13月の狩人
第三部
16
「どこ行きやがった、弱虫カミル!」
路地裏にブルーノの声が響き、家の陰に隠れていたカミルは思わず身を竦めた。
近所に住むブルーノは、ちょっとでも機嫌が悪いと、すぐにこうしてカミルの事を追い回す。捕まったら最後、人けの無い森の奥に連れて行かれて放置されたり、犬をけしかけられたりと、痛い目に遭うのは間違いない。ちなみに、機嫌が良い時は良い時で、からかわれたり連れ回されたりと、ろくな事にならない。
抵抗できれば良いのだが、如何せんカミルは気が弱く、一度大きな声で怒鳴られたら、もう抵抗する気力を失くしてしまう。金持ちな事もあって、ブルーノには取り巻きがたくさんいるのもタチが悪い。
どうやら親に怒られたらしく、今日のブルーノは機嫌が悪い。絶対に、捕まるわけにはいかない。それでなくても今日は、大事な物を持っているのだ。取られたり、壊されたりしては堪らない。
とにかく、夕方まで粘れば助かるだろう。そう考え、見付からないように慎重に慎重を重ねながら、カミルは路地から遠ざかる。手に持った箱を落とさないように気を付けながら、出来る限りの速さで移動した。
さぁ、夕方までどこに隠れていようか?
自宅は駄目だ。恐らく、ブルーノの取り巻きが既に張っている。逃げ込む前に見付かって捕まるだろう。
姉の職場……も、駄目だ。迷惑がかかってしまう。それに、いつまでも泣き付いていたらいけないと、姉達には何度も言われてしまっている。
本当は魔道具屋に行きたかったが、魔道具好きのカミルが用が無くても近所の魔道具屋に行っては中を覗いている事はとうに知られてしまっている。自宅同様、取り巻きが張っていると考えた方が良いだろう。
人混みが多い場所も、できれば避けたい。今手にしているこれを、うっかり人にぶつかって落として壊してしまったりしたら、悲しい。
こんな事になるなら、ちゃんと鞄に入れて持ち歩くんだった。道端でブルーノと遭遇し、絡まれる事なんて簡単に想定できただろうに。
己の迂闊を呪いながら、カミルは用心深く道を選んで歩いていく。そして、そうしているうちにいつしか、森の前へと来ていた事に気付き、カミルは思わず苦笑した。
時々ブルーノに連れてこられて、奥に置き去りにされる森だ。まさか、そのブルーノから逃げているうちにここに来てしまうとは。
ブルーノに連れてこられる時はいつも周りを見る余裕など無かったが、今日は最初から一人だ。逆に、辺りの様子を伺う余裕がある。
意外にも、森は明るかった。森に入ってすぐの場所は、生い茂る木の数がそれほど多くなく、陽の光も充分に降り注いでいる。ところどころに、木漏れ日が集まっているかのような場所があり、そこに立つと気持ちが良い。
ここなら、落ち着いて隠れる事ができそうだ。そう思ってホッとした、その時。
どこかから、諍いを思わせる声が聞こえてきた。せっかく怖がらずにいられる場所を見付けたと思ったのにこれか、と、カミルはげんなりしてため息を吐いた。
しかし、不思議だ。諍いの声ははっきり聞こえてくるというのに、人の姿が見当たらない。姿が見えないのに聞こえてくる声への恐怖心と、そして少しの好奇心から。声の主を探してみようと、カミルは辺りを見渡しながら、森の中を歩いてみた。
しばらく歩くと、一等大きな木漏れ日の塊を見付けた。その中心に、何かがいる。
妖精だ。近寄ってすぐに、カミルはそう断じた。二十センチほどしかない小さな体躯に、薄い羽根が生えている。複数の妖精が、そこにいた。
魔道具屋や魔道具職人と一緒にいる妖精を見た事は何度もあるが、人間と行動を共にしていない妖精を見たのは初めてかもしれない。
そしてどうやら、先程から聞こえている諍いの声はこの妖精達から発せられているらしい。
「いっつもそう! レオノーラってば、どうしてそういう言い方をするの?」
「ちくちくちくちく、細かい事ばっか言って。そんなんだから、みんなとお喋りできないのよ」
妖精のは、全部で三人。そのうちの二人が、一人の妖精に突っかかっているように見えた。
二人は言いたいだけ言うと、さっさとその場を離れてしまう。残された妖精──レオノーラは、仲間が去っていった方角を見て呆れたようにため息を吐いた。そして、カミルの方に視線を寄せると、厳しさを含んだ声で言う。
「いつまで見ているつもりですの? 見てしまったのは不可抗力としても、用も無いのにいつまでも見ているのは失礼だと思いませんこと?」
「あっ、ご……ごめんなさい!」
気付かれていた事に驚き、気まずさで肩を竦め。しかし何となくその場を去り難く、カミルはレオノーラの元へと近寄った。
「……何か?」
訝しむレオノーラに、カミルは「えぇっと……」と言いながら言葉を探した。
「その……良いの? さっきの子達、行っちゃったけど……」
「構いませんわ。……と言うよりも、追ったところでどうにもなりませんもの。あれだけ怒っているところに私が今何か言ったところで火に油を注ぐようなものですわ。それに、ひょっとしたら、あちらはもう絶交したつもりでいるかもしれませんわよ?」
「流石に、絶交なんて事は……」
「無い、と言い切れまして?」
レオノーラの言葉に、カミルは反論の言葉が見付からない。どうしようかと視線を泳がせるカミルに、レオノーラはため息を吐いた。
「私の事はさて置き。まず、あなた様はどこのどなたですの? 他人の交友関係に口を挟む前に、自ら名乗る礼儀ぐらいは最低限身に着けているべきではございませんこと?」
指摘され、カミルは「あっ」と声を発した。そう言えば、まだ名乗ってすらいなかった。
「ごめんなさい。僕は、カミル=ジーゲル」
「……レオノーラ、と申しますわ」
名乗り返してから、レオノーラは少しだけ迷う素振りを見せ、そして口を開いた。
「私が言う事ではないかもしれませんけれども、初対面の相手には敬語を使えるようにした方がよろしゅうございますわよ。今はまだ子どもですから何も言われていないかもしれませんけれど。今のうちに敬語に慣れておけば、大人になってから苦労せずに済みますわ」
「そうなんだ。……じゃない、そうなんですか?」
素直に言葉遣いを切り替えようと試みたカミルに、レオノーラは目を丸くした。
「……私には、敬語を使わずとも構いませんわ」
「え? でも……レオノーラ……さん、は……」
「私は元よりこの喋り方ですの。気になさらないでくださいませ。名前も、呼び捨てにして頂いて構いませんわ」
そう言うと、レオノーラはそっぽを向いてしまった。その様子を、カミルは困ったように見ている事しかできない。
長くはないが、短くもない時が過ぎた。やがてレオノーラは根負けしたようにカミルに顔を向ける。珍しい物をみるような顔をしていた。
「……カミル=ジーゲル様は、私に何か言われる事で嫌な顔をしたりしませんのね」
ぽつりと呟かれたその言葉に、カミルは首を傾げる。そんなカミルに、レオノーラは苦笑した。
「私、物の言い方が厳し過ぎると常々周りから言われていますの。細かい事を気にし過ぎている、そんな事を注意されたくない、と言った具合に」
だが、レオノーラは気になる点を指摘しないと気が収まらないと言う。先ほどのカミルの言葉遣いのように、指摘した方が相手にとって良い事もある。だから口にするのだが、その結果、周りに嫌がられてしまう。
「私、先程からカミル=ジーゲル様に対して、何度も指摘をしてしまっていますわ。初めて会った相手にあれだけ言われたら、気分を害されても仕方がありませんのに……」
カミルは、嫌な顔一つせずに聞き、その指摘に素直に従っている。このような対応は初めてだと、レオノーラは小さな声で言った。
「だって、レオノーラが僕に言ってくれた事は、大事な事ばかりでしょ? 僕のために教えてくれたんだから、ちゃんと聞かないと」
用が無いのにいつまでも見ているのは失礼。自ら名乗る礼儀ぐらいは身に着けておくべき。初対面の相手には敬語を使えるようにした方が良い。
どれも、カミルには大事な事のように思えた。だから、素直に従った。
そう言うと、レオノーラは再びそっぽを向いてしまった。頬が赤らんでおり、照れているように見える。
そして、照れているのを誤魔化すためか。レオノーラは「ところで……」とカミルの手元に視線を遣った。
「カミル=ジーゲル様が何故こんなところに一人でいらっしゃるのか、伺ってもよろしゅうございますか? 見たところ、大事な物をお持ちのようでございますけれども……」
言われて、カミルは「あぁ」と手元に己の目を遣った。小さな箱に見えるそれを見ながら、苦笑する。
そして、ブルーノに追われ、ここに辿り着いたという経緯を簡単に話してから、箱をレオノーラに正面に差し出して見せた。
「……僕、魔道具職人になるのが夢なんだ。それで、見様見真似で自分なりに魔道具を作ってみてるんだけど……今日出来上がったのは、自分でも結構良い出来だと思ったんだ。だから、実際に魔力を充填して動かしてみたくなって……」
魔力を充填してもらうため、魔道具屋に行こうとしていた。素人が作った物であっても、危険の無い物であれば有料で魔力を充填してくれる魔道具屋は街のあちらこちらにある。一回や二回であれば、カミルが貯めた小遣いでも充填してもらえるはずだ。
「……それでしたら、私が魔力を充填いたしましょうか?」
ぽろっとこぼすように、レオノーラが申し出た。自分でも意外な申し出だったのか、レオノーラは驚いて目を丸くしている。考える間も無く、口をついて出た言葉であるようだ。
「えっ……良いの?」
「その……カミル=ジーゲル様が作ってみたという魔道具に、興味がございますわ」
目を輝かせたカミルに、レオノーラはごにょごにょと返事をした。そして、早く終わらせようとするかのようにカミルの魔道具に近寄ると、黄緑色の光を発する。魔道具に魔力を充填する様子をこんなに身近で見たのは、初めてだ。カミルは、息を呑んでその様子を見守った。
やがて黄緑色の光は消え、レオノーラは魔道具から距離を取る。
「これで、作りに問題が無ければ動くはずですわ。それで……これはどのような魔道具なんですの?」
「うん、えっとね……」
カミルは逸る気持ちを抑えながら、箱の底面に取り付けたネジを巻く。そして蓋を開けると、中から色とりどりの紙吹雪と、花びらが吹き出した。それと同時に、中に仕掛けられた鈴が震え、リリン、リリンと澄んだ音を発する。
ネジは起動に必要なだけであったのか、ネジが回らなくなっても音は響き、花びらと紙吹雪は宙を舞う。宙を舞うが、それらは箱の上で舞い続け、地面に落ちるという事が無い。
やがて、レオノーラが充填してくれた魔力が切れたのか。紙吹雪と花びらは、箱の中に戻っていく。鈴の音も聞こえなくなった。カミルは、全ての紙吹雪と花びらが戻った事を確認すると、箱の蓋を閉める。閉めてから、「どうかな?」と緊張した面持ちでレオノーラを見た。
「これは……何ですの?」
目をぱちくりと瞬かせるレオノーラに、カミルは気恥ずかしそうに頬を掻いた。
「えっと……びっくり箱……」
その回答に、レオノーラは「まぁ!」と小さく叫んだ。そして、小さく笑い出す。
「魔道具職人になりたい子どもが作った物と考えれば、上出来ですわね。花びらや紙吹雪、それに鈴の音……。目にも耳にも優しい魔道具で、私は好きですわ」
「えっ……そ、そう?」
照れるカミルの様子を、レオノーラはしばらくの間、微笑ましげに眺めていた。そして、ふと思い付いたような顔をすると、カミルに言う。
「カミル=ジーゲル様。一つ、提案がございますわ」
「提案?」
首を傾げるカミルに、レオノーラは「えぇ」と頷いた。
「私を、魔道具職人、カミル=ジーゲル様のお供として、傍らに置いてくださいません事? 私が傍にいれば、カミル=ジーゲル様は魔力充填のために魔道具屋まで足を運ばなくても、魔道具を試す事ができますわ。それに私……カミル=ジーゲル様が創り出す魔道具を、もっと見てみたいと思ってしまいましたの」
「えっ……えぇっ?」
驚き思わず叫んだカミルだが、少し戸惑った後に考える顔付きとなり、そしてそれほど時間を使う事無く、頷いた。
「……うん。お願いできるかな?」
今度は、レオノーラが驚く顔をした。頷かれると思っていなかったらしい。
「あの……言い出したのは私ですけれども、本当に良いんですの? 私、細かい事をつい口出ししてしまいますけれども……」
「いや、あの……。その口出しを、お願いできないかなって。さっきみたいに、僕が誰かに失礼な事をしちゃったりしたら、教えて欲しいんだ。……立派な魔道具職人になるためには、そういうところも気を付けなきゃいけないと思うから……」
そう言うと、レオノーラは感動したように口の前で手を合わせた。
「……ご立派ですわ。それに、私の小言を必要としてくださるなんて……」
呟き、そして頷いた。
「……それでは私、今後はカミル=ジーゲル様のお供として、いつでもお傍にいさせて頂きますわね。カミル=ジーゲル様が立派な魔道具職人として大成なされますよう、気付いた事があれば指摘をさせて頂きますけれども……よろしいですわね?」
「……うん。お願い!」
頷くカミルに、レオノーラは嬉しそうに頷き返した。そして、今までよりもずっと真剣味の増している声で、誓うようにゆっくりと言う。
「カミル=ジーゲル様が一人前の魔道具職人になるためであれば、何でもお手伝いさせて頂きますわ。嫌な小言も口にいたしますし、何ならカミル=ジーゲル様のお友達にだって小言を申し上げるかもしれませんわよ。それに……それがカミル=ジーゲル様のためになるのであれば、例え倫理に反する事であろうとも、お手伝いいたしますわ。私の言葉を受け止めて、尚且つ必要だと仰ってくださった、あなた様のためであれば……」
「倫理に反するって……大袈裟だよ。僕がそんな大変な事をすると思う?」
笑うカミルに、レオノーラは「例えば、の話ですわ」と言い返す。そして、この話はもうおしまい、と言うように、新たな話題を口にする。
「ところで、カミル=ジーゲル様は、何故魔道具職人を目指していらっしゃいますの?」
その問いに、カミルは「えっ」と呟いた。そして、少し恥ずかしそうに。それでいて、楽しそうに。続く言葉を口にした。
「……あのね……」