僕と私の魔王生活





15





「……ーネ! ユーネ!」

 メトゥスの声が聞こえ、優音は重い瞼を何とか開いた。ぼんやりとだが傷だらけのメトゥスの姿が見え、どうしたのだったかと記憶を辿る。

 ……そう、たしか……様子を見に奥の間までやってきた時、メトゥスは既に疲労困憊の状態で、追い詰められていた。

 それだけでもまずいというのに、メトゥスは矢で射られ、魔法使いと思われる者達が見ただけでもわかるほど強力な魔法を使おうとしている。

 あの状態では逃げられまい。射られた事で動きが鈍り、魔法使い達は狙いを定めやすくなっている事だろう。剣を構えている者達も、魔法が当たり次第すぐに攻撃できるように態勢を整えているようだし、あれでは良い標的だ。嬲り殺しが確定しているようなものではないか。

 何とか打開策を見出す事はできないか。そう考えて辺りに視線を巡らせれば、天井付近でクロが様子を見るように飛んでいる。

 幸い、クロはすぐに優音の存在に気付いてくれて、降りてきてくれた。クロは何事かを言おうとしたが、そのような暇は与えず、メトゥスが立っている位置を変えさせなければまずい事、相手の攻撃が当たる寸前に体当たりをして無理矢理立ち位置を変えさせたいという意思を伝える。

 そして、物陰から物陰へと移動してメトゥスに近付き、攻撃が当たる寸前にクロと揃って飛び出し、メトゥスに体当たりをした。

 狙い通り彼の体は吹っ飛び、攻撃を寸でのところで避けた。……が、優音は、背に掠った。

 そう言えば、体当たりがクロより少し遅かった。あと一歩早く飛び出していれば、優音も無傷でいられただろうか。

 魔法は掠っただけなのに、服が裂け、背に血が滲んでいるのがわかる。

 あぁ、そうだ。メトゥスを何とか助けようとして、自分がダメージを負ってしまったんだ。だから今、彼はこんなにも泣きそうな顔をして自分の名を呼んでいるのか。

 ……違うな。泣きそうな顔、ではない。泣いている。ぽたぽたと、彼の頬を伝って落ちてくる涙が、半開きの口に時折入って、しょっぱい。稀に鉄の味もする。そう言えば、飛び出す前から彼は傷だらけだった。

「……人の心配をしてる場合? まずは自分の手当てをしたら……?」

 息も絶え絶えにそう言うと、メトゥスからは「何言ってるんですか!」という泣き声が返ってくる。

「僕は魔王です。ユーネよりもずっと丈夫だし、怪我もすぐ治ります。けど、人間は違います。治りは遅いし、ちょっとした事ですぐ死んでしまうんでしょう?」

 だから、早く手当をしなければいけないのに。この場所に、薬は無い。魔族用の傷薬を人間に使って良いのかわからない。メトゥスは、治癒の魔法を使えない。人間を診れる医者もいない。

「すみません……すみません、ユーネ。僕が不甲斐ないばかりに……僕が強ければ、こんな事にはならなかったのに……」

 ぼろぼろと泣きながら、しゃくり上げている。あぁ、本当に魔王らしくない魔王だなぁ、と優音は苦笑した。それから、「そんな事は無い」と掠れた声で言う。

「最後……おぼろげだけど、ちゃんと見てたわよ。あの影みたいなの、すごく強かった。……ちょっと、カッコ良かったわよ?」

「……本当、でずが……?」

 ズビッと鼻を啜る音が聞こえた。涙と血はまだしも、鼻水が口に入るのは何となく抵抗があるな、と場違いな事を考え、場違いな事を考えている事にまた苦笑して、何とはなしに手を持ち上げて顔の上に翳す。そして、優音の目は少しだけ見開かれた。

 その様子には気付かず、メトゥスは泣きながら優音を抱き上げ、ハンカチで彼女の顔から泥や血を拭い取っている。

「背中を怪我しているんです。仰向けもうつ伏せも、どちらにしても辛いでしょう? 僕の腕じゃ頼りないかもしれないですけど、瓦礫の上で寝るよりはマシだと思いますから、我慢してくださいね……?」

 本当に、どこまで魔王らしくない魔王なのだろう。

 左腕で抱き上げられているからか、彼の心臓の音が、やけに近い。魔王の心臓も、人間と同じ場所にあるのか、と思うと同時に、別の感想が頭を過ぎる。

 優しい音がする。

 トクントクンと、聞く者全てを落ち着かせてくれそうな、優しい音だ。こんなにも泣いて焦っているのに……それなのにこんな音が出るものなのか。

 本当に、魔王にはまるで向いていない、性根からトコトン優しい性格なのだな、と。

 優音などという名を持つ自分よりも、ずっと優しい音が出せるのではないか、と。

 そう思うと同時に、自分が死んでしまう前に言おうとした言葉を言おうかどうしようかと、躊躇う。これを言えばきっと、彼はショックを受ける。こんなにも優しい音を出せる彼に、これを言っても良いものだろうか。

 ……言わねばなるまい。でなくば、どちらか、下手したら二人揃って死んでしまうかもしれない。

「こんな事になるなら、迷わずに僕の血をあげて、ユーネを魔族化しておけば良かった……。いえ、今ならまだ間に合います、よね……?」

 ほらきた、これだ。……と、優音は思わずため息を吐いた。その様子に、メトゥスはヒッと小さな悲鳴をあげる。

「ユーネ、辛いんですか? もう少しの間だけ、辛抱してくださいね。魔族化すれば、この怪我もすぐ……とまではいきませんけど、治りが早くなるはずですから……」

 そう言って、懐剣を取り出した。公開リストカットでもする気だろうか。

「……待って。メトゥス、落ち着いて? 魔族化するのには致死量ギリギリの血液が必要だって言ってたわよね? 今のあなた、勇者達の攻撃で元々血を流しているでしょう? そこから更に魔族化に充分な量の血を抜いたりしたら、死ぬわよ? あなたが死んだら、この世界の統治者がいなくなるんじゃないの? それでも良いの?」

 呼吸が苦しいが、何とか言い切った。すると、メトゥスは「でも……」と言葉を漏らした。

「ユーネが怪我をしたの、僕のせいですし……」

「約束を破ってここまで来た私の自業自得でしょ」

 本当に、どこまで真面目でお人好しなのか。その割に、魔王である自分が死んだらその後の世界はどうなるかなどに考えが及んでいないあたり、本っっっ当に魔王……と言うよりも、統治者に向いていない。

「良いから、落ち着いて聞いて? 人間を魔族にするためには魔族……今の場合あなたの体液が必要で、無難に血液で済ますためには致死量ギリギリの量が必要って話だったわよね?」

 痛みを逃がすための呼吸を挟みながら問えば、メトゥスは青褪めた顔で頷いてみせる。それに頷き、優音は問う。

「それって、血液だけを、一度に致死量ギリギリの量摂取しなきゃいけないの? 混ぜ物をしたり、分割したりする手もあるんじゃないの?」

「……え?」

 ぽかんとしたメトゥスに、優音は右手を持ち上げて見せる。

「さっき、あなたの涙と血液が少しだけ口に入ったんだけど……そうしたら、一部だけ魔族化してるみたいなのよね」

 右手の爪は、いつになく伸びて、先が鋭くなっている。いくら手入れを怠っていたとは言え、こちらの世界に来てからまだ二週間経つか経たないか、といったところだ。こんなに伸びるとは思えない。

「……え、つまり……?」

 思考が追い付かない、という顔で、メトゥスが呟く。それに追い打ちをかけるように、優音は言った。

「……だからね。血液だけ摂取しなきゃいけないわけじゃないし、一度に摂取しなくても、少しずつ摂取して最終的に規定量に達すれば良いんじゃないの?」

 多分、それで良いのだろうと思う。少量の摂取で、片手の指先だけ魔族化しているのがその証拠だ。メトゥスに無理が無い程度の量を少しずつ摂取していって、少しずつ魔族化していけば良いのではないか? それで、怪我も通常の人間よりは早く治るのではないか? 現に、先程までと比べて、若干ではあるが楽になってきているような気がする。

 そう指摘すると、メトゥスからは「……え? あ……」という困惑に満ちた声が次々と漏れ出てくる。そして。

「その発想は、無かったです……」

 と言うと、顔を真っ赤にしてしまった。

 ……ほら、やっぱりショックを受けてしまった。そう思いながら苦笑し、そして、同時に考える。

 実はもう一つメトゥスがショックを受けそうな事案を抱えたままで、恐らくこのままだと流れで話さざるを得なくなってしまうのだが、これはもう成り行きに任せるしかないだろうか、と。











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