平安陰陽騒龍記 第二章




















白い、白い。霧と光が混ざり合ったような白い空間で、葵は目を開けた。

葵の体に宿っている魂達が集う場。紫苑の言葉を借りるなら、邸。邸の、北の対にあたる場所だ。体の主導権を握って表に出ている魂の居場所は、寝殿にあたる。

荒刀海彦も末広比売も、普段は無理矢理体の主導権を握ろうとする事は無い。葵の居場所は、大抵寝殿にあたる部分だ。

また、荒刀海彦に主導権を渡した時というのは大抵が緊急事態か、荒刀海彦が誰かに喧嘩を売ろうとしている時。末広比売の場合は、完全にはしゃいでいる時だ。なので、主導権を渡している時でも、葵は気が気ではなく外の様子を窺っている事が多い。

普段は、眠っただけではこの場所に来る事は無い。体は眠っているが、頭は起きている。そんな、半覚醒状態の時だけ、体に宿る全ての魂がこの場に集まる事になるのだ。

それ故、葵がこの場所をじっくりと眺めるのは、久しぶりだ。末広比売を体に招き入れた時以来だろうか?

「おとうしゃん!」

末広比売が、嬉しそうな顔をして駆け寄ってくる。飛び付いてきたのを抱き止めて、葵は末広比売の頭を撫でた。

「すえ、ここでは久しぶり。良い子にしてた?」

「うん!」

笑顔で頷く末広比売に、葵も笑顔で返す。そして、「さて……」と首を巡らせた。寝殿にあたる場所から戻ってきたらしい荒刀海彦が頷き返す。

「侵入者を探すとするか」

「侵入者って……」

苦笑する葵に、荒刀海彦は「似たようなものだろう」と憮然として返す。そして、末広比売に目を向けると、腰を落として視線の高さを合わせた。

「末広比売。私や葵がここに来るまでの間、怪しい奴を見たりはしなかったか?」

「あやしいひと?」

末広比売が首を傾げると、荒刀海彦は「そうだ」と頷く。

「お前の目には、特に怪しく映っていなくても構わん。とにかく、お前でも、私でも、葵でもない。そんな奴を見はしていないか?」

そう言われて、末広比売は難しそうに「んー……」と唸る。そして、傾げていた首を一度元の位置に戻すと、もう一度傾げて見せた。

「すえでも、刀海のおじしゃんでも、おとうしゃんでもないひと? おにいしゃん?」

途端、葵と荒刀海彦は目を見開いた。

「すえ、知らない人、見たの!?」

「どこだ!? 一体どこで……」

「あそこー」

鬼気迫る様子の葵と荒刀海彦に対して、末広比売は嬉しそうな顔ですぐ横を指差した。見れば、本当にすぐそこ。葵の歩幅にして五歩分ぐらいの場所に、見知らぬ少年が寝転がっている。

あまりの近さ、そして相手の無防備さに、葵と荒刀海彦は呆気に取られた。

「あそこって……うん、本当にあそこ……うん……」

「何故、ここまで近くにいるのに気付かなかったのだ……!」

探している相手が近くにいるというのに、気付けなかった。武士である荒刀海彦にとってそれは、酷い失態なのであろう。がくりと肩を落としている様子に、葵は「まぁまぁ」と笑って見せる。

「俺も荒刀海彦も、気が立ってたからさ。相手は気配を隠しているものだと思い込んでたんだし、気付けなかったのもある意味当然だよ。逆に、末広比売は全く警戒していなかったからこそ、気付く事ができたんじゃないかな?」

「つまり、私とお前、揃って周りが見えなくなり、不注意極まりなかったという事だな……」

言われて、葵も「あー……」と間抜けな声を発しながら肩を落とした。言われて見ればその通りで、結局二人揃って不注意だったに他ならない。

二人仲良く肩を落としている間に、末広比売は寝転がっている少年に近付き、頬をつんつんとつつき始める。少年が、「むー……」と唸るような寝言を発した。

その様子に気付いた葵は、慌てて末広比売を少年の傍から引っぺがす。

「すえ! まだ相手がどんな人かわからないのに、近付いたら危ないよ! ……と言うか、初めて会ったばかりの人をつついちゃ駄目だってば!」

「つんつん、だめ?」

「駄目!」

腰に両手を当てて厳しい顔付きで言う葵に、末広比売はやや不満そうな顔をしながらも「はぁい」と返事をした。そんな末広比売に頷き、葵は荒刀海彦と共に寝ころんだままの少年をまじまじと見る。

歳は、葵と同じぐらいに見える。しかし、彼は霊魂だ。実際にはいくつなのか、外見では判断しかねる。荒刀海彦だって、見た目は三十代の半ば頃だが、実際には何百年も齢を重ねていると聞く。

服装は、荒刀海彦と似た古代の褌(はかま)を穿き、上半身はなんと裸だ。素肌の上に、出雲勾玉の首飾りを身に付けている。履物は、何も履いていない。

更に驚くべき事に、髪が雪のように白い。角髪(みずら)を結う事ができないほど、短い髪だ。しかし、耳の辺りに位置する髪だけは、左右ともに耳を覆い隠し肩まで届くほどに長く伸びていた。目の下に赤い化粧(けわい)をしている。

「これ……何だろ? 蒲?」

首を傾げて、葵は少年の腰へと目を遣った。腰には太刀の代わりに、大きく立派な蒲の穂を一本差している。

少年はよく寝入っており、葵や荒刀海彦が遠慮無く触っても目覚める様子が無い。これだけぐっすり眠っていたら、それは見付からないはずだ。

「……荒刀海彦、どう? 何者だと思う……?」

「そうだな……」

難しい顔をしながら、荒刀海彦は眠る少年の顔をまじまじと見る。荒刀海彦が見詰めているとなると、かなり視線の気配が強い筈だが、少年は気付く様子など微塵も無い。余程霊魂が消耗していたのだろうか。

「蒲の穂か。だとすると、こ奴は……ひょっとして……」

思い当たる事があったのか、荒刀海彦が呟いた。葵が「えっ」と荒刀海彦を見る。

「知ってるの?」

「推測の域だが……恐らくこ奴は……」

そう言い掛けた時。すぐ近くで話し続けられ、流石に煩かったのだろうか。

「むー……?」

少年が、ぱちりと目を開いた。その目は、夕陽のように赤い色をしている。

目覚めた事で、気配が濃厚になったのだろう。荒刀海彦が「やはり……」と呟いた。

「蒲の穂に、白い毛、赤い瞳。それに、その神気を纏った気配……。お前、因幡の白兎だな?」









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