13月の狩人
第三部
3
西の谷に分類される土地の中では、中央の街により近い場所。一年前にギーゼラから独立したテレーゼはそこに居を構えている。そこで何をしているかと言えば……。
「テレーゼせんせー! アルがころんでケガしちゃったー!」
「うちの子、今朝から咳が止まらなくて……診て頂けないですか?」
カミルが遅刻する事無くその場に辿り着いた時。テレーゼは彼女を取り囲む老若男女の様子を一瞥しては症状の軽重を判断し、並ばせている最中だった。
「怪我した子は、まずそこの水がめから水を汲んできて、傷口を洗っておいてちょうだい。すぐ近くに川があるけど、そこで洗ったら駄目よ。綺麗に見えるけど、雑菌がたくさんいるから」
「はーい」
怪我をした子ども達が涙目になりながら、水がめの方へと歩いていく。それを横目で見ながら、腰が痛いと言う老人には椅子にかけて待つよう指示を出し、咳が止まらないという子の様子を観察する。
「熱は無いようですが、ずっと咳き込んでいるというのが心配ですね。自己治癒力を下げてしまわない程度に、魔法で気管支を広げておきます」
そう言って、テレーゼは腰から杖を抜き取ると、一振りした。淡い光が子どもののど元を撫でると、先程まで激しく咳き込んでいた子どもの症状がやや和らぐ。
「あとは……帰ったら濡れタオルなどをぶら下げて、部屋を加湿するようにしてください。メモをお渡ししますから、書かれている食材を積極的に摂るようにして……薬が必要と思われましたら、赤のインクで書いた薬を薬屋で訊いて頂ければ良いかと。それでも改善しない場合は、中央の街で専門の医師にかかる事をおすすめします」
改善しない場合は、などと言っているが、子どもの様子が楽そうになっているのは明らかだ。母親は頭を下げて礼を言い、定められた料金を支払うと、子どもと共に帰っていった。
見ての通り、今テレーゼは、この場所で診療所を営んでいる。……と言っても、医師ではない。医師を名乗るには医療の知識が乏しいというのは、テレーゼ本人の言だ。
それでも、カミル達が二年間目覚めずにいた時に学び、習得した知識と治癒魔法は並大抵の物ではない。その道に進むのが合っているように思うと師匠であるギーゼラに背を押された事もあって、その知識と治癒魔法を活かす仕事をする事となった。
行うのは、主に健康相談。医者にかかるほど重くはないが、何もせずにいるのもまた辛いという病人の診察と治癒。そして、医者にかかるまでに持ちそうにないという者への応急処置だ。
治癒魔法を施し過ぎると、その人が本来持っている自己治癒力を下げてしまう恐れがある。そのため、魔法を使うのは最低限。命の危機が無くなるレベルまで傷の治癒を行ったり、回復が早まるように症状を少しだけ緩和させたり、という内容に留めているそうだ。
あとは、知識を活用して食事や運動、掃除などの生活指導。わかる範囲であれば薬の指示も出す。
テレーゼらしいな、と、初めて聞いた時にカミルは思ったものだ。
その指導や指示がいつも的確である事、治癒魔法の効果が抜群である事、治療費や指導費が高額でない事から、仕事を始めて一年もしないうちにテレーゼの名は知れ渡り、いつの間にやら「テレーゼ先生」などと呼ばれて慕われるようになっていた。
医師からは商売敵であると睨まれるかと思いきや、緊急性の高い治療が減った事は勿論、病気未満の状態でも受診に来る患者が減って、仕事が楽になった、患者の一人ひとりに手厚いケアができるようになった、と歓迎されているらしい。
忙し過ぎる医師の繁忙期――冬に開業した事で、結果的に彼らを過労地獄から救った事が功を奏したようだ。
そんな感じで、今や医師よりも忙しくなってしまったかもしれないテレーゼに、カミルはタイミングを見計らって声をかける。何か手伝おうかと問うたら、順番を待っているご老人方の話し相手を依頼してくるあたり、抜け目がない。
快く引き受けて老人達と向きあい、天気の話やご近所の噂話に耳を傾け、孫娘を嫁に薦められたのには当たり障りのない断り文句を返し、いつの間にやらポケットに飴玉を突っ込まれる。そんな事をしているうちに診察を待つ列は短くなっていき、やがて患者は皆帰っていった。
「お待たせ。カミルが患者さん達の相手をしてくれて助かったわ、ありがとう」
「なんてことは無いよ。……相変わらず、忙しそうだね」
「お陰様で。もう紅塗月も後半だし、これからが怖いわね……」
「医者の不養生という言葉もございますわ。テレーゼ=アーベントロート様がご病気になられたりしたら街に病人が溢れかえりかねませんもの。無理はせず、適度に休憩されなくてはいけませんわよ?」
「レオノーラも、ありがとう。その辺はちゃんとわきまえてるから、心配しないで頂戴」
取り留めも無い会話をしてから、テレーゼは「ところで……」と眉をひそめた。
「フォルカーは? まだ来てないの?」
「そういえば……約束の時間はもう過ぎているはずなんだけど……」
困惑を隠さずに、カミルは窓から外の様子を伺う。……と、遠くから走ってくる影が見受けられた。
「あぁ、今来たみたいだよ。ほら……」
指を差し掛けて、カミルはぎょっとする。夕暮の中走ってくる影が、診療所に近付いてもその勢いを殺す事無く、突っ込んでくる。
バタン! と荒く扉が開かれる音がして、カミル達は思わず視線を取られた。開かれた扉からは、案の定フォルカーが飛び込んでくる。腕に、十二、三歳ぐらいの少年を抱えていた。
「テレーゼ、悪ぃ! 治癒魔法頼む! 南の砂漠でモンスターを狩ってたら、この馬鹿が石化されちまった!」
言われてみれば、少年は下半身が石になってしまっている。凶悪なモンスターが多く生息する南の砂漠には、強力な毒を持つ種も多くいる。どうやら、体を石化させる毒を持つモンスターにやられてしまったらしい。
「馬鹿って言わないでよ、ししょーの馬鹿ーっ!」
「だーかーらーっ! 誰が師匠だっての! そんだけ軽口叩けるなら、雑に扱っても大丈夫だな? 置くぞ、ほら!」
投げるように診察台に降ろされ、少年は「ぎゃーっ!」と叫ぶ。怖かったらしい。そんなやり取りをする二人の後ろに回り込んだレオノーラが、呆れた声を発した。
「フォルカー=バルヒェット様? お気付きかどうかは存じ上げませんが、フォルカー=バルヒェット様の尻尾も石化していましてよ?」
「へ?」
言われて、フォルカーは腰をよじり、己の尻を見る。そして、「うぉっ」と短く声を発した。
「何だこれ、いつの間に!」
「何だよー。道すがら俺の事ドジドジ言ってたけど、ししょーだってドジじゃんか!」
「うるせぇよ。だから師匠って言うなっての!」
「良いから、とにかく治療させて頂戴? このドジ師弟」
呆れた様子で、テレーゼが杖で二人の頭を軽く叩く。叩かれて呻いている二人を見て、カミルは苦笑した。
テレーゼが診療所を開設した一方、フォルカーはモンスターを狩る事で生計を立てている。村をモンスターの群れから守る事で報酬を得たり、狩ったモンスターを素材として売ったりしている、との事だ。
凶悪なモンスターがゴロゴロしている南の砂漠に何度も訪れ、何体ものモンスターを難なく狩る腕前から、一部の者からは凄腕の剣士として尊敬されているらしい。それこそ、押し掛け弟子ができてしまうぐらいに。
フォルカーは非常に面倒臭そうだが、何だかんだで面倒見が良い性格であるため、この押し掛け弟子に何かある度にテレーゼの元に治療を頼みに来ているようだ。ちなみに、ドジな押し掛け弟子の事で右往左往している時には、彼も昔のドジがちらりと見え隠れしている。
この二人がこうして活躍している様子を見聞きする度に、カミルはこの二人の友人である事を誇らしく思う。そして、同時に胸がチクリと痛む事がある。
テレーゼとフォルカーの〝今〟があるのは、間違いなく二人が血の滲むような努力を積み重ねてきたからだ。特に、カミルとレオノーラを救おうと躍起になっていた二年間は、二人に多大なる成長を与えたように思う。
なら、僕は? と、カミルは思う。
もし、二年間の眠りにつかずにいたならば……二人と同じように努力する時を与えられていたならば……僕は今、一体どのような姿になれていたのだろう、と。