ガラクタ道中拾い旅













第七話 闘技場の謀(トウギジョウノオモワク)












STEP1 有り得ないほど平和な時を拾う






















ワクァは、かつて無いほど、非常に困惑していた。

生き別れになっていた両親――この国の国王と王妃に出会い、権力の座を奪い取ろうとしていた宰相の野望をすんでの事で打ち砕き。そして、再び両親と暮らす事ができるようになった。

己の生まれた日を知り、自分がまだ十七である事――しかし、秋の終わりには十八になる事――を知った。

それは良い。良過ぎるほどに、良い。だが、しかし。

問題は、両親がこの国の国王と王妃だという事で。彼らにはワクァ以外に子どもが無く、必然的にワクァが世継ぎとなり、次代の王となる事になるという事で。それでなくても、王子であるという事で。

物心ついて以来傭兵奴隷として蔑まれ続け、その身分から解放されても一般人としてはほぼ底辺のような旅人生活を送ってきた身にとって、王子としての生活は少々……いや、かなり……否、相当息苦しいものであるという事を、覚悟はしていたが改めて思い知った。

まず、一日のスケジュールがかなり細かく設定されている。食事の時間、勉強の時間、マナー講座の時間、武芸の時間、乗馬術の時間、その他諸々。休憩の時間まできっちりと分刻みで設定されている。ついでに、お茶の時間と休憩の時間の違いがいまいちわからない。

マナーというのが、また厄介だ。食べ方ひとつ、歩き方ひとつにしても、周りの者から口やかましく言われる。

部屋が広かったり、調度品やら何やらが繊細で華麗なのも落ち着かない。ましてや、大勢の人間に頭を下げられ、ご機嫌伺いをされるなど慣れそうにもない。

必死に頼み込んだ末に、衣装だけは今までと同じようなシンプルな物――ただし、複数用意され、毎日洗濯される――を着る事ができているのがせめてもの救いだ。

その結果。

「……貴族は貴族で、大変なんだな……」

あの事件から三週間。図書室の机に突っ伏し、ワクァは珍しく弱音を吐いた。その横では、ヨシがマフを膝の上に載せて茶菓子をつまみながら――本を汚さないよう注意を払いつつ――読書を楽しんでいる。

「タチジャコウ家にいた頃、ニナンくんのお守りで見てたんじゃないの? 今更よ。……まぁ、タチジャコウ家と王家じゃレベルが違うかもしれないけど」

「……と言うか、何でお前は早々にこの環境に順応しているんだ」

「年に何度も土地を移り住む遊牧民族の順応力をナメちゃだめよ。それに、所詮私は客分だから、お城の人達もくどくどと言う必要なんか無いんでしょ。バトラス族にマナーの事を言うだけ無駄だって思ってる人もいるでしょうし?」

サクサクと美味そうに茶菓子を齧りながら、事も無げに言う。民族差別を乗り越える事ができた様子にホッとしつつ、何やら複雑な心境になる。

ヨシは、このヘルブ街に小さいながらも住居を確保している。それが何故、いつまでも城に滞在しているのか?

理由は、二つある。

一つは、先日の事件の中心人物となったヨシが、ほとぼりが冷めぬうちに街へ戻り、人々の好奇の目に晒され要らぬ苦労をしないで済むように、という王と王妃の気遣いによるもの。

そしてもう一つは、突然周囲の環境がガラリと変わってしまったワクァの心労を少しでも和らげようという、王と王妃の親ばか心によるものだった。

尚、つい先日まで一介の門番だった友人のトゥモが、事件の数日後に城内の――それも、主に王の家族が住居とする内宮の――見回りをする部署へと転属になっている。実績上、常に王族の身辺を守る護衛兵とはいかなかったようだが、それでも大した出世である。これもまた、親ばか心のなせる業なのか。

「王様とお后様の気持ちはわからなくもないけど、権力を持った親ばかは厄介だって、歴史的にも証明されちゃってるものね。これで器を示す事ができなかったら、大変よ、ワクァ」

他人事のように――実際、他人事なのだが――菓子を咀嚼しつつ、ヨシは言う。

「器?」

「今でこそ、後継者問題に片が付いた事でお城の人達も街の人達も、みんな喜んでいるように見えるけどね。落ち着いてきたら、こう考えるようになるわ。今の王太子、つまりワクァは、次の王に相応しいのか。自分達の生活を守ってくれるだけの力を持っているのか」

「それが……器、か」

渋い顔をするワクァに、ヨシは「そ!」と頷いた。

「ただでさえワクァは、十六年間行方不明で、国民からしたら親しみの無い王族なわけよ。それが知識が無い、振る舞いもなってない、軍の指揮もできない。今の王様の親ばか心だけで後継ぎになったんだ、なんて思われでもしたら、またぞろ反乱が起こる切っ掛けにでもなりかねないわ。それだけじゃない。王様とお后様……ワクァの両親ね。折角今のところ評判が良いのに、ワクァを世継ぎに選んだっていうただ一点のためだけに、器でない者を次の王に選んだ愚か者、なんて後世の歴史家に言われちゃったりするかもしれないわ」

「……今日はまた、一段と手厳しいな……」

椅子に座り直し、やや居住まいを正したワクァの様子に、ヨシは苦笑する。

「そりゃ、そうよ。弱音を吐く事が悪いとは思わないけど、吐きっ放しでいたら結局最後に嫌な目に遭うのはワクァだもの。曲がりなりにも、一緒に旅をした仲間がそんな事になるのは、寝覚めが悪くて嫌だものね」

「……忠告痛み入る、と言ったところか。俺はまたてっきり、ヨシが自分自身にも説教をしているから厳しくなったのかと思ったが」

「? 何で私よ?」

首を傾げるヨシに、ワクァはため息をついて目を細めた。

「規模が違うとは言え、お前だって似たようなものだろうが。後継ぎ問題で、いつまでもリオンさんから逃げ続けているわけにもいかないだろう?」

「う……」

図星だったのか、ヨシが言葉を詰まらせた。その様子に、ワクァは再びため息を吐いた。

「……ウルハ族の集落で、お前とリオンさんのやり取りを見ていただけの時には、ここまでとは思わなかった。周囲からの期待というのは……重いんだな」

「……まぁね」

とは言え、ヨシはバトラス族の中では友人も多いし、人望は既にある。バトラス族族長の後継ぎとしての実力も申し分ない。あとは本人の決意次第だ。決意はしたが、これから王としての心得を学び、人望を築いていかなければならないワクァとは、同じように見えて悩む点が違う。

「けど、まぁ……今のところ、ワクァが次の王様って話になって、表だって不安がってる人はいないみたいだし。元々今の王様がそれなりに善政を布いてくれているから、よっぽど馬鹿な事をしなければワクァの代で国を滅ぼしちゃうなんて事も無いでしょうし。それに、王様達以外にも、ワクァがお城に戻った事で喜んでくれている人もいる。かなり脅しちゃったけど、今はまだ、そんなに気負わなくても良いんじゃないかしらね?」

「……そうだな」

ヨシの言葉に、ワクァは微かに頬を緩ませた。それとほぼ同時に、扉を開く音がする。二人とマフは、咄嗟に振り向いた。

「ワクァ様、こちらにいらっしゃいましたか!」

「あ、カロス……さん?」

開け放った扉から入ってきた、姿勢の良い、初老をやや過ぎたと思われる男の姿を認めて、ワクァはどこか迷いながら名を呼んだ。三週間経ったが、大勢の名前を一度に告げられたため、未だに全員の顔と名前が一致しない。……が、今呼び方に迷った理由は、それではない。

「ワクァ様、またそんな、他人行儀な……! 幼き頃のように、じい、じいや、とお呼びくださいと申し上げたではありませんか!」

「す、すみません……?」

「何故謝るのです! ワクァ様は、いずれはこの国を総べる王となられるお方! じいめは、その臣下でございます。主君たる者、そうそう簡単に臣下に頭をお下げになってはなりません! 王が臣下の者に侮られるような事にでもなれば、国は一気に崩壊してもおかしくないのですぞ!」

「す……」

「ですから、そんなに軽々しく謝ってはなりませんと!」

「……」

 男――カロスに気圧され、ワクァは言葉に困って黙ってしまった。この顔を綻ばせたり、白いハンカチを取り出してよよよ……と嘆く様子を見せたかと思えば厳しくワクァを叱咤している男は、元々幼少時のワクァの教育係であったらしい。

初対面時の開口一番が

「ワクァ様、お懐かしゅうございます! 私めを覚えておいででございますか? じい、でございますよ! じいのカロスでございます!」

だったのは衝撃的だった。勿論、自分がどこの誰なのかも覚えていなかったワクァが彼の事を覚えているはずはなく。すると彼は、先ほどのように白のハンカチを取り出して目元に当てると、涙ぐんで

「ああ……お労しや! あれほど懐いてくださった、じいの事も忘れてしまうとは……一体どれほどのご苦労をなさったのか……! いや、しかし、よくぞここまでご立派に成長なさいました! よくぞ戻ってくださいました! じいは、じいは嬉しゅうございます……! ……あ、失礼致しました。私、ワクァ様ご幼少のみぎりには教育係を仰せつかっておりました。カロス=ティアチェルと申します。親しみを込め、昔のように、じい、ですとか、じいや、と呼んでくださいませ、ワクァ様」

……と、あれだけの言葉を一息で言ってのけたのだ。それも、嘆いたり、喜んだり、落ち着いたりと、百面相を見せながら。

その時はヨシも同席していたのだが、あの衝撃は中々忘れられそうにない。それどころか、カロスの名を呼ぼうにも、ついうっかり「じいやさん」と言ってしまいそうになる程に印象づいてしまっている。……と言うか、既に開き直って呼んでいる。

「それで……じいやさん? ワクァに何か用があったんじゃなかったの?」

「ワクァ様! これ、このように! ヨシ様のように呼んでくださいませ! いきなり、じい、が厳しければ、ヨシ様のように、じいやさんからでも構いませぬので!」

「……だから、用は?」

ヨシが少々呆れた顔で暴走じいやの更なる暴走を制すると、そこは流石の城勤めだ。カロスはすぐに表情を落ち着けた。

「おぉ、左様でございました! ワクァ様、可愛らしいご学友がお探しでございますよ」

カロスの言葉に、ワクァはやっと緊張を解いた。この城の中で、可愛い学友、と言われれば該当する人物は一人しかいない。

開け放たれた扉から、七、八歳の少年がおずおずと顔を覗かせた。

「ワクァ……そろそろ、マナーの勉強の時間だよ?」

そう言う少年に、ワクァもヨシも、カロスも顔を綻ばせる。そこにいたのは、ニナン=タチジャコウ。かつてワクァを傭兵奴隷として有していたタチジャコウ領の領主タチジャコウ家の次男で、タチジャコウ領で唯一、ワクァが心を許していた少年だった。











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