平安陰陽騒龍記


















京から離れた――と言っても、頂まで登れば京を眺める事ができる程度には近い――山の中腹に、惟幸の庵はある。少し下れば麓であり、そこには穏やかな集落がある。そこそこ便利な場所だ。

日が落ち、ひと気の無くなったその集落を横切り、沢に落ちないように気を付けながら、葵と少女、虎目は山を少しだけ登った。

中腹まで辿り着けば、惟幸の庵には灯りが灯っている。光にホッとし、葵の足は次第に速くなっていく。

「惟幸師匠? いらっしゃいますか、惟幸師匠?」

戸の前で声をかければ、すぐさま庵の中からパタパタという足音が聞こえてくる。ほとんど待つ間も無く、戸が開き、隆善と同じ年頃の穏やかそうな青年が顔を出す。

「葵。……良かった。たかよしから式神が飛んできたのに、中々来ないから何かあったのかと思ったよ」

隆善の事を〝たかよし〟と呼ぶこの青年こそが、葵の師匠、惟幸。隆善に当世一と言わしめる実力を持った陰陽師である。

彼は葵、虎目、そして葵と手を繋いでいる少女の姿を順々に見ていくと、す、と表情を引き締めた。

「……本当に、何かあったみたいだね」

「あ、あの。惟幸師匠、実は……」

何が起こったのか。説明をしようと口を開いた葵を、惟幸は手で制した。

「まずは、中に入って。こんな時間まで外を歩いて、お腹が空いているだろう? 話は食事の席で、ゆっくり聞くよ」

そう言うと惟幸は奥に向かって「りつ」と呼んだ。すると、ほとんど待たせる事無く、奥から優しそうな面立ちの女性が姿を現した。惟幸の妻、りつだ。りつは葵の顔を見ると、「あ」とホッとした声で呟いた。

「葵さん、ご無事だったんですね。惟幸様が心配されていたんですよ」

「葵。惟幸とりつに、何か渡す物があったんじゃにゃーか?」

虎目に言われ、葵は「あ」と間抜けな声を発した。そして、懐から隆善と紫苑から預かった物を取り出し、惟幸に差し出す。

「惟幸師匠。これ、隆善師匠からの文です。あとこれは、紫苑姉さんからお二人に」

「紫苑から?」

その名を聞いた途端に、惟幸とりつの顔がパッと明るくなった。そして、隆善からの文はそっちのけで紫苑からの贈り物に手を伸ばす。

「これ……ゆずりはの枝、ですね」

「そうだね。意味は、世代交代だっけ? 陰陽師の仕事は自分に任せて、早く引退しろって事かなぁ?」

「……それ、同じ冗談を隆善師匠と虎目が言って、紫苑姉さんキレてましたよ……」

呆れた顔で言う葵に、惟幸は「あぁ」と苦笑した。

「だから、昼間のたかよしの文、血が付いてたのか。……大丈夫、本当に言いたい事はちゃんとわかってるよ。……元気そうで良かった」

そう言うと、惟幸はゆずりはの枝をりつに手渡す。

「りつ、このゆずりはの枝、飾っておいてくれるかな? あと、葵達がお腹を空かせているから、夕餉の支度を頼むよ」

「わかりました」

頷き、りつは奥の方へと姿を消す。その後姿を幸せそうに眺めてから、惟幸は葵達に声をかけた。

「今日は泊まっていくんだよね? 部屋は今用意してるから、少しだけ待っててもらえるかな? ……あ、たかよしには、無事に着いたって、僕から連絡をしておくから」

そう言うそばから、既に奥からはごそごそと部屋を整えるような気配がしている。この庵に住む人間は惟幸とりつだけのはずなので、恐らくは惟幸の式神達が総動員で部屋の掃除やら何やらを行っているのだろう。

どうやったら人と談笑しながら、幾体もの式神を生み出し、動かす事ができるのか……。式神を作り出すのが苦手な葵は、素直にすごいと思う。

やがて女の姿をした式神が姿を現し、葵達を部屋へと通す。そこで初めて、葵と虎目はくはぁ……と脱力した。

そして、部屋の真ん中でだらしなく伸びている二人を、少女はただじっと見詰めていた。







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