平安陰陽騒龍記 第二章
10
「……何度思い出しても、阿呆としか思えぬな」
「言わないでよ。オイラだって、あの時の事を思い出すと、未だに全身ヒリヒリしてくるんだからさ」
頭をぽりぽりと掻きながら、因幡の白兎は無味の物を食べているような顔で言う。そして、「あ」と突然呟いた。
「ところで、アンタ達、誰? でもって、ここ、どこ?」
「わからずに葵に憑いたのか……?」
呆れた顔をして言う荒刀海彦に、兎は「葵?」と首を傾げた。
荒刀海彦は頷き、葵を指差して憑代の才について説明をしてやる。兎は、「ふーん」と軽く唸った。
「だからかな? オイラ、あの時あいつに追いかけられててすっごい混乱してたんだけどさ。何か近くに、あったかくて安心できそうな場所を見付けた気がしたんだよ。それで思い切って飛び込んだら、急激に眠くなって。それでもって、目が覚めたらここにいたってわけ」
つまり、葵の内をこれ以上無い避難場所であると認識したわけだ。兎はけらけらと笑いながら、腰に差した蒲の穂を手に取り、ひゅんひゅんと振って見せる。
「うん、久々に良い心地だったよ。大国主神に教えてもらった、蒲の穂の寝床と良い勝負!」
「……俺、蒲の穂と同類……?」
複雑そうな顔をする葵に、荒刀海彦が間の悪そうな顔をした。
「……悪いが、寝心地の良い寝床、という意味であれば、納得してしまった」
「おとうしゃん、あったかくて、きもちいいの!」
末広比売にまで言われてしまうと、文句も言い辛い。むにゃむにゃと口を動かし、言葉を探しながら兎を見た。
「ところで、えぇっと……」
「あぁ、名前? 特に無いから、因幡の白兎で良いよ。わかりやすいでしょ?」
あっさりと言う兎に、葵は「いやいやいやいや」と言いながら手と首を振った。
「ちょっと長いし、呼び辛いよ。かと言って、兎って呼ぶのも何か変だし……」
種族の違いの差だろうか。兎は「そう?」と首を傾げた。
「まぁ、ここじゃあ葵に言葉が伝わり易いように、人間の姿になるみたいだし。兎って呼ぶのも、ちょっと違うかもねぇ。じゃあさ、葵が適当に付けてよ。この子の名前も葵が付けたんだろ? そんな感じでさ」
「……良いの?」
「うん、良い良い。適当に堅苦しくない感じでよろしく!」
そうは言うが、本当に適当に名付けるわけにもいかない。葵は荒刀海彦や末広比売に視線を遣り、そしてしばし考えた。いくらか唸った後に、「じゃあ……」と呟く。
「穂跳彦」
「ホトビヒコ?」
首を傾げる兎――穂跳彦に、葵は頷いた。そして、口頭で字を説明してやる。すると、理解した穂跳彦は「なるほどねぇ」と言って頷いた。
「たしかに、蒲の穂持ってるし、ぴょんぴょん跳ぶしね。まぁ、悪くないんじゃない? ……というわけで、これからオイラの事は穂跳彦って呼ぶ方向でよろしく!」
兎らしく飛び跳ねるような軽い言い方に、葵は苦笑した。荒刀海彦は微かに眉を顰めている。
「ほーしゃん、ほーしゃん。すえのことはね、すえって!」
「おっし、すえね! すえ、すーえすえすえすえ!」
楽しそうに呼ぶ穂跳彦に、末広比売がきゃっきゃと笑う。それに気を良くしたのか、穂跳彦は満面の笑顔で葵に向かった。
「いやぁ、可愛いなぁ、すえ。オイラ、急にお兄ちゃんになったみたいだ!」
「……俺、十五で二人の子持ち設定……?」
末広比売が葵の事を父と呼ぶ以上、末広比売の兄を名乗るなら穂跳彦も葵の息子設定になってしまう。そう言うと、穂跳彦は更に楽しそうにけらけらと笑った。
「細かい事は気にしないでおこうよ、お父さん!」
「同じぐらいの歳に見えるのにお父さんとか呼ばれると、すごく複雑な気分なんだけど……」
抗議してみれば、またも穂跳彦はけらけらと笑う。何を言っても無駄だと悟り、葵はため息を吐く。そして、本来尋ねたかった事をやっと口にした。
「ところで……穂跳彦を追い掛けてたあれ、一体何なの? 何で穂跳彦はあれに追いかけられてたのかな……?」