葦原神祇譚












パシュッという音がして、扉が開いた。ベッドに座り途方に暮れていた仁優がそちらを見ると、二人の黒い人物が立っている。瑛と一緒にいた、神谷と夜末だ。

「……入っても?」

夜末の問いに、仁優は頷いた。着替えているわけでなし。ここに入ったばかりの自分には、隠さなければいけないような私物も無い。

二人は入ってくると、それぞれが仁優にビニール袋や紙袋を手渡した。開けてみれば、神谷から手渡された紙袋には下着類や歯ブラシなどのアメニティ類に文庫本が数冊、夜末からのビニール袋にはジーンズ数本と、黒と白を基調にしたジャケットが一着入っている。ジャケットは、瑛が着物の下に着ていた物と似ている気がする。

「高天原の養蚕場から採れた絹糸を使い作った服なのだそうだ。着れば防御力が上がる上に、気温の調整が要らなくなるのだそうだよ」

夜末の説明に、仁優は早速今まで着ていた上着を脱ぎ、半袖シャツの上からジャケットを羽織ってみた。なるほど、空調の効いたこの部屋ではわかり難いが、確かに着心地は良い。

ある程度動き易さを確認してから、仁優は夜末にジャケットを持ってきてくれた事への礼を言う。それから、気だるげに仁優の様子を見ていた神谷にも頭を下げた。

「色々と、ありがとうございます。下着とかどうしようかと思ってたんで」

「後になって、下着が無いだの生活用品や暇潰しが無いから街へ行かせろなど喚かれる方が面倒だからな」

「……?」

神谷の真意がわからず、仁優は眉根を寄せた。すると、夜末がクックと楽しそうに……しかし声を押し殺しながら笑い、言う。

「この男は、稀代の面倒臭がりなのさ。食事を摂る事すら面倒だと考えるような男だ。だが、食事を摂らなければ体を壊し、更に面倒な思いをする事になるから食事をする……そういう思考回路だ」

「はぁ……」

生返事をする仁優に、夜末は言った。

「この男に何かを頼みたい時は、頼み事の他に、その頼みを断った際に起こり得る更なる面倒事を示してやる事だ。そうすれば、己の正義に反しない限りは聞いてくれるよ。なぁ、神谷?」

「……煩い」

本気で煩わしそうな顔をする神谷を少し呆れた顔で眺めつつ、仁優は試しに問うてみた。

「あの……折角なんで、色々と俺に教えてもらえませんか? じゃねぇと俺、事情も知らないままに暴走して、色々と厄介……っつーか、面倒事を引き起こしかねねぇと思うんですけど」

「……」

仁優の言と神谷の渋面に、夜末が爆笑する。笑い声を押し殺してはいるが。

「そうそう。そんな感じだ。……で、どう答えるんだ、神谷?」

「……面倒臭い。お前が答えれば良いだろう」

「そうはいかない。問われたのはお前だよ」

夜末の言葉に、神谷は心底面倒そうな顔をする。……が、やがて深いため息をつくと仁優に顔を向けた。

「……何が訊きたい?」

少々申し訳無さを感じつつ、仁優は問うた。

「じゃあ、とりあえず……神谷さんと夜末さんが何者なのかについて。二人も、瑛と同じように、神様の生まれ変わりなんですか?」

その問いに、神谷が再び深いため息をついた。

「そこから説明しなければいけないのか……面倒臭い」

ぶつぶつと文句を言いながらも、やがて諦めたような顔をする。

「俺もこいつも、神の生まれ変わりではない。人間だ」

「え? じゃあ、何で葦原師団に……」

「神の生まれ変わりではないが、特殊な能力を持って生まれてきたんだよ。これからの働き次第では、人々なり伊勢崎なりに認められ、神の仲間入りをするかもしれない。言わば、地祇候補といったところさ」

夜末の助け船に、神谷が頷いた。

「偶然か、はたまた必然か。俺達は瑛と同じ地で生まれ育った。神の生まれ変わりである瑛に感化されたのか、元々それだけの力があったのか……俺とこいつの力は、かなり強い方だったと記憶している」

「実を言うと、私も神谷もある霊能力者の家系の生まれでね。家族全員が何らかの霊能力を持っている。その中でも、私達の力は特別に強かったというわけさ」

そう言ってから、夜末があぁ、と何かに気付いた。

「うっかりしていたよ。自己紹介をしたつもりになっていた。私の名は、夜末朝来(あさき)。こっちの面倒男は神谷伝(でん)だ。神谷は自分に悪意を持っていない見知った者であれば、それが例え神であろうと妖禍であろうと即座に連絡を取る事ができる。この男が携帯で話をしている時は、相手が人ならぬ身である場合もあるから、邪魔をしない事だよ」

「はぁ……あ、夜末さんの能力は?」

「いずれわかるさ。その時まで、楽しみにしていると良い。……あぁ、私の事は夜末でも朝来でも、好きなように呼ぶと良いよ。お前も好きなように呼ばれて構わないな、神谷?」

「否定するのが面倒だ。面倒事に発展するような呼び方でなければ、どうでも良い」

突き放すように言ってから、神谷は仁優に向き直り、言った。

「俺達は元々そういう家で育ったから、妖禍や兇神への対応方法もある程度は知っている。俺達の家族もだ。だから、お前と比べれば家族の安否をそれほど気にしなくても良い分、動き易い。……その分、面倒事を押し付けられ易いがな……」

「私は自分の修業も兼ねて。神谷は現状を放っておくと更に厄介で面倒な事になるから、藤堂に協力している形だ。無論、藤堂が取り成してくれたから、神でもない私達がここにいる事ができるという事もあるよ。……まぁ、言わば私達は、藤堂の眷族のようなものなのさ」

それを聞き、納得したようなよくわからないような顔をして一度首を捻る。それから、仁優は問いを重ねた。

「さっき言ってた、妖禍や兇神……。妖禍ってのは天からいわゆる化け物の事だって聞いたけど、兇神ってのは?」

「簡単に言ってしまえば、兇神も化け物さ」

夜末がアッサリと言い、神谷が補足をすべく口を開く。

「ただし、元が違う。妖禍は生まれた時から妖禍であり、最初からその姿だが……兇神は、人間だ」

「!?」

目を見開いた仁優に、夜末が苦笑をする。

「私達のような特殊な能力を持った者は、働き次第で地祇になれると言っただろう? その逆もまた然りだ。能力を使って人に害を為していると、兇神と呼ばれる悪神に認定されてしまう。ただ、兇神になってしまっても、その後地祇にクラスチェンジする事も無いわけじゃない。菅原道真がその良い例さ」

学問の神様の経歴を思い出し、何となく納得して仁優は頷いた。そして、言う。

「じゃあ、最後にもう一つ」

最後と言われて、神谷の顔がホッとしたように見えた。本当に面倒臭かったようだ。

「瑛の前世は……何なんですか?」

問われて、神谷と夜末は顔を見合わせた。そして、頷き合うと言う。

「それは、藤堂本人に訊くんだね」

「訊けるものなら、な」

天と同じ事を言う二人に、仁優は不満げな顔を向けた。だが、全く意に介しない様子で二人はスケジュール帳を取り出した。そして、仁優の意向を完全に無視して施設の説明や今後の訓練予定を伝達し始めてしまう。

今後の自分を案じ、仁優は情けない顔でそれを聞いているしかない。

聞いているうちに、仁優はふと、気になった。

「そう言えば……瑛はどこに行ったんだ? 確か、この二人にその後の進捗を聞くって……」

口に出さぬままになったその問いに、答える者は一人としていなかった。





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