光と陰と蜃気楼―Tales of Mirage―





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暖かい光が降り注いでいる。どこからか、小鳥のさえずりも聞こえてくる。

「あ、気が付いた?」

妙に平和な雰囲気の中、シンはリアンの顔を覗き込んで言った。

「! お前は! ……ここは……? 一体、何が……」

「覚えてないんだ。……って事は、最後に言ってたあの言葉はやっぱり無意識だったのかな……?」

苦笑しながら、シンはそこにあった椅子に座り直した。手にはリンゴと果物用のナイフ。するすると手際良く皮を剥いていく。剥き終わったところで二つに割り、片方をリアンに差し出した。

「食べる? ……と言っても、貰ったリンゴだから「毒は入ってないよ」とは言えないけどね」

そう言って、半分になったリンゴを齧る。どうやら毒は入っていないようだ。リアンは上半身を起こすと包帯だらけの手でリンゴを受け取り、一口齧った。シャリシャリとした食感と共に、甘酸っぱい果汁が口に拡がる。

「さて……何度も会ってるのに、自己紹介がまだだったよね。私は、シン・トルスリア。トーハイに住んでる学者だよ」

「……リアン・シーワンだ」

真っ直ぐに見詰められ、リアンは視線を逸らしながらぶっきら棒に名乗った。

「あとは……ずっと一緒にいた人がウィスで、魔法を使う大道芸人みたいな恰好をした子がチャキィ、本を持っていた人がアスト、で良いのかな? ……回復魔法を使っていた人はトーハイで見た事があるよ。ホーステイル……だったかな?」

「当人は、ホースと呼べと言ってくる」

そう言いながら、リアンが寝かされていたベッドから起き上がろうとした。だが、床に足をつき立ち上がろうとした瞬間にぐらりと体が揺れ、崩れ落ちる。

「危ない!」

慌ててシンが抱き止め、そのままリアンをベッドに座らせる。体が安定したリアンは、すぐさま自分の左足を見た。手や胸部と同様に、包帯が巻かれている。

「湖に落ちた時、氷と氷の間に挟んだみたいなんだ。気付いてすぐに回復魔法をかけて止血はしたんだけど……」

治すまでには至らなかった。申し訳無さそうに、シンは言った。

「良い。神に仕える身のくせに戦闘に明け暮れてきたツケが回ってきたんだろう。自業自得だ。気にするな」

リアンはそれだけを言い、「気に病まれるとこっちが気になる」という言葉を呑み込んだ。そして、シンを見上げながら自嘲して言う。

「それで? お前達はめでたく俺を捕虜にしたわけだが……どうするつもりだ? 俺を盾に、世界滅亡を止めろとウィス達に言ってみるか?」

「いや、別に捕虜ってわけじゃないよ? 私も仲間と離れ離れになって一人だし」

「……何?」

眉を寄せるリアンに、シンは再び椅子に座りながら言う。

「順を追って説明するね。あなたはホウツ氷海で、ルナ――私達の仲間の攻撃魔法からチャキィ達を守ろうとした。そして、一人大ダメージを負った。それは覚えてる?」

「おぼろげだがな」

リアンの肯定に、シンは頷いた。

「その後、ホウツ氷海の氷が割れた。それであなたは湖に落ちて、私はついついその後を追って飛びこんだ。それで、あなたを拾った後運良く流れてきた筏に乗り、あとは水の流れと風の援けを借りつつ、このシューハク遺跡島まで流れ着いた」

「シューハク遺跡島だと!?」

思わず身を乗り出し、足の痛みでリアンは顔をしかめた。

「そう。それでここは、海辺で私達を見付けて保護してくれた、長老の家。名前を訊かれて正直に名乗ったら、何故かそれ以上の事は訊かずに力を貸してくれた」

辺りを見回すリアンに、シンは説明を続けた。

「そっちの世界でもそうだろうと思うけど、シューハク遺跡島は実は遺跡なんかじゃないんだ。今でも人が住んでいる。昔の記録と魔力を守りながらね。それを知ってたから、あなたやウィスはシューハク遺跡島に来ようとしてたんじゃない?」

「……あぁ」

短い肯定。その後に言葉が続かない事を感じ取ると、シンはぽつりと言った。

「……こっちのシューハクは、ゴドの神殿とは繋がってないよ」

「!?」

リアンの目が見開かれる。シンは、表情を変えぬまま淡々と言った。

「これは、長老さんにお願いして調べて貰ったから間違いないと思う。……ミラージュ――あなた達の世界に行った時、ゴドの神殿で盗み聞いたよ。世界を滅ぼそうとした理由」

「……」

リアンは黙り込んだ。そんな彼に、シンは言う。

「同じ姿をした二つの世界……この世界とミラージュが完全に出会った時、二つの世界は滅びる……確かに由々しき話だよね。こっちの世界にももしそんな話が伝わっていたら、あなた達を派遣した人と同じように……双方滅びるくらいなら先に相手を滅ぼしてやれって思う人は出たと思う」

「……」

「けどさ、両方の世界を歩いてみてわかったけど……二つの世界は、必ずしも全く同じ姿ってわけじゃないみたいなんだよね」

「何?」

リアンが訝しげな顔をした。シンは、もう片方の世界を思い出しながら言葉を紡ぐ。

「こっちの世界には、シュンセイ遺跡は無いんだよ。それだけで、もう全く同じ姿の世界とは言えなくなっていると思う。それに、仕事で湖西の方に行った事もあるけど……こっちの世界では鬼神というあだ名が名高い戦闘狂の神官の噂なんて聞いた事が無い。つまり、住んでいる人達も全く同じってわけじゃない。シューハク遺跡島に関しても、そっちには残っているのにこっちには残っていない話がある。本当に凄い偶然だけど……こっちの世界と、あなた達の世界。二つの世界は似たような地形、同じ名前の町を持っている、全く違う世界なんだよ。よくよく考えたら、当たり前の話なんだけどね」

「……」

「これぐらいの事、あなたやウィスなら気付きそうなものだけど……。何でそれでも世界を滅ぼそうとしたの? あなたに至っては、トーハイに着いて早々「この世界を滅ぼしに来た」と宣言までしてる。こういう場合は、本当に二つの世界は全く同じ姿なのか念入りに調べてから滅亡を実行しようとすると思うけど。それに、あんな宣言をしたら警戒されるのは目に見えてるでしょ?」

ウィスやチャキィにも言われた事を指摘され、リアンは暫く黙りこんだ。そして、数分間も何事かを考えていたかと思うと、躊躇しながら口を開く。

「……まず、この世界が全く同じではないのに滅ぼそうとした件だ。ウィスやアストは、確かに上から「二つの世界が全く同じかどうか調査し、同じなら滅ぼせ」という命令を受けている。故意か否かはわからんが、その命令はどうやら噂になって世間に流れ出ていたらしいな。その話を聞き付けてやって来た、チャキィもウィス達と同じ目的で動いている」

「……あなたは違う?」

シンの問いに、リアンは頷いた。

「俺は、最初から「ミラージュを滅ぼせ。そして人材と資源を確保しろ」と言われている」

「ウィスとアスト、そしてあなたに下された命令は違う物だった? 何だってそんなややこしい事を……」

「さぁな。……とにかく、俺は最初からこの世界を滅ぼすように命じられていた。滅ぼす事が決まっているのなら、最初から互いに敵だと認識しておいた方が良い。慣れ合い、情でも生まれたりしたら……滅ぼすのが、辛くなる」

そう言って、リアンは視線をシンから逸らした。

「滅ぼす段階になった時、仲間――ウィスが辛い思いをしないように、ああやって私達の敵意を煽った? そういう事?」

リアンが、黙って頷いた。

「……何か、おかしくない? ウィスに辛い思いをさせたくないって言うなら、最初からその命令を断れば良いだけの話なように思うけど」

「……人質を取られた、とでも言えば納得するか?」

リアンの言葉に、シンの顔が凍り付いた。

「人質? 一体誰が……」

「ウィスだ」

「……え?」

おかしな事を言う。ウィスはリアンと行動を共にしていた。どう見ても人質ではない。そう考えたのが伝わったのだろう。リアンは、暗い顔をしてシンの顔を見た。

「俺とウィスは昔、ある事をやって処刑されかけた事がある。死刑になるか終身刑になるかまではわからないが……その時、俺が神官になる事で二人の罪は無かった事にすると言われた。……それで、俺は神官になった」

「あぁ……」

妙に納得した面持ちでシンが頷いた。リアンが神官になった理由に得心した様子だ。

「神官である以上は、神殿の命令は絶対だ。逆らうのであれば、辞する事も考えなければならない。……が、俺はそういう条件で神官になっている。俺が命令に背いたり、神官を辞めたりするという事は……」

「昔の罪を公にされ、下手をしたら二人揃って改めて処刑されてしまうかもしれない。自分だけならともかく、ウィスをそんな目に遭わせたくなかった……そういう事?」

「……そうだ」

「二人揃ってこっちに来たなら、そのまま逃げてこっちの世界に住んじゃえば……それも、難しいか」

いつ、元の世界から新手が来るかわからない。新しい世界で、生きていけるかどうかはわからない。

「普通に考えたらね」

「? どういう意味だ……?」

「あなた達がこの命令を放棄してこっちの世界に住んだ場合……少なくとも、向こうの世界からこれ以上新手がやって来て、世界を滅ぼすついでに裏切り者であるあなた達を殺しにくるって事は無いよ。どうもあなた達は、ミャコワンの――この場合はあなた達の世界の方のだけど……王様の目を逸らす為の囮のようだからね」

シンの発言に、リアンは目を見開いた。

「何だと?」

「全部私の勘と推測から出た話なんだけど……落ち着いて聞いて欲しい。まず、ゴドの神殿がこっちの世界を滅ぼし、できれば資源や人材を手に入れたいと考えている……これは、本当の事だと思う」

リアンが、頷いた。

「けど、いきなりそんな物欲丸出しじゃ世間体が悪い。だから、世界が重なり合った場合の滅亡の話と、調査の話を持ち出した。これで世間には「仕方が無い、必要な事だ」と思わせる事ができるかもしれないし、王様からの非難も免れる事ができる。自分が治める世界が繁栄するなら、王様も強くは反対できないだろうしね」

リアンが、再び頷いた。ここまでは理解できている、という反応だ。

「そこで、神殿は戦闘狂であるともっぱらの噂のリアンと、その友達で考古学に詳しいウィス、そしてどういう意図かは知らないけど、アストという人の派遣を決めた」

「アストは禁書使いだ。魔法で、対象物を本に閉じ込める事ができる。資源や人材を持ち帰るのには最適だ」

リアンの説明に、シンは「なるほど」と頷いた。

「三人を派遣した事で、王様や世間の目は三人と、ミラージュに向く。その間に、神殿と、神殿と組んでいるらしいサブトの副王様、それにシューハクの一部の人間達は動き出し、準備を始める」

「……」

「何の準備か? それは多分……副王様が王様を倒して、世界を全て支配する為の準備だと思う」

「……!」

リアンが絶句した。それでもシンは喋るのを止めない。

「多分、シューハクで神殿や副王様と繋がってるのは一部の人だけだろうね。シューハクの人全員が繋がっているのなら、何も囮を使って王様の目を逸らし、準備をする必要なんて無い。シューハクの強力な魔法があれば、世界を抑えるのなんてそんなに難しい事じゃないと思う。それをしなかったのは、シューハクの中でも王様派と副王様派があるから。力が拮抗して双方ろくに動けないのか、副王様派は数が少なく不利だから隠れて動いているのか……そこまではわからないけど」

「……この話に、シューハクが一部絡んでいる事は知っていた。神殿の幹部達が言いだした予言というのは、シューハクに伝わっている昔の文献の事だろうという事も薄々勘付いてはいた。だが……」

「自分達が囮にされているとは気付かなかった?」

「捨て駒だろうとは思っていたが……」

「なるほどね」

シンは頷いた。

「できれば、捨て駒にはならずに戻って来てくれた方がありがたいとは思っているんじゃないかな? 人材や資源が手に入れば、その分王様との戦いは楽になる。先に準備を始めていた以外のアドバンテージもできれば欲しいだろうしね。それに、使い勝手の良い捨て駒は、できれば回収して再利用したいと思うのが普通だろうし」

「……お前、性格が悪いと言われないか?」

普通なら言い難いであろう事をずけずけと言われ、リアンは頭に来るのを通り越して呆れ返った声で呟いた。

「たまにね。あと、変とはよく言われる。個人的には褒め言葉として受け取っているけど」

にやりと笑って言うシンに、リアンは思わず苦笑した。

「ところで……これからどうするつもりだ?」

リアンの問いに、シンは「うーん……」と唸った。

「とりあえず、仲間と合流かな? 時間的にそろそろだとは思うんだけど」

「? 何がだ?」

リアンが問うた時、部屋の扉がノックされた。続いて扉が開き、向こうから八十代ほどの老人が現れる。見た目は老いているが、かくしゃくとしてまだまだ元気そうな老人だ。

「長老さん」

シンが声をかけると、長老であるらしいその老人は部屋の中に入り、リアンの姿を見て言った。

「おや、お連れさんが目を覚ましましたか。良かった良かった。ところで、シンさん。お迎えの方がいらっしゃっておりますぞ。それも、八人も。こちらに通しても、よろしいですかな?」

「勿論です」

シンが頷き、長老は満足そうに頷いて部屋から出て行った。シンは、唖然としているリアンの方を向いて笑って見せる。

「ほらね?」








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