亡国の姫と老剣士
15
一歩足を踏み出すごとに、ぶわりと埃が舞い上がります。一体もう何年使われていないのでしょう。降り注ぐ埃に辟易しつつ、ティグは明かりの見える最奥の部屋に入りました。
踏み込んだ瞬間に、バサバサドサッという大きな音がしました。上を見上げれば、大量の本がティグの頭上に雪崩の如く襲い掛かってきます。
「うわっ!?」
避けようとしたところで今度は足元に積まれていた本に躓き、ティグは尻もちをついてしまいました。その上に、容赦なく本が降りかかってきます。
「……何やっとりゃーすか、ティグ兄ちゃん……」
これだけの音をたてておいて、気付かない筈がありません。パルが呆れた声を発しながら近付いてきました。
パルに手助けされながら本の山から這い出し、ティグはぐるりと周りを見渡します。壁には一面の本棚があり、床や机の上には所狭しと本が積み上がっています。本、本、本……辺り一面、見渡す限り本の海、本の山です。
「……凄いね、ここ……。村の図書館か何か?」
「とある村人が村の集会所の一室を勝手に私物化して作り上げた書庫だがね」
「私物化……って事は、この本……。全部、個人の所有物なの!?」
目を丸くして、ティグは声をあげました。どう見ても、個人で所有する冊数の限度を超えています。この書庫の主が王侯貴族ではなく村人であるならば、尚更です。パルはこくりと頷いて、部屋を見渡しました。
「その村人は、他の村人から尊敬されて羨ましがられるような、特殊な血筋の人間だったがね。だからある程度の無茶苦茶は黙認されとったんだがや」
「そうなんだ……」
ティグは返す言葉が見付からず、曖昧に返しました。それに再び、パルが頷きます。
「それを良い事に、先祖伝来の本、仕事に関わる本、趣味に関する本……家に収まりきらなくなった本を次々に集会所に持ち込むようになったがね。そのうち本を探して家と集会所を行ったり来たりするのも面倒くさくなり、終いには全ての本をここに保管するようになってまったがね……」
「……本当に、無茶苦茶だね……」
苦笑しながら、ティグは言いました。すると、パルも力無く苦笑します。
「本当に、無茶苦茶だったがね……父ちゃんは」
「え……」
最後に付け加えられた言葉に、ティグは固まりました。
「ここは……自分の生まれた村だがね。自分の父ちゃんと母ちゃんはこの村で薬屋をやっていて……無茶苦茶な父ちゃんと、ボケボケの母ちゃんと愉快な村人に囲まれて、結構楽しく暮らしてたがね」
ぽつ、ぽつとパルが語ります。ティグは口をつぐみ、パルの話に耳を傾けました。
「けど! 五年前にいきなりあいつが現れて、全部滅茶苦茶にしてまったがね! あいつが! 魔獣ウェスティガーが現れなければ、父ちゃんも母ちゃんも村の皆も、全員死なずに済んだがね!」
ダン! とパルはその場にあった机を激しく叩きました。その振動で、机の上に積み重なっていた本がバサバサバサッと床に落ちます。
「なのに、何でフィル爺ちゃんは黙っとったんかね? 自分の父ちゃんと母ちゃんの仇が……ウェスティガーがヘイグに加担してる魔獣だって、何で教えてくれんかったんかね!? 何であんな悪い魔獣と……仲良く話なんかしとれるんかね……」
宥める言葉が思い付かず、ティグはただパルが叫ぶのを黙って見ていました。そして、パルの言葉が途切れ、彼女が少し落ち着いた時にぽつりと言いました。
「……フィルさん、心配してたよ。パルの事」
「……」
ふいっ、とパルはティグから視線を逸らしました。暗い面持ちで辺りの本をペラペラと適当に捲り、言葉を探している様子です。
「……わかっとるがね、そんな事……」
ムスッとした声で、パルは言いました。
「フィル爺ちゃんが自分の事を心配して黙っとった事くらい、わかっとるがね。けど、わかっとっても八つ当たりせずにはいられんかったがね」
「朝になったら、フィルさんに謝りなよ?」
遠慮がちに、言ってみました。するとパルは、躊躇いがちにこくりと頷きます。
「わかっとる。自分だって、あんまり長い事フィル爺ちゃんを心配させたくないがね」
その言葉に、ティグはホッとして相好を崩しました。そして、場の雰囲気を変えようと言いました。
「それにしても……本当に仲良いよね、パルとフィルさんって」
言われて、パルはニコッと笑いました。パルの笑顔を見るのが、久々のように感じられます。
「フィル爺ちゃんは、自分の恩人だがね」
「恩人?」
訊き返したティグに、パルは頷きました。そして、遠くを見るような目をします。昔の事を思い出している……そんな目です。
「あのウェスティガーが突然現れて、村を破壊しつくして行った後……フィル爺ちゃんがこの村に現れたがね。自分はウェスティガーが怖くてずっと壊れた暖炉に隠れてて……そんな自分に「もう大丈夫だ」と声をかけてくれたのが、フィル爺ちゃんだったんだがね」
「そうなんだ……」
どういう顔をして良いのかわからず、ティグは少し困った顔をして言いました。それに「気にするな」とでも言うように笑って見せ、パルは言葉を続けました。
「その後フィル爺ちゃんは、自分を騎士時代の知り合いの魔法使いの処まで連れて行ってくれたがね。そこで自分は、魔法と魔法薬の作り方を沢山教えてもらったがね」
「そう言えば、パルの作った魔法薬って凄いよね。傷はすぐに治るし、身体や武器まで強化できるし」
思い出したようにティグが言うと、パルは胸を張って言いました。
「当たり前だがね。元々薬屋の娘で、薬には親しんどったがね。それがちゃんとした魔法使いの下で学んどるんだから、まさに鬼に金棒だがや」
言いながら、パルは荷物の中から薬瓶をいくつか取り出し始めました。本来の調子が戻ってきたのか、ティグを相手に薬の商売を始めるつもりのようです。
「魔法使いって言うより魔法薬の商人だよね、本当……。そう言えば、ツィーシー騎国で噂になってたっけ。世界一の強欲放蕩風来じゃじゃ馬魔法使いがいるって」
「そんな根も葉もない噂話は頭の中からさっさと捨てんかね、ティグ兄ちゃん!」
ジトッとした目で、パルがティグを睨みました。確かに、実際にパルといると彼女が放蕩者や風来者であるような感じはしません。多少商売っ気が強すぎて強欲気味ではありますが。
「強欲って噂になるくらい薬を売ってさ……一体何を買うつもりなの?」
ふと湧いて出た疑問を、ティグはパルに問うてみました。すると、パルは少しだけ恥ずかしそうにすると「フィル爺ちゃんには内緒だがね……」と前置いて言いました。
「自分は将来、父ちゃんみたいな薬屋になるつもりでいるがね。それで、フィル爺ちゃんがお客として来たらどんな薬でも全部半額にするつもりでいるがね。けど、お店を出したり商品をタダであげたりするには、相当の額のお金が必要になるがね」
「だから、こんな風に薬を?」
ティグの問いに、パルは大きく首を縦に振りました。
「機会があれば、どんな時でも売ってやるがね。フィル爺ちゃんももう若くないし、それでなくてもいつ死ぬかわからん事をやっとりゃーす。例え強欲と言われても、急がないといかんがね」
「……そっか」
それだけを言うと、ティグは暫く考えました。そして、頭の中に湧いて出た疑問がまとまらなかったのか、少しだけ苛立たしげに頭を掻きます。
「それにしても……何でウェスティガーはこの村を襲ったんだろう? さっき見た感じだと、無駄に人を殺すような魔獣には見えなかったけど……」
「それは、自分達がこの村にいたからだがね……」
ぽつ、とパルが言いました。ティグは耳を疑いました。一瞬のうちに、身体が強張ります。
パルは、崩れ落ちた本の山から一冊を探し出して抜き取ると、パラパラと何ページか捲りました。そして、目的の箇所を見付けたらしい彼女は、本を大きく広げてティグに見せました。
その本は、ツィーシー騎国の歴代の騎士達の名簿のような本でした。パルの開いたページには、件のツィーシー騎国が滅びた年に騎士団に所属していた騎士達の名前が載っています。
「このページが、メイシアお姫さんの護衛騎士団に所属していた騎士名簿だがね。ほら、よく見てみやー。フィル爺ちゃんの名前も載っとるに」
言いながら、パルは本の一部を指で押さえました。ティグは、それを覗きこむようにして見ます。
騎士団長 S・F・ゼクセディオン
副騎士団長 L・H・トゥルス、B・E・クロス
騎士団員 R・H・マイナ、V・C・ググル、A・O・ウェルティネス、T・M・レボリア、P・Z・ジャグテトラ、K・D・ハビラドゥス、J・M・ヒット
見習い騎士団員 N・I・ケインズ、G・N・エタルニアン
「へえ、護衛騎士団の騎士達のフルネームなんて初めて知ったな。……あれ!? ゼクセディオンって……」
見習いも含めれば総勢十二名にもなる騎士団員の名前を見て、ティグは目を丸くしました。そして、目の前にいるパルを改めて見ます。確か、パルのフルネームは……そう、パルペット・セレ・ゼクセディオンだった筈です。
「そう……自分は、ツィーシー騎国最後の護衛騎士団長、セオ・フィルグ・ゼクセディオンの血縁者なんだがね。だからヘイグは、ウェスティガーに村を襲わせたんだがね。ゼクセディオンの血筋を根絶やしにする為に……」
パルの拳がぎゅっと握りしめられ、唇が噛みしめられました。爪や歯の食い込んだ部分から、じわりと血がにじみ出ます。慌てて清潔な布を探し、血を拭ってやりながらティグは呟きました。
「けど、何で……。フィルさんの話だと、ヘイグは自分を殺しに来た騎士でさえ殺さずにおいたって言うのに……」
「殺さないでおいたのは、自分の処へ来た騎士だけだがね。絶対に誰も殺されないとなれば、誰だってヘイグを倒しに行こうとするがね。そうなると、そんなに強くも無い剣士や魔法使いも、ヘイグの元に押し寄せる……。ヘイグが戦って絶望を味わわせたいのは、強くてヘイグを楽しませるような奴だけだがね。それ以外の奴に来られたら、ヘイグも迷惑だがや」
だから、ヘイグに挑んだ騎士達の殆どは家族を全て殺された、とパルは言いました。それを聞いて、ティグは心配そうな顔をしました。そう言えば、ティグはツィーシー騎国に家族を残したままです。自分の家族にヘイグの魔の手が迫っていないか、不安になりました。それを察したように、パルが言います。
「心配は要らないがね。家族まで狙われるには、ティグ兄ちゃんの知名度は低過ぎるがね。いっぺん挑んだ時も良いようにやられて一矢報いる事すらできんかったし、多分ヘイグもティグ兄ちゃんの事は全く気にしとらんがね」
「パルは、もうちょっと自分の発言が周りにどう思われるか気にしようよ……」
あまりと言えばあまりな言い方に、ティグはがっくりと肩を落としました。しかし、それで少しだけ気が楽になったのでしょうか。苦笑しながら、ティグはパルに言いました。
「とにかく……パル達がセオ・フィルグ・ゼクセディオン護衛騎士団長の血縁者だったから、この村はヘイグによって差し向けられたウェスティガーに滅ぼされた……。そこに現れたのがフィルさんだった……そういう事?」
パルは、力強く頷きました。
「フィル爺ちゃんは、わざわざ自分達の消息を調べてここまで来てくれたんだがね。結局間に合わなかったけど……けど、心配して来てくれたフィル爺ちゃんの気持が、一人ぼっちになったばかりの自分はとても嬉しかったがね」
パルの顔が、照れ臭そうに綻びました。それにつられて、ティグの顔も緩みます。
「だから、パルはフィルさんと一緒にいるんだね。……それと、やたらと薬を売り付けてくるのもわかった気がするよ……」
「フィル爺ちゃんは、自分を助けてくれたがね。一人ぼっちになった自分の傍にいてくれたがね。魔法使いに弟子入りさせてくれて、一人でも生きていけるようにしてくれたがね。そんなフィル爺ちゃんを、今度は自分が助けたいがね!」
パルの言葉に、ティグは頷きました。そして、ふと思い立ちパルの掌に銅貨を握らせました。
「?」
首を傾げるパルに、ティグは笑って言います。
「情報料。言ってただろ? フィルさんとパルの関係を聞いた時に」
暫く目をぱちくりさせてから、パルはニヤリと笑いました。そして、遠慮する事無く銅貨を懐に収めます。
「まいどあり、だがね」
そう言ってから、パルはくるりと本の山に向き直りました。
「さて。それじゃあ、新しい情報を収集にかかるかね」
「新しい情報って……まさか、今からこの本の山からウェスティガーについて書いてある文章を探し出すつもり……!?」
少し後ずさりながらティグが問うと、パルはさも当然と言わんばかりの顔で不思議そうにしています。
「戦う前に敵の事を調べておくのは当たり前のことだがね? 不幸中の幸い、ウェスティガーは父ちゃんの遺したこの書庫を破壊せずにいてくれたがね。それがあいつの命取りだがや!」
いつも以上に気合いの入った声で、パルは本を物凄いスピードで捲り始めました。
ここに来たのは頭を冷やす以外にも、こうしてウェスティガーの事を調べる目的があったのかもしれません。
なすすべなく見守っているティグの目の前で、パルはどんどん見終わった本を積み上げていきます。ひょっとしたら、この部屋に入って来た時ティグの頭上に本が降ってきたのはパルの仕業なのかもしれません。ぼんやりとそんな事を考えているティグに、パルの声が非難がましく振りかかってきました。
「ティグ兄ちゃん、何をぼんやりとしとるがね! いくら何でも、自分一人でこの本全部を一晩で見るのは無理だがね。ティグ兄ちゃんも、そっちの山から見ていって欲しいがね!」
パルの物凄い剣幕に圧され、ティグはのろのろと指し示された本の山へと向かいました。年季の入った本を開いてみれば、むわっと埃の香りがします。顔をしかめながら一冊一冊見ていきますが、中々目ぼしい情報は見付かりません。
慣れない情報探しでティグが軽く頭痛を覚え始めた頃、ティグの背後でパルが嬉しそうな声をあげました。
「あった! 見付けたがね!」
その声を聞いて、ティグはがばりと起き上がりました。パルの後ろから本を覗きこみます。その本の開かれたページには、確かにウェスティガーの名前が記されていました。パルに話を聞いてみると、この本はツィーシー騎国建国当時からの歴史や伝説をまとめた本だと言います。
そのページの本文を熟読していくうちに、二人の眼は段々見開かれていきました。そこには、ウェスティガーについてこう記されていました。
「風の化身ウェスティガー。ツィーシー騎国の始祖である初代国王ニグト・トウ・ソーデシアを援け、ニグト王にツィーシー騎国建国を成し遂げさせた聖獣である」