ドラゴン古書店 読想の少女と二匹の竜









第23話■ニーナの日記<1>■










 目が覚めて、身支度をして食卓へと向かう。これがこんなに怖いと思ったのは、この店に来て初めてだ、とニーナは思う。

 昨日来店した人間の言葉で、ニーナは酷く取り乱してしまった。アインスとツヴァイに迷惑をかけてしまった。

 これから、どのような顔をして二匹に会えば良いのだろう。もし、失望した、クビにする、と言われたら?

 怖くて怖くて仕方がないが、だからと言って寝床の中に籠っているわけにもいかない。そんな事をしたら、増々迷惑をかけてしまうし、嫌われてしまう。

 だから、怖いと思いながらもニーナは寝床から出て身支度を整え、食卓に向かった。大きな食卓では、既に二匹が朝食の準備を終えている。

 ニーナがやってきたのを見た途端、ツヴァイの視線が泳いだ気がした。やはり、迷惑をかけてしまったんだな、嫌われてしまったんだな、と、ニーナは俯いた。

 しかし、このままで良いわけがない。ニーナは、食卓にニーナ用に据え付けられている梯子を上ると、テーブルの上に立った。そして、言う。

「あの……おはようございます」

「あぁ。おはよう、ニーナ。もう大丈夫なのか?」

 アインスの口調は、いつも通りだ。それに少々ホッとしつつ、ニーナは続けて言葉を発する。

「はい。……あの、昨日は済みませんでした。迷惑をかけてしまって……」

「あれのどこが迷惑だ。迷惑と言うなら、あの人間の方だろう。ニーナが謝罪するような事ではない」

 ぴしゃりと言い放ち、それからツヴァイは咳払いをした。

「そんな事よりも……ニーナ。少し、話がある」

 改まった様子で言われ、ニーナは身を強張らせた。

 何を言われる? 怒られるのか? 貶されるのか?

 びくびくとするニーナの前で、ツヴァイはしばらくガサゴソと何かを取り出す様子を見せた。そして、どさりと紙の束をニーナの前に置く。

 紙の束……? 否、ノートだ。人間用のサイズで、表紙は夕陽を思わせる赤色。ニーナの髪と同じ色だ。そんなノートが、全部で十冊。

 目をぱちくりとさせるニーナに、ツヴァイは「あー……あー……」と唸りながら、一枚のメモ紙を取り出す。それを、ノートの上に置いた。

 メモ紙に書かれた文字を――正確にはその想いを、ニーナは条件反射で読む。そして、目を丸くした。

『元気を出せ。これからもよろしく』

 たしかに、そう読めた。ニーナに読めたという事は、ツヴァイは心の奥底からこう思っているという事で……。

「……そういう事だ」

 ぷいっとそっぽを向きながら、ツヴァイは言う。そんな彼に、アインスが苦笑した。

「弟よ。いくら何でも、それでは説明が足りぬだろう」

 そう窘めても、ツヴァイはそっぽを向いたままだ。アインスは更に苦笑しながら、ニーナに言う。

「ニーナ。これは私達からの贈り物だ。そして……頼みでもある」

「頼み……ですか?」

「あぁ」

 頷き、アインスはニーナとノートを交互に見た。

「今日から、日記を付けるようにしてもらいたい。面白かった事、嬉しかった事、悲しかった事、腹立たしかった事。食べた物、読んだ本。何でも良い。ニーナが感じた事、ニーナの生きた証を、このノートに記して欲しいのだよ」

 それがあれば、将来、ニーナが寿命を迎えていなくなっても、ドラゴン兄弟は時々ノートを眺める事でニーナの事を思い出す事ができる。ニーナの想いに寄り添う事ができる。

 そう、昨夜兄弟で話し合った。勿論、それはニーナには言わない。

「え、でも……」

「勿論、書くページが無くなったら、新しいノートを買おう。そうだな……次に買う時はニーナの好きな色のノートを選ぶようにしよう。それまでに、ニーナの好きな色を教えてくれ」

「いえ、そうではなく……」

 困惑した様子で、ニーナはアインスの言葉を制止した。

「私が、日記を書く……んですか? 文字の読み書きはできないのに、どうやって……?」

 それに、文字を覚えれば、ニーナは実際に書かれている文字と、文章に籠められた想いを混同して読んでしまうかもしれない。だから、文字を覚える事もできない。それなのに、どうやって日記を書けというのか。

 ニーナの問いに、アインスは「あぁ」と頷いた。

「ドラゴン族の文字を教えようか? それならば、業務にはそれほど支障が出ない」

「ドラゴン族の本が良書かどうかは、ドラゴンである我らが努力をすれば良いだけの事だからな」

 ツヴァイがぶっきらぼうに言い、「どうだ?」と言いたげに視線をニーナに向ける。それでも困っている様子のニーナに、ツヴァイは「なら……」と言い足した。

「ニーナだけの文字を、作れば良い。私と兄者が、それを頑張って覚える。それでどうだ、兄者?」

「あぁ。それは中々良いアイデアだな、弟よ。面白い」

「え? え?」

 ニーナは目を白黒とさせながら、アインスとツヴァイを交互に見る。どうしてこのような事になったのだろう? アインスもツヴァイも、見た目が怖いながらも優しいのは変わらない。だが……今朝はそれに加えて、慈愛のようなものまで感じられる……気がする。

「……あの、どうして急に、日記なんて話になったんでしょう……?」

 問わずにはいられず、ニーナは疑問を口にした。

 するとドラゴン兄弟は顔を見合わせ、揃って「ふむ」と唸る。そして、二匹はどこからか紙とペンを取り出すと、全く同じ姿勢でガリガリと文字を書き始めた。

 ニーナが見守るその前で、二匹は同時に書き終り、ニーナが文字を読めるように紙を掲げて見せる。

『ニーナともっと仲良くなりたいと思っているからだ』

『思い出を、共有したいと思っている』

 実際には、何と書いてあるのか。ニーナには読めない。

 だが、文章に籠められたその想いだけで充分だ。ニーナはゆるゆると微笑み、頷いた。そして、「じゃあ……」と呟く。

「私からも、一つお願いして良いでしょうか?」





















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