葦原神祇譚
27
「さて……これから、どうするんだ?」
黄泉族の門が完全に消えてから、仁優は残った者達に問うた。問われた一同は、顔を見合わせる。
「僕は、とりあえず家に帰らないとネ。ここでの両親はのんびりしていて放任主義者だけど、流石に一ヶ月以上無断で留守にしてるのはまずいよネ」
「拙過ぎだろ。……奈子は?」
仁優と同じように呆れた顔で彦名を眺めていた奈子は、「そうね……」と呟いた。
「……生まれ変わってから見付けた、夢に挑戦してみようと思うわ」
「夢?」
「えぇ……その、女優を目指してみようかな、と思うのよ。折角生まれ変わって醜女じゃなくなったんだから、顔が重要な仕事にも挑戦してみなきゃ」
そう言う奈子の表情は、今までになくイキイキしている。「良いんじゃねぇかな」と仁優は言う。
「僕とマドカさんは、今までと変わりませんよ。朝来様に従うまでです!」
オロシの元気な言葉に、「そっか」と笑って返し、仁優は視線を夜末達に向ける。そして、少しだけ考えてから声をかけた。
「で……朝来と伝は? どうすんだ?」
その問いに、二人は「ん?」という顔をした。仁優は苦笑し、頭を掻く。
「いや、そのさ……これまでにも、二人の事を名前で呼ぼうかとは考えたんだけどさ……ほら、伝と天って、音が似てるから、こんがらがりそうで……。けど、伝だけ苗字で呼ぶのもどうかなーと思ったから、何となくセットで、朝来も……」
朝来と伝は、二人揃って呆れ果てた顔をした。
「なら、最後まで苗字で呼び通せば良いだろう。混乱するような事をするな、面倒臭い!」
「まぁ、親密度が上がったように聞こえて、悪い気はしないがね。……そうそう、礼?」
朝来に突然名を呼ばれ、今まで寂しそうに俯いていた礼はビクリと顔を上げた。
「お前は、これからどうするつもりなんだ?」
「え、その……」
困ったような顔をする礼に、朝来はしゃがみ込んで視線を合わせた。
「私と伝はとりあえず一度故郷に帰るつもりなんだがね……良かったら、一緒に行かないか?」
「え……?」
驚いたように朝来の顔を見る礼に、朝来は照れ臭そうにする。
「その、何だ……瑛に、お前の事を頼まれたからね。何だかんだ言って、瑛は私達の幼馴染で、妹のように思ってたりもしたんだ。その瑛に頼まれたんだから、お前が嫌じゃなければ、私が面倒を見たいんだが……」
最後には伝の存在が消えてしまっている。だが、仁優もできるなら礼の面倒は朝来が見た方が良いだろうな、とは思う。何せ、朝来の元にはオロシやマドカを初めとして、たくさんの妖禍がいるという話だ。そこへ行けば、きっと礼も寂しくはない。
「……良いの?」
おずおずと問う礼に、朝来は「勿論だ」と頷いた。すると、礼は少しだけ迷うような表情を見せた後、にこりと笑って朝来の袖を掴んだ。
「じゃあ……これから、お願いします。姉様」
朝来の顔が真っ赤に染まるのを、仁優は確かに見た。あの笑顔は反則だよなーと思いつつ、微笑ましいその様子を仁優はニヤニヤとしながら見る。
「何をニヤニヤしているんだ、守川」
そう言う伝の顔も、どことなく楽しそうだ。奈子と彦名も、くすくすと笑っている。
皆が笑い合っている時間を作る事ができた。それだけでも、これまでのゴタゴタが何とかなって良かったな、と仁優は思った。
# # #
この国が未だ、混沌から這い出たばかりの時の事。
この国に未だ、八百万と呼べるほどの数、神がいなかった時の事。
伊弉冉は火之迦具土を産み落とし、命を落とした。
伊弉諾はそれを嘆き、伊弉冉を迎えに黄泉国へと赴いた。
しかし時既に遅く、伊弉冉はその姿を醜く変貌させていた。
それを見た伊弉諾に伊弉冉は怒り、襲い掛かった。
伊弉諾は恐ろしく思い、その場を逃げ出した。
黄泉醜女、雷獣、そして伊弉冉の追跡を振り切った伊弉諾は、黄泉国の出入り口を岩で塞いだ。
この時を境に、二つの国は完全に切り離された。
死者の住まう黄泉国。
生きた人間と神が住まう葦原中国。
断絶された二つの国を自由に行き交う事は最早叶わず、別れの際に伊弉諾と伊弉冉が交わした言葉だけが活き続けた。
伊弉冉は日に葦原中国に住まう人間を千殺すと言い、伊弉諾は日に千五百の子を増やすと言った。
そして、それから数千年……。
高天原に住まう高貴な神々は地上に降りる事をしなくなり、葦原中国には只、神の血を引くと噂される者だけが残った。
その彼らもまた、増え続ける人の波に飲み込まれ、歴史の表舞台から姿を消していく。
いつしか、葦原中国からは神と呼ばれる者が失せていた。
だが、神は決して消えたわけではない。
今でも、高天原に、黄泉国に、それは住まい、葦原中国を見守り、時として力を貸している。
親が我が子を慈しみ、守り育てるように。
(了)