光と陰と蜃気楼―Tales of Mirage―





05





「……来る!」

呟くや否や、シンは剣を抜き放ち、防御の構えを取った。それとほぼ同時に二つの影がミラージュから飛び降り、抜き身の剣を構え落ちる速度を利用して斬りかかってくる。

一人は黒く短い髪に鋭く黒い瞳、一見すると動きにくそうな白い神官服を纏った青年だ。年の頃は、シンと同じぐらいだろう。神職の衣装やその線の細い見た目に反し、攻撃力の高そうなバスタードソードを手にしている。

もう一人は、有り触れたデザインのロングソードを両手でしっかりと握っている。腰まである栗色の髪を首の後ろで尻尾のように束ねていて、深緑色の丸い瞳を持っている。一見して、人好きのする兄ちゃんという感じだ。

そんな二人が振り下ろす初撃を辛うじて受け止めいなすと、シンはすぐさま後ろに飛び退った。

「リノ、安全なところまで下がって! 早く!」

叫びながらシンは、辺りの男達にも目配せをした。すると、男達は瞬時にシンと二人の青年の間に割り込んでくる。彼らが二人の青年と戦い始めたのを機に、シンは詠唱を始めた。

「英傑の祈りが呼びし風、乱れ吹き交い敵を押せ!」

唱える間にも町の男達が押され始めたのを目にし、シンはいつもよりも早口で詠唱を完成させた。

「ブラストウェーブ!!」

瞬時に、強烈な風が吹き荒れる。だが、その風は先ほどモンスターに放った時よりもやや威力が弱いようにも感じられた。

「……焦り過ぎたかな……」

渋面を作って、シンは呟いた。幸い、敵の集中力を乱す事だけはできたようだ。二人の青年が風に気を取られた隙に町の男達は相手の剣から自分の武器を外し、素早く相手の攻撃を回避する。町の仲間を巻き込む心配が半減したところで、シンは新たな詠唱を始めようと呼吸を整えた。本当は前衛も無しに魔法を使うのは避けたいところだ。だが恐らく、剣の腕ではシンはあの二人には敵わない。

「古の大地に眠りし聖なる炎……」

だが、詠唱を唱え始めると同時に相手は地を蹴り、シンに斬りかかってくる。

「……っ! フレイムウォール!」

身に危険が迫り、シンは已む無く詠唱を省略した。大地から先ほどのような強烈な炎が噴き出る事は無く、シンと二人の青年の間には酒を注いだフライパン程度の火柱が上がる。

「なるほど……魔法の仕組みはこちらの世界と同じ、というわけか……」

神官服を纏った黒髪の青年が火柱を避けながら楽しそうに言う。すると、その補足をするように栗色髪の青年が言った。

「同じって……それって詠唱をする事で威力の高い魔法を発動するって事、リアン?」

「そうだ。魔法使いにしろ魔法剣士にしろ僧侶にしろ、魔法を使う時には詠唱がつきものだ。それは何故だったか? ウィス先生」

「魔法とは、自然界の魔力に自らの魔力を混ぜ合わせ、攻撃や防御、体の活性化という形に生成する事を言う。また魔力には種類があり、水辺には水の魔力、火山には炎の魔力という具合に場所によって異なる属性を持つ。例えば、水辺で魔法を使うのであれば、水の魔力が強い分水属性の魔法の威力が上がる。これと同等の威力を他属性で出す為には、その分体内の魔力を多く消費する必要がある。この他に、魔法の威力を上げるには詠唱をするという手がある。使用者は詠唱をする事によって魔力をどのように形作るのかイメージし、より強力な魔法を使用する事ができる。イメージが貧弱であると魔法は威力が半減してしまう為、多くの魔法使用者は詠唱を欠かさず行っている。また、詠唱で気分を高揚させる事で体内の魔力を活性化させ、更なる威力を生み出しているようだとする研究結果も発表されている。……以上、魔法学の教科書八ページより抜粋。ここはテストに出すから、しっかり覚えておいてね」

長い説明文を諳んじてみせると、栗色髪の青年――ウィスはにっこりと笑って見せた。そんなウィスを、神官服の青年――リアンは「余計な説明までしなくて良い」と小突いている。

「その説明文……私が使ってた教科書と全く同じ文章だね。ミラージュって、こっちの世界と同じ教科書使ってるのかな?」

興味深そうにシンが言う。ウィスが説明文の暗唱を始めた時こそこの隙に長い詠唱を完成させてしまおうとしていたのだが、その詠唱はいつの間にか中断してしまっている。どうやら、学者としての興味・好奇心の方が危機感を上回ってしまったようだ。そして、確認するかのようにウィスに問う。

「ひょっとして、こんな補足文章があったりする? ……詠唱はあくまでも魔法を発動する上でイメージを確たるものにする為の補助的なものである。それ故、イメージができるのであれば自ら創作した言葉での詠唱でも魔法発動は可能である」

シンのその言葉に、ウィスは少しだけ驚いた顔をした。そして、明るく笑って言う。

「そう。凄いね、君。補足の文章までちゃんと覚えてるんだ。特別に意欲点をあげたいな」

「意欲点よりも、解説が欲しいな。あなた達は何者で、何故いきなり襲いかかってきたのか……」

警戒を解かぬまま、シンが言う。ウィスの態度から緊張感が多少和らぎはしたが、それでも彼らの狙いがわからないのは変わらない。

「教師と神官だよ。肩書きはね」

「それは服装とか、今までの発言から何となくわかる。私が訊きたいのはそういう事じゃなくて……」

「わかるよ、本当は何が訊きたいのか。けど……」

哀しそうにそれだけ言うと、ウィスは再びシンに向かって攻撃を繰り出した。シンはそれを受け止め、そのまま鍔迫り合いへともつれ込む。その間に、リアンが二人の横を素早く通り過ぎた。

「あ!」

「待て!」

リアンが町へ入ろうとするのを止めるように、町の男達が追い縋る。だが、リアンは不敵に笑うと巧みに剣を操り、男達を寄せ付けないまま器用に詠唱を完成させた。ウィスは力尽くで武器を外し、あっという間にシンと距離を取る。

「天にまします我らが神に、かしこみ願い奉る! 庇護無き雨をこの地に降らし、悪の力を削ぎ給え! ブラッディ・レイン!」

途端に、天から血のように赤い雨が降り注ぐ。雨を浴びた者はシンも含め、皆力が抜けたようにその場に座り込んだ。

「何だ……? 力が……」

「シン、これって……?」

「相手の力を奪う魔法、みたいだね……。けど!」

言いながら、シンは自らの足に力を込めた。多少ふらつきはするものの、立てなくなるほど力を奪われたわけではない。

徐々にではあるが立ち上がるシンを見て、ウィスは感心したように言った。

「凄いな。リアンのブラッディ・レインを浴びて立ち上がった人は初めて見たよ。知識があるだけじゃなくて、根性もあるんだ」

「これぐらいはできなきゃ、古代遺跡のフィールドワークなんて危なくてできないからね」

そう言いながら、シンはちらりと背後を見た。そこには、青い海がキラキラと光り輝いている。

「これだけは町の中ではやりたくなかったけど……仕方が無いかな」

言うや否や、シンは足元の砂を思い切り蹴り上げた。隙を突かれた形になったリアンとウィスは、砂粒が目に入ったのか思わず後ずさる。その間にシンは大きく二人と距離を取り、足を止めた場所で跪いた。海の波間に片手を滑り込ませると、シンは口早に、だが大きくはっきりとした声で詠唱を完成させた。

「汚れを知らぬ無垢なる水よ、剣となりて敵を討て! アクアスライサー!!」

瞬時に、海から爆発したように飛沫が上がった。飛沫は無数の刃へと姿を変え、リアンとウィスに向かって一直線に飛んでいく。

「チッ……天にまします我らが神に、かしこみ願い奉る! 御手を我らに差し出し給い、我らを悪より救い給え! セイント・ガード!!」

リアンがすぐさま唱え、二人の前には光の壁が発現する。だが、水の刃はその壁をも貫き、二人の手足に容赦無く突き刺さっていく。

「ぐぅっ……!」

「うっ……くっ……!」

リアンが呻きながらくずおれ、ウィスも立っているのがやっとの状態のまま剣を構えた。その眼前にシンが静かに立つ。その様子に先ほどまでのようなふらつきは見られない。どうやら、リアンのかけた魔法の効果が切れたようだ。

「シン……今の魔法って……」

「あ、そっか。リノには初めて見せた事になる、のかな? この先生が言ってたでしょ? 例えば水属性の魔法は、水辺で使えば威力が上がる。この町は海に囲まれてるからね……ここで水の魔法を使ったら町を破壊しかねないから、今までは使用を控えてたんだ。実際、魔法で力を奪われてなかったらどうなってた事か……」

言いながらシンは肩をすくめた。その視線の先には、流れ弾ならぬ流れ刃で哀れな姿となり果てた柵やら壁やらが並んでいる。この後に控えた修繕作業を思い、シンは溜息をついた。そして、視線をリアンとウィスに戻すと口を開く。

「さて、どうする? 私はこれ以上戦いたくないし、あなた達が何故ここに来たのか、何故いきなり攻撃してきたのか、に興味があるから、できれば剣を納めて話をしたいんだけど……」

そう言われ、ウィスはちらりとリアンを見た。できる事ならば、シンの言う通りにしたいと目で訴える。だが、リアンはその訴えを黙殺すると、シンを睨み付けて言った。

「それはできない相談だな。例え今この場で降参したとしても、話を聞けばお前達は俺達を生かしてはおけなくなるさ」

そして、リアンは覚悟を決めたかのように叫ぶ。

「俺達は、この世界を……ミラージュを滅ぼしに来たんだからな!」

叫ぶや否やリアンは勢い良く立ち上がった。水の刃に貫かれた足から鮮血が噴き出るのもお構いなしに、リアンは怒鳴るように詠唱を紡ぎ出す。

「天にまします我らが神に、かしこみ願い奉る! その御慈悲を滴に宿し、幸無き傷を癒し給え! キュア・ドロップ!!」

唱え終わるのとほぼ同時に、空から大粒の雨が降ってくる。雨はリアンとウィスの二人だけに降り注ぎ、雨を浴びた二人の体から徐々に傷が消えていくのをシンは見た。

「傷が治っていく……リノの魔法と同じような効果がある、って事かな?」

シンが冷静に呟くと、リノは複雑そうに顔をしかめた。それと同時に、リアンも顔をしかめたのをシンは見逃さなかった。

「怒鳴ったからかな? イメージがし切れてなくて、満足に回復できてないみたいだよ」

そう言いながら、シンは再び波間に手を差し込んだ。

「形勢逆転、だね。一応言っておくけど、さっきのアクアスライサーは私の得意魔法だから。多少詠唱を省いてもそれなりの威力が出せるよ。特にここは海の近くだしね」

脅し付けるように、にこりと笑う。流石にリアンもウィスもそれで怯んだりはしなかったが、シンが手強い相手であるという認識はしてくれたようだ。先ほどよりも顔に緊張が見られる。

「どういう事か、教えてくれないかな? この世界を滅ぼすっていうのは、どういう事? それに、ここがミラージュって……」

「お手玉、火の玉、火炎玉! 飛び跳ね、ぶつかり、燃え上がれ! ファイアーコメット!!」

突如、辺りに甲高い声が響き渡った。続いて、赤い火の玉が流星のように空から降ってくる。

「なっ……何これ!? きゃあっ!?」

足元に火の玉が落ち、リノが悲鳴をあげる。

「リノ! ……アクアスライサー!」

詠唱をほぼ無視した為に威力の落ちた水の刃が海より生まれ、周囲の炎を消していく。

「リノ、それに皆も隠れてて! どうやら新手らしいから」

素早く言うと、シンはミラージュを仰ぎ見る。闇の塊のようなその中に、新たに一つ、人影が見えた。その影は迷う事無くミラージュから飛び出した。

その影は、華やかな色合いの衣装を身に纏っていた。装飾品が多い割には動き易そうに見えるその衣装は、中性的なデザインで男性でも女性でも着る事ができるように思える。そしてその衣装の主もまた中性的で、男性か女性かいまいち判断しかねる顔と体形をしている。

ただ言えるのは、その人物は大人と言うには幼く、子どもというには大人びた顔立ちをしている。年の頃は、恐らく十代の半ばだろう。こげ茶色の短い髪と、髪と同じ色をした丸い瞳が印象的だ。

「ウィス先生に手を出すなーっ!」

叫びながらその少年とも少女ともわからない人物は地面へと降り立った。大きく丸い物体に乗っている。大人が二人がかりでも抱えきれないほどのサイズのそれは、見たところ大道芸人が芸に用いる大玉のようだ。赤地に薄ピンク色の水玉模様が可愛らしい。

「君は……チャキィ!? どうしてここに!?」

ウィスの目が丸く見開かれる。どうやら、ウィス達も予想していなかった援軍のようだ。

「話は後です! まずはここから逃げましょう、先生!」

言いながらチャキィは大玉に飛び乗った。そして、ポケットから拳大のお手玉を五個取り出すとそれをジャグリングしながら詠唱を始めた。

「お手玉、火の玉、火炎玉! 飛び跳ね、ぶつかり、燃え上がれ!」

「まずい! さっきと同じ魔法が来るよ! アクア……」

仲間に注意を促しながら、シンは詠唱を始めた。まだ詠唱は完成していない。今集中力を乱せば、少なくとも威力を下げる事は出来る筈だ。だが。

「甘いよっ!」

そう言ってチャキィはお手玉の一つをわざと落とし、それを足で蹴り付けた。蹴られたお手玉は真っ直ぐにシンへと向かって飛び、その手に直撃する。

「……っ!」

思わぬ攻撃に、シンは思わず詠唱を止めた。お手玉はシンの手にダメージを与えた後、勢い良く跳ね返ってチャキィの手に戻る。どうやら、ゴム製のようだ。そして、戻ってきたお手玉を再びジャグリングに戻したチャキィは、お手玉をそのまま宙に放った。そして、叫ぶ。

「ファイアーコメット!!」

放り投げられたお手玉が炎を纏った。空から流星の如く降り注ぐ火の玉に混ざり、炎のお手玉が辺りを跳ね回る。

「うわっちちちち!」

「やべぇ! このままじゃ町に燃え広がるぞ、シン!」

男達の叫び声に、シンは町に目を遣った。そしてそのまま、視線をウィス達へと向ける。お手玉を回収したチャキィと、ウィス達がその場から立ち去ろうとしているのが見える。

「……仕方無いね……」

難しそうな顔をして呟いてから、シンは顔を完全に町の方へと向けた。

「リノ。先生達と一緒に、怪我が酷い人を治療院へ! 町の人達に避難の指示を出すのもよろしく!」

素早く指示を出しながら、シンは海の水に三度手を差し込んだ。

そして、消火活動が終わった頃……ウィス達の姿は町の中から消えていた。








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