贄ノ学ビ舎















17

















「間違っていたら、済みません。一週間後に、柳沼くんのクラスメイトが生贄にされる儀式って、場所は確か、刷辺市の山の……」

「? そう、だけど……?」

首肯する奉理に、知襲は小さな声で「やっぱり……」と呟いた。そして、「なら、大丈夫です」と少しだけ明るい声で言った。

「その儀式なら……介添人が、武器を持って化け物の近くまで行く事ができるはずです」

「え!?」

奉理が驚いて叫ぶと、知襲は少しだけビクリとして後ずさり。すぐに体勢を立て直すと、思い出す仕草をしながら早口で、しかしはっきりとした声で言う。

「その……刷辺市の化け物は、生贄に細君となる女性を求めているんです。ですから、生贄の儀はそのまま、嫁入りの儀にもなって……山の中腹に造られた庵から、山頂の庵まで、生贄を歩かせる事になるんです。山には人に襲い掛かる野生動物もいますから、それらから生贄を守るため、武器を持った従者役が必要になります」

「その役を……介添人が、やる事になる?」

「はい」

頷き、知襲はどこか、期待するような眼差しを奉理に向けた。

「それに、確か……中腹の庵から、山頂の庵へ行くまでの間には、暗い林を抜けなければならない道が一か所ありました。山頂までの道では、テレビカメラなどの監視は一切無い筈ですから……この林に入ってしまえば。生贄に武器を渡す事も、生贄と介添人が服を交換して、入れ替わる事も可能だと思います」

「……」

知襲の話に、奉理は考え込んだ。確かに、この話の通りであれば、武器を持ち込む事も、それで化け物に攻撃を仕掛ける事もできる。唯一心配なのはこの毒薬を持ち込めるかどうか、だけだが、それぐらいなら何とかなるだろう。しかし、だからと言って……。

「……柳沼くん?」

奉理が震えている事に、知襲は気付いた。カタカタと、小刻みに。時折、カチカチという歯が鳴る音も聞こえる。

「それでも……やっぱり、怖いよ……」

瓶を両手で持ったまま、奉理は絞り出すように言った。その様子を、知襲は黙って見詰めている。

「確かに、それが本当なら、何とかなるかもしれない。化け物を倒して、静海を助ける事ができるかもしれない。……けど、それ、俺がやるん……だよね? 他にこの毒の存在を知ってる人なんていないし、当日いきなり言われて、静海が対応できるかもわからないし……」

「……はい」

知襲は、頷いた。

「もし、毒を上手く持ち込めなかったら? もし、静海と上手く入れ替わる事ができなかったら? もし、俺が攻撃を外したら? もし……毒が化け物に、効かなかったら……?」

奉理の声は、次第に小さく、弱々しくなっていく。それと比例して、少しずつではあるが、次第に知襲の顔が険しくなっている事に奉理はまだ気付いていない。

「もし、一つでも失敗したら……その場で殺されるんだよ? 何もしなければ、死なずに済んだのに。……俺だけじゃない。全く関係の無い、それこそ鎮開学園の関係者ですらない人までが、化け物の怒りを買って、殺されるかも……。それに、殺されずに済んでも……介添人になれば、先生達の印象に残って……次の生贄に選ばれるかもしれないし……」

「じゃあ、ずっと泣いているつもりなんですか?」

今までになく厳しい知襲の声に、奉理はハッと顔を上げた。険しいながらも、泣きそうな顔をしている知襲が、ジッと奉理を見詰めている。

「さっきみたいに、泣いているつもりなんですか? 我が身の不運と、無力さを呪って。ずっと、泣き続けているつもりなんですか!?」

「それは……!」

言葉に詰まり、奉理はギュッと目を閉じた。目を閉じ、知襲の言葉を頭の中で反芻する。すると、胸の裡に、先ほどのあの、惨めな想いが蘇ってきた。

己に降りかかろうとする災難を振り払う力も、命を落としそうになっているクラスメイトを救う手段も無いと思い知らされ、無様に涙を流し、嗚咽を漏らしていた時の、あの惨めな想いが。

そうだ、今ここで、怖くて逃げだしたりしたら……きっとまた、あのような想いをする事になる。……いや、力があるのに使わず逃げたのだとしたら、ひょっとすればそれ以上か……。

「……それは、嫌だよ。どっちの方が、とか、比べる事はできないけど……でも、殺されるのと同じか、それ以上に嫌だ……」

瓶をしっかりと持ち直し、立ち上がる。

「介添人にならなくたって、選ばれる時は生贄に選ばれるんだし……そうなれば、結局、死ぬんだし……」

ブツブツと、己に言い聞かせるように呟く。その様を、知襲は何も言わずに、見守っている。

やがて、奉理は大きく息を吐き、まっすぐに知襲の目を見詰めた。

「……知襲。俺、やってみるよ。介添人に、立候補してみる」

「……はい!」

微笑んで、知襲は頷いた。奉理も、黙って頷き返す。

「……そうと決まれば」

再び薬品棚に目を向け、奉理は瓶を一旦、机の上に置いた。そして、棚の中に仕舞われている物のチェックを再開する。知襲が取りに来させたのはこの毒薬だけのようだが、ひょっとしたら、他にも何か助けになるような物があるかもしれない。

「……ん?」

件の瓶が置いてあった場所のすぐ近くに、どう見ても薬瓶ではない物がある。黒くて、四角くて、薄っぺらい。

奉理は奥へと腕を伸ばし、それを取り出してみる。表面はビニールの感触がして、とても軽い。

「……これ、生徒手帳?」

取り出した物を見て、奉理は首を傾げた。それは確かに、それはこの鎮開学園の生徒手帳だった。こんな土中に埋もれた校舎の中の、棚の奥に仕舞われていただけあって全く色褪せていない。

……いや、色褪せていないどころではない。表紙のビニールも、中の紙も、ほとんど劣化していない。この生徒手帳は、まだ比較的新しい。

「ひょっとして、この生徒手帳って知襲の?」

「え?」

知襲が奉理の手元を覗き込む前に。奉理は何の気無しに生徒手帳の表紙を開いた。生徒の顔写真と名前が、奉理の目に飛び込んでくる。

「あっ……!」

「……え?」

どこか焦ったような知襲の声と、一瞬で魂を奪われたかのような奉理の声は、ほぼ同時に発せられた。

「え……これ、何で……? ……え?」

文章になっていない言葉を発しながら。奉理の目は、生徒手帳に釘付けになっている。

表紙を開いたそこには、高等部の女子生徒の顔写真が貼られていた。生徒の名前は、堂上明瑠。

一ヶ月以上前、生贄の儀で命を失った少女の名前が、そこには記されていた。











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