかもしれないじゃないか!」
美月に慌てて反論する乾に、和樹は乾いた笑いを発し、そして三宅に視線を向けた。
「三宅さんなら、わかるんじゃない? 何せ、同じ文学ゼミの仲間だし」
「そうね……」
呟き、三宅は乾達が静まるのを待ってから答えた。
「午後の四時、でしょ? ヒントは、「誰ぞ彼」……違う?」
「誰ぞ彼?」
首を傾げた乾と真一に、三宅は頷いた。
「夕方の時間帯の事を、黄昏時って言ったりするじゃないですか。あれの語源は、夕方薄暗くなり、相手の顔もわからなくなってしまって。誰なのかを問う必要があって「誰ぞ彼」と言うような時間帯だから……だと言われています」
「誰ぞ彼……たれそかれ……たそかれ……たそがれ……あぁ!」
納得したのだろう。乾が、ぽんと手を打った。
「そういう事か! 誰ぞ彼、だから、黄昏時。つまり夕方で、午後の四時!」
和樹は頷いた。ちらりと真一を見てみれば、ホッとした表情をしている。時間的にまだ余裕があるとわかり、心にゆとりが生まれたのだろう。
「じゃあ……あとは場所ですね。いくら時間に余裕があっても、ものすごく遠い場所じゃ結局間に合わないですし」
美月の言葉に、真一の顔が再び緊張した。不安げな真一に、和樹はニコリと笑って見せる。
「大丈夫、まだ時間はありますよ。……俺の推理が正しければね」
言いながら、便箋を真一に返した。
「これも、わかりやすいところから説明します。まずは、鳥の巣。これは単純に鳥と考えるよりも、空を飛べるもの……として考えてみた方が良いと思う。巣というのは、その飛べるものが集まって、羽を休める場所だね。……さて、この鳥というのは、何だと思う?」
そう言って、和樹は窓の外を指差した。指は少々上を向いていて、空を指している。白い飛行機雲が見えた。
「……ひょっとして、飛行機?」
「じゃあ、鳥の巣っていうのは、空港!?」
乾と美月の予想は正解だったのだろう。和樹は頷いた。
「さて、空港と言っても広いです。港内に施設もたくさんある。……ただ、海へと飛び立つ扉とは? ……俺は、国際線の搭乗口の事じゃないかと思います」
「そうか……島国の日本から外国へ行くなら、必ず海に向かって飛び立つ事になる。外国の事を海外っていうぐらいだしね。その飛行機に乗り込むための場所だから、搭乗口が扉、か……」
「けど……どこの空港? 普通に考えたら、県内の空港だろうけど……。でも、そうびさんにとって県内の空港が身近かどうかまではわからないし……」
乾が頷き、三宅が困惑した顔になる。和樹は「心配ご無用」と笑って言った。
「それを解くヒントが、この「カキツバタ咲く」って文章だよ。これを見る限り、そうびさんが待っている空港はカキツバタと関係がある空港だと考えられる。けど、空港にカキツバタなんて咲いているものかな? ……と考えれば、あと思い付くのは……シンボルとか」
「シンボル? ……あっ」
真一が、気付いたようだ。和樹はニコッと笑い、その答を促す。
「県花……ですか?」
和樹は頷いた。「そう」と言って、話を続ける。
「ご存じとは思いますが、カキツバタはここ、愛知県の県花です。そして、他にカキツバタを県花にしている県は無い。つまり、この文章に示されているのは愛知県内にある空港……そういう事になります」
「でも、愛知県内の空港って言っても、二か所あるわよ?」
そう。愛知県には空港が二つある。名古屋飛行場――通称、県営名古屋空港と、中部国際空港――通称、セントレアだ。県営名古屋空港の所在地は愛知県西春日井郡。セントレアは、常滑市沖伊勢湾海上。少々距離がある。どちらか片方に行って外れた場合、急いでもう片方へ向かっても間に合うかどうかわからない。
「……いや、それは大丈夫なんじゃないかな?」
乾が、何事かを思い出すような顔をしながら言った。
「確か、県営名古屋空港の方は、現在国内線にしか使われていないはずだよ。そうびさんが待っているのは、和樹君の推理が正しければ、国際線の搭乗口……なんだよね?」
和樹は頷き、肯定した。
「そうなんです。昔は名古屋空港しか無かったので国際線も通っていましたが、セントレアができてからは国内線のみになっているらしい。つまり、乾さんの推理の通り。そうびさんが待っているのは、中部国際空港の、国際線の搭乗口……という事になります。……流石に、何番搭乗口なのかまでは、虱潰しに探さなきゃいけないでしょうけど……」
「それだけわかれば、充分です! ありがとうございます! ……あっ、せっかくですから、バラの花束をお願いします! 百万本とまではいきませんけど、これで買えるだけの量を!」
「え? あ。ありがとうございますっ」
真一から渡された一万円札を丁重に預かり、乾が急いで花束を作り始めた。その様子を頬を紅潮させながら眺めている真一に、和樹は恐る恐る声をかけた。
「あ、あのー……ところで、真一さん?」
「間島さん、本当にありがとうございます! 相談して本当に良かった! ……あ、三宅さんも。ありがとうございます! こうして間島さんを紹介して頂けたお陰で、無事にそうびと会う事ができそうです!」
「ちょっとお兄ちゃん。まず、友美さんに相談したのは私なんだけど?」
「そうだった、そうだった。ありがとな、美月! そうびにも話しておくよ。お前のお陰で、こうして会う事ができたんだって!」
「あの……ちょっと、真一さん……」
「お待たせしました。花束、できましたよ」
和樹が話を切り出せないでいるうちに、乾が花束を完成させてしまった。それを受け取った真一は、お釣りを受け取る時間ももどかしいと言わんばかりに、あっという間に大荷物とバラの花束を抱えて飛び出して行ってしまう。カランコロン、と、ドアベルが軽快な音を立てた。
「あぁ……行っちゃった……」
和樹が床に膝をつき、苦い物を噛み潰したような顔で言う。やっと和樹の様子がおかしい事に気付いたのだろう。乾と三宅、美月は不思議そうに和樹を眺めた。
「……和樹君? どうしたの?」
「お腹でも痛いんですか?」
「そう言えば、さっき真一さんに何か言おうとしてたわよね? 何? まさか今更、やっぱ違います、推理が間違ってました、なんて言わないわよね?」
「違うよ……そういう事じゃなくて……」
言いながら、和樹はレジ台の上を指差した。そこには、便箋と一緒に封筒に入っていた物。二枚のトランプ――内一枚は破れている――が置かれていた。
「あっ……これ。返し忘れちゃったねぇ」
「そう言えば、これの意味はまだわかってなかったわよね。……何? 間島君、これも解くまでは真一さんに行かないでほしかったとか?」
「案外、自己顕示欲旺盛なんですね」
「違う……いや、最後まで聞いてほしかったのはそうなんだけど、そうじゃなくて……」
「?」
意味がわからず、三人が首を傾げる。どことなく、和樹の顔が青くなっているのが気にかかる。
「……そうびさんのフルネーム……有住そうびさんで、お友達からはアリス、と呼ばれているんでしたよね?」
「? ……はい」
怪訝そうに、美月が頷いた。
「それで……そうび、っていうのは、バラの事です。……そうですよね、乾さん?」
「ん? ……あぁ、そういえばそうだね。……あ、だから真一さん、バラの花束を買っていったのかな?」
「……そうかもしれません。……それで、三宅さん。アリス、バラ、トランプ、ハートのクイーンで思い出すものと言ったら……?」
「……あ。ひょっとして、不思議の国のアリス?」
和樹は頷き、口を開いた。何やら、歯がカチカチと震えて鳴っているようにも聞こえるのだが大丈夫だろうか。
「そう……恐らく、あの二枚のトランプは不思議の国のアリスの、あるシーンを再現しています。そして、そのシーンとは?」
姪っ子のお遊戯会のビデオで、昨夜観たばかりだ。
「スペードの2のトランプは破られていた。……数字は、絵札とエース以外の札なら何でも良かったのかもしれませんが、トランプの兵隊に見立てたものでしょう。そして、破られていた、という事は、そのトランプの兵隊が死んでしまった事を意味するのでは……と思うんです。じゃあ、ハートのクイーンの傍らで、トランプの兵隊が死んだシーンと言えば?」
「確か……トランプの兵隊――正確には庭師ね。……彼らが、女王のバラに色を塗ったから、という理由で死刑になったのよね? そのシーン、って事?」
和樹は、息苦しそうに頷いた。そして、声を絞り出すように言う。
「トランプの庭師は何故バラに色を塗ったのか? 女王は赤いバラが好きなのに、間違えて白いバラを植えてしまったからです。白いバラである事を隠すために、庭師はバラを赤く塗ろうとした」
「……それで? それが今回、どういう意味を持つんですか?」
もったいぶるな、と言うように、美月が問う。和樹は、ごくりと唾をのみ、思いつめた顔で言った。
「……日本では、男性を白、女性を赤で表す事が多いですよね? 紅一点という言葉もありますし、年末になれば紅白歌合戦なんて番組もある。それを踏まえて、もう一度考えてみてください。白バラを誤魔化すために赤いペンキを塗った。そんなシーンを、そうびさんがわざわざトランプで再現して送ってきたのは、一体何故か……?」
「……え?」
三人が、同時に呟いた。そして、しばし考えたのち、同時に「あっ……」と叫ぶ。全員、顔が引き攣っている。言いたい事が伝わった事で少しだけホッとしたのか、やや持ち直した顔で、和樹は頷いた。
「そう……恐らく、そうびさんは女性じゃない。……いや、心は女性なんでしょうけど。今回突然姿を消したのも、それがそうびさんの中で気にかかっていたから。かと言って、ストレートに告白する事も躊躇われ、こうして真一さんに手紙とトランプを送ってきた……そんなところなんじゃないでしょうか? そして、真一さんが待ち合わせ場所に向かうという事は……そうびさんの決死の告白を受け入れたというサインにもなる……!」
「……!」
美月の顔が、真っ青になった。そして、慌てて外へ飛び出すと、兄が行ったであろう道を駆けていく。
「お兄ちゃん、ストップ! ちゃんと受け入れる気持ちを整えてから行かなきゃ駄目ーっ!!」
扉が閉まり、美月の叫び声はシャットアウトされ。ドアベルがカランコロンと軽快な音を立てた。あとに残された三人は、微妙な面持ちで閉まった扉をいつまでも見詰めている。
「……真一さんとそうびさん、どうなるのかしら……?」
「わからないよ。……俺としては、美月さんが真一さんに追い付いて、変な修羅場になったりしないよう、上手く立ち回って、丸く収めてくれれば良いなーとは思ってるんだけど……」
「あぁ、今も否定的ではなかったしね。上手い事、誰も不幸にならない展開になってくれると良いんだけどねぇ……」
「そうですねぇ……」
何やら悟ったような顔をして。乾と和樹は通常業務に戻っていく。三宅も、困惑しながらも帰路に就いた。
とりあえず、今日帰ったら、兄貴に頼まれているビデオの編集を終わらせてしまおう。レジ台の整理中にハートのクイーンを何気無く手に取り、眺めながら。和樹はぼんやりとそんな事を考えた。
(了)