平安陰陽騒龍記~父娘之巻~




















水干を脱ぎ、更にもろ肌を脱いで葵は設えられた祭壇の前に座った。隆善や惟幸と比べるとやや小さいその背に隆善が夜露で磨った墨を用いて何事かを書き込んでいく。

墨が乾いたところで仰向けに横たわらせ、経絡を探る様子を見せたかと思うと、針を取り出す。そして、所々にぶすりと刺した。

「痛っ! 師匠、思いっ切りやらないでくださいよ!」

思わず起き上がって抗議する葵の額を、隆善は軽く突く。何かの術だったのか、葵はそのまま後ろに倒れ込み、再び仰向けとなった。

横では虎目が紙に「真似るにゃ、危険」と書いて紫苑に見えるよう掲げている。口で言うよりも視覚情報にした方が伝わると踏んだのだろう。

どうにも、相手が身内だからか容赦が無い上にやり方が地味に荒い。いつもなら「もう少し丁寧にやってあげなよ」と嗜めてくれる惟幸が、頭が半分寝ているせいか助け船を出す様子すら見せてくれないのが辛い。

「荒刀海彦、葵と代わって、表に出ておけ。多分、表に出ている奴を引き摺り出す事になるだろうからな」

それだけ言うと、隆善はまた容赦なく針を刺し始めた。涙目だった葵の表情は、荒刀海彦が代わった事でむすりとした物になる。

やがて準備が済んだのか、隆善は葵の前で姿勢を正して座り、数珠を再び取り出した。空の手で印を切り、夏だと言うのに塗籠から引っ張り出してきた火鉢の中に護摩木を放り込む。……護摩を焚いている事に変わりは無いのだろうが、もう少し他にやりようは無かったのだろうか?

それでも、護摩木はちゃんと燃え始める。ぱちぱちという音を背後に聞きながら、隆善は低く囁くような声で呪を唱え始めた。

「天地玄妙神辺変通力離、天地玄妙神辺変通力離、天地玄妙神辺変通力離……」

繰り返し唱えられるそれは、まぎれも無く悪霊祓いに使われる呪だ。本気で荒刀海彦達を悪霊扱いにして出す気らしい。

しかも悲しい事に、隆善が十数回呪を唱え終えたところで葵の様子に変化が現れ始めてしまった。入り込まれている葵の体にとっては、悪霊も神霊も同じという事か。

葵の体が小刻みに震え、時折ビクンと跳ね上がる。

「紫苑、弓弦! 葵の体を押さえつけて!」

いつの間にか眠たげな表情を完全に捨て去っている惟幸が、己も数珠を構えながら立ち上がる。迅速に済ませた方が良いと判断したのだろう。隆善に加勢するつもりのようだ。

弓弦と紫苑が慌てて葵に近寄り、両肩と両足を抑える。虎目も、葵の片腕を抑えた。惟幸は隆善の横に座り、じゃらりと数珠を流して共に呪を唱え始めた。

「天地玄妙神辺変通力離、天地玄妙神辺変通力離、天地玄妙神辺変通力離……」

二人の声が重なり、葵の体はますます激しく跳ね上がる。やがて、その体がひと際激しく跳ねた時。

「来る!」

短く叫び、惟幸が立ち上がった。それと同時に、葵の胸部から白い光の塊のような物が飛び出してくる。魂魄だ。

惟幸が数珠を投げ、それは宙に飛び出た魂魄を絡め捕る。隆善が懐から件の形代を取り出し、投げた。惟幸がそれに向かって数珠を――正確には数珠に絡め取られた魂魄を思い切り叩き付ける。凄まじい音がして、辺りは一瞬激しい光に包まれた。

そして、その光と音が治まった時……そこには、術を始める時にはいなかった者がいた。男だ。歳は、隆善や惟幸と同じぐらいだろうか。誰もが絵巻物でしか見た事のないような古い意匠の衣服をまとい、黒い髪を角髪に結っている。

「あ……荒刀海彦……」

酷く消耗した様子の葵が、起き上がり、肩で呼吸をしながら名を呼んだ。その言葉に荒刀海彦と、隆善に惟幸も頷いて見せる。

「どうやら、上手くいったようだな」

「そうだね。ただ……これだけ消耗しちゃうとなると、体力温存のために葵の内から荒刀海彦達を出す意味はあまり無い……かな?」

「いや、今ので外へ出るための筋道は大体掴んだ。次からはここまで葵に負担をかけず、自分で出る事も可能だろう」

そう言ってから、顔を弓弦の方へと向けた。そして、彼にしては珍しく、ふっと微笑んで見せる。

「この姿でまみえるのは初めてだな、我が娘よ」

「父上様……!」

感極まった様子で、弓弦が荒刀海彦に近寄る。その様子を疲れた様子ながら微笑ましげに眺めていた葵に、隆善は容赦なく告げた。

「さて、じゃあ次は末広比売の番だな」










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