13月の狩人
第三部
6
「……っ!」
勢いよく跳ね起き、カミルは辺りを見渡した。
ここが己の部屋だという事は、暗くとも感覚でわかる。先ほどまで見ていたアレが、全て夢という事も。
だが、全てわかっていても、心臓は未だ激しく脈打っている。額には汗がにじんでいる。呼吸が、荒い。
テレーゼ達からアミュレットを貰った日から、ひと月と半分。近頃、あのような夢を見る事が増えた。
あの夢が何を意味しているのか。わからないままに、時間ばかりが過ぎていく。
もやもやとした気持ちを抱えたまま、カミルははぁ、と深い溜め息を吐いた。氷響月から花降月にかけてのこの時期は、寒い。部屋の中にいても、吐いた息が白くなった。
……息が白いと、何故わかった?
首を傾げて、カミルは己の手を見る。辺りは暗い。手ぐらいであればぼんやりと見えるだろうが、吐く息が白い事までわかるものだろうか?
ゆっくりと、首を巡らせる。窓のカーテンが、少しだけ空いていた。そこから漏れた月明かりで、室内が明るくなっていたようだ。
ホッと息を吐き、カーテンをきちんと閉めようと立ち上がる。
「カミル=ジーゲル様。またうなされておいででございましたわ。お加減に問題はございませんこと?」
カミルが目を覚ます少し前から、目覚めていたらしい。レオノーラが、心配そうな顔をして寄ってきた。
「大丈夫だよ。ちょっと、夢見が悪かっただけだから」
そう言って苦笑し、カーテンに手を掛ける。そして、少しだけ情けない顔をして、ため息を吐いた。
「なんか、ちょっとがっかりしちゃうよね。せっかく新年を迎える夜だっていうのに……」
言いながらカーテンを閉めようとして、カミルはぎくりと体を強張らせた。
冬の事で、窓は白く曇っている。だが、それでも外の様子はなんとなくわかった。
雪は今、降っていない。それぐらいなら窓が曇っていてもわかる。そして本来なら今頃、雪は降っていなくても、雪のような物なら降っているはずなのだ。
何故なら、昨夜カミルがベッドに入った時、暦はたしかに氷響月の最終日を示していた。
なのに、花が降っていない。外に人の気配が全く感じられない事から、夜も大分更けている事がわかる。時刻でいえば、もう新年になっているはずなのだが……。
「……カミル=ジーゲル様……」
レオノーラが、緊張を帯びた声でカミルの名を呼ぶ。
心臓が、バクバクと脈打つ。
カミルは努めて冷静でいようと大きく呼吸し、レオノーラに向かって頷いた。そしてベッドサイドに戻ると、枕元の暦に手を伸ばす。
この暦は、数年前にカミル自身が作った魔道具だ。時が巡れば、誰も手を加えなくても勝手に表示される日付が切り合わってくれる。
何も不具合が無ければ、今この暦に表示されている日付は氷響月の三十二日か、花降月の一日のはずだ。だが。
暦に記されていた日付は、氷響月の一日だった。
「……!」
ぞくりと、悪寒が背中を走る。この感覚に、カミルは覚えがあった。
「十三月……」
ぽつりと呟いたカミルの傍らで、レオノーラが眉をひそめる。
「何故ですの……? カミル=ジーゲル様は、四年前に代行者まで請け負われましたのに……」
「……代行者を経験したからと言って、獲物候補から外れるわけじゃないみたいだね……」
そう言うと、カミルはすぐさまクローゼットを開けて着替えを始めた。
そうだ。代行者になれば二度と獲物に選ばれる事は無いなどと、誰が言ったわけでもない。十三月に選ばれるのは、いつまで経っても一人前になれない者。そう考えれば、一度しくじった代行者など獲物に最適ではないか。
本来なら、しくじった代行者は十三月の狩人によって始末され、目覚めない呪いにかかる。しかし、カミルは目覚めた。テレーゼとフォルカーの、懸命な努力によって。
「一人前になるか、死ぬか。どちらかの結果しか、狩人は許してくれないみたいだ」
上着を着込み、非常時用にまとめておいた荷物を持つと、カミルはレオノーラを伴い外に出た。
深夜だ。人はいない。
十三月に切り替わったばかりだからなのか、今はまだ、誰かに狙われている感覚は無く、矢が飛んでくる様子も無い。
「……いや……」
呟き、カミルは少しだけ頭を横に振る。
「……レオノーラ。テレーゼは前に、十三月の事をどんな風に推測していたっけ?」
「たしか、一夜の夢の世界だと。代行者や獲物は夢の世界に招き入れられた魂。そして、唯一実体のまま入り込み、獲物や代行者の動向を監視し手を下す事ができる存在が、十三月の狩人。テレーゼ=アーベントロート様の仮説では、そのように……」
カミルは頷き、警戒しながら辺りを見渡した。
「その仮説通りなら、この世界は十三月の狩人が作り出したもので、狩人は好きな時に好きな場所を見て、そこへ移動する事ができる。……つまり、十三月に招き入れられた時点で、僕達は既に狩人の監視対象になっている、という事で……」
今何事も起こっていないのは、恐らく、代行者がこの場にいないから。まだ目覚めていないのか、カミルの事を知らない人物であるのか、単にここに辿り着いていないだけなのか。
今までの経験から、序盤は狩人が手出しをする事は無いと推測される。狩人が手を出してくるのは、代行者が獲物に対して中々行動を起こさない時。もしくは代行者の力が不足していて、獲物に易々と逃げられそうな時だ。
「なら、とにかく今のうちに、人通りの少ない場所へ移動しないと……」
十三月の狩人が放つ矢も、代行者の攻撃も。獲物以外には姿を見る事ができない。何故なら、代行者と獲物以外は皆、狩人が作り出した夢の世界の住人だからだ。
だから、獲物仲間以外に助けを求める事はできない。求めても、助けてもらいようが無い。それどころか、人混みにいたりすれば人々に歩みを阻まれて、逃げ遅れかねない。不安は尽きないが、十三月に招き入れられた場合、まずは人混みの多い中央の街から離れるのが基本だ。
物音を立てないように。ヴァルターを起こさないように。カミルはそっと住居兼工房から離れる。
氷響月が──一年が終わるまで、あと三十二日。