13月の狩人
第三部
19
トントン、と扉をノックする音が聞こえた。その音でカミルとレオノーラは目を覚まし、のろのろと頭をもたげて扉の方を見る。
ベッドから這い出ると上着を羽織り、髪だけ手で少しだけ整えて扉を開けた。そこには、この宿の主人が立っている。
宿の主人と顔を合わせるのは、チェックインの時以来だろうか? 余談だがこの主人、魚人である。そのためか、近くに立つとほんのり磯の香りがする。
「どうしましたか?」
欠伸を噛み殺しながらカミルが問うと、主人は「いえね……」と切り出した。顔が「どう言ったもんかな」と言っている。
「一緒にチェックインされた弟さん……ですかね? よく似てらっしゃる……」
「あ、似てはいますけど兄弟じゃなくて親戚で……」
そういう事にしてある。流石に兄弟だと、万一知り合いに会ってしまった時が怖い。
「テオが、どうかしたんですか?」
具合でも悪いのだろうか。心配になって問うと、主人は「いえ……」と否定の言葉を発した。病気ではないようだが、どうにも歯切れが悪い。
ではどうしたのかと問うと、主人は少々言い辛そうにしながらも、口を開いた。
「いえ、その御親戚の方が、先程ご自分の分だけ宿代を支払って、チェックアウトされたものですから……。てっきりご兄弟かと思っていたものですから、あれっと思いまして……」
「テオが……チェックアウトをした?」
唖然としたカミルに、主人は黙って頷いた。その顔がどこかホッとしているように見えるのは、情報を伝えようと決めた自分の判断が正しかったと思ったからだろう。世の中には、不要な事を伝えられると「そんな事を一々伝えなくても良い」と怒りだす人種もいるわけであるし。
「それから、その後親戚の方が、こちらを。お客様が自分を探しているようであれば、渡して欲しいと……」
そう言って手渡してきたのは、一枚のカード。……あのカードだ。
カミルはカードを受け取ると主人に礼を言う。主人が、役目は終えたという顔で部屋を出て行ったのを見送りながら、カミルは思案顔でカードを見た。後ろから、レオノーラが覗き込んでいる。
「カミル=ジーゲル様。そのカードは……」
「うん。目の前の様子を見たままに記録しておく事ができるカード。昨日見せて貰った奴だね……」
そう言って、カミルは辺りを見渡す。窓は閉まっている。扉も閉まっている。話し声ぐらいであれば、音漏れの心配は無さそうだ。中身を再生しても構わないだろう。
カミルはカードの署名に右手の指で触れる。そのまま文字を撫でると、文字が光り、カードの上に霧のような物が発生する。その霧の中に、テオの姿が現れた。
目の前の記録されたテオは、緊張した面持ちでこちらを見詰めている。そして、「あの……」と話を切り出した。
「すみません、勝手な事をして……。あんなにお世話になったのに、何も言わずに出ていくなんて……怒ってますよね? やっぱり……」
カミルは、怒ってはいない。だが、何故? とは思う。
「……昨日、外にブルーノがいたんです」
それだけで、カミルは察した。何故テオが、何も言わずに出て行ってしまったのか。カミルを巻き込まず、エルゼと二人だけで逃げようと考えたのだろう。カミルだって、同じ立場であれば、きっと同じ事をする。
「窓から見掛けただけなので、まだ見付かってはいないと思います。ただ……時間の問題かと……」
ずっと部屋に籠っているわけにもいかないし、いずれは見付かるだろう。それでなくても、カミル達は宿代を稼ぐために魔道具の修理を請け負っている。評判になれば、それだけ早く気付かれる。
「……正直なところ、あと十日、僕とエルゼだけで生き延びる事ができるかと言われると不安です。けど、いつまでもカミルさんに甘えてばかりだと、きっと僕は、後で落ち込むと思うんです。頼ってばかりで、自分では何もできなかった、って」
テオの言葉に、カミルは顔を顰めた。テオの言い分が気に入らないのではない。彼は今、何と言った? あと十日?
カミルはテオの話を聞きながらも、鞄に手を突っ込み、暦を取り出した。氷響月の、二十二日。たしかに、残り十日になっている。だが、昨夜の時点では氷響月の二十三日で、残り九日だったはずだ。
また、時間が狂っている。
どういう事かと考えるカミルの耳に、テオの言葉が飛び込んでいる。いつの間にやら話は終盤に差し掛かっているようで、テオは締めの言葉を言おうとしていた。
「短い間でしたが、お世話になりました。それに……十日間も、魔道具を作ったり修理したりする作業を見てくださって、本当にありがとうございました! ちゃんとできている、とか、丁寧にできている、とか……たくさん褒めて頂いて、すごく嬉しかったです……!」
お陰で、少し自信がつきました。そう言って、テオは何度も何度も頭を下げ、礼の言葉を繰り返す。頭を何度も下げ続ける姿に流石に呆れたのか、エルゼの窘める声が聞こえる。
窘められた事に対してテオはエルゼに苦笑しながら謝り、再び正面を向くと改まって別れの言葉を告げる。そこでテオの姿は消えた。
「……これから、どうされますの? カミル=ジーゲル様」
レオノーラの問いに、カミルは「うん……」と唸るように呟いた。
「テオが昔の僕である可能性が高い以上、放っておくわけにはいかないよね。テオに何かあったら、今の僕にも影響があるかもしれないし」
「ですが、テオ様はどこに行くとも仰っていませんでしたわ。どこへ行きますの?」
「……ヒントは、これだと思う」
そう言って、カミルは暦を差し出した。
「昨日はたしかに氷響月の二十三日で、今日は二十四日のはずなんだ。なのに、二十二日になってる」
「時間が戻っている、という事ですの? 一体何故……」
「これは推測なんだけど……テオの行き先が関係してるんじゃないかと思う」
そう言って、カミルは思い出すように天井を仰ぎ見た。
「北の霊原に着いた時、暦は有り得ない程進んでいた。二年前のフォルカー達の日付に合わせるように。狩人が何を考えているのかはわからないけど……」
「今回暦が狂ったのは、テオ様の行き先にカミル=ジーゲル様を向かわせたいと狩人が思っている……そういう事ですの?」
レオノーラの問いに、カミルは「多分」と頷いた。
「過去の僕であろうテオと僕を会わせて、一緒に行動させる事ができるぐらいなんだから……狩人は、テオがこの先どこに向かうのかぐらいわかっているんだろうね。そして、僕達がそこに向かうには、きっと約十日かかる」
「だから、暦を狂わせたと?」
カミルは、頷いた。
「そこへ行く道は、何通りもある。確実にテオと再会するには、先回りして、そこで待ち伏せするしかない」
「……その口ぶりですと、カミル=ジーゲル様はご存知ですのね? テオ様の行き先……」
カミルは、頷いた。
「僕達がそこへ行くのに、十日かかる場所。それに加えて、僕達にとって、最も嫌な記憶が残っている場所。……そう思わない?」
どうしたわけか、狩人は獲物にとっても代行者にとっても嫌な要素を積極的に出してくる。友人に命を狙われ、友人の命を狙わざるを得ない、獲物と代行者の関係もそうだ。
〝半人前〟を十三月に招き入れ、逃げ切れた獲物、獲物を殺せた代行者の願いを叶えるという餌を用意しているシステム。様々な人を「代行者ではないか」と疑うようになり、人を信じる事が困難になる環境。
己のために戦うはめになった二年前の友人達を見せられ、過去の己が懸命に頑張る眩しい姿を見せられて。
まるでこちらの感情を揺さぶる事が目的だとでも言わんばかりに、嫌な要素が揃っている。
……となれば、テオの行き先はきっと、カミルの感情を揺さぶるような場所だ。ブルーノをけしかけるなり、他の何かを仕掛けるなりして、テオをそこに向かわせる。そして、それをカミルに追わせる。
カミルにとって、苦い記憶が残る場所。そして恐らく、テレーゼやフォルカーにとっても忘れられない場所だろう。
そこでカミルとレオノーラはテレーゼ達を攻撃し、敗北し、そして一度死んだ。テレーゼとフォルカーがそこで戦い、カミル達を救い出した。
「南の砂漠」
そこしか無い、と。カミルは確信を持って呟いた。
そこにテオが向かい、恐らくブルーノもテオを追って向かっている。
「……カミル=ジーゲル様。南の砂漠に、向かいますの?」
レオノーラの疑問も、もっともだ。カミルがテオを追わなければならない理由は、無いように思われる。ならば、わざわざ嫌な思い出のある場所に行かなくても良いではないか。
しかし、カミルはレオノーラの問いに頷いた。
「テオは、昔の僕だろうからね。テオに何かあったら、今の僕達もどうなるかわからないし。それに……」
一旦言葉を切り、カミルは少し照れ臭そうに苦笑した。
「十日間、作業を見守ってたら……何か、情が湧いちゃったみたいなんだ。……おかしいよね、昔の自分なのに」
そんな事はない。そう言うように、レオノーラは首を横に振った。その顔には、優しい笑みが浮かんでいる。
レオノーラの表情にカミルはホッと安堵の息を吐いた。そして、互いに頷き合うと、南の砂漠へ行くべく荷物をまとめ始める。
氷響月が──一年が終わるまで、あと十日。