葦原神祇譚






23








「神谷! ウミ達は? まだ戻ってねぇのか!?」

「戻るどころか、連絡すら無い状態だ。でなければ、誰がこんな面倒臭い場所に来るか!」

造化三神の攻撃を懸命に避けつつ、言葉を交わす。更に神谷は、携帯を使って戦える霊を呼び出している様子だ。ブルートゥースの使用を考えた方が良いのではないか……などと、ついこの場にそぐわないどうでも良い事を考えてしまう。

神谷の呼び出しに応じ、鎧武者の霊が数体現れる。だが、それらはすぐに造化三神の攻撃によって呆気なく消されてしまった。

《黄泉へ落チる事に抗イ、葦原中国に縫い止めラれていルだけの雑霊どモが……身の程ヲ知れ!》

造化三神の言葉は、黄泉で聞こえてきたあの不快な声そっくりだ。不安や不満、不快感を煽るようなイントネーション。そして、ぐじゅぐじゅとした湿っぽい響き。聞くだけで心拍数が跳ね上がるようだ。

「チッ……」

不快な声に煽られたのか、それとも呼び出した霊が倒されたのが悔しいのか……神谷が造化三神の攻撃を避けながら舌打ちをした。そんな神谷の様子と、あの声によって増幅した不安を振り払おうとするように、仁優は瑛に問うた。

「……そう言えば、ああやって倒されちまった霊はどうなるんだ?」

「強制的に黄泉逝きになるそうだ。逝くべき者が黄泉へ逝くのだから、本来なら喜ばしい事なのだが……」

「今この状況では、戦力が減るだけだ! 喜ばしいどころか、事態は確実に悪化している!」

神谷が叫ぶのと、地面が派手に砕けるのはほぼ同時だった。混沌の欠片が次々と地面に衝突し、足元がどんどん闇と化していく。どうやら、造化三神は仁優達に直接攻撃を当てるのではなく、足元を崩していく作戦に方針を変えたらしい。

足元が攻撃される。避けようにも、次第に闇化していない地面が減っていく。

「うわっ!? とっ……たっ!?」

「……っ! このっ!」

「くっ……!」

三人はそれぞれ攻撃を避け、闇に落ちないよう跳んだ。そして、着地した瞬間、全員がドン、という衝撃を背に感じる。

「……!」

「仁優様っ!」

仁優によって安全地帯に避難していたメノが、悲鳴をあげる。いつの間にか全員が追い詰められていた。背中合わせの状態になってしまい、これ以上後に逃げる事はできない。

追い詰めるように、混沌の欠片は仁優の、瑛の、神谷の前方へと降り注ぐ。後へ逃げる事も、横へ逸れる事も、勿論前に進む事もできず、三人はその場で固まった。

辺りはすっかり闇に囲まれてしまっている。広大な闇の海原に浮かぶ小島に辛うじて立っている。そうとしか言いようが無い状態だ。

造化三神から、新たに小さな混沌の塊が生み出された。タイミングを計るように上下している。次の攻撃は、確実に仁優達に直撃するだろう。逃げ場は、無い。

「瑛! 黄泉族の門は……」

「駄目だ! 今黄泉に逃げ込めば、造化三神もまた黄泉に戻ってしまう! 黄泉でまたあの空気に中れば、造化三神の闇化が益々進み……手がつけられなくなるぞ!」

それでなくとも、地面は闇だらけ。神谷が呼び出す霊の多くが黄泉に送られ、戦力も減っている。闇化が進まずとも、次は無いだろう。

小さな混沌の塊が、上下運動を止めた。あとは弾けるだけだ。

「このままじゃ……!」

最悪の結末を想像し、仁優は思わず目を閉じた。その瞬間、神谷の携帯電話が鳴り響く。

「!」

反射的に、神谷は携帯の通話ボタンを押した。すると、神谷が耳元に携帯を運ぶのも待たずに声が聞こえてくる。

「遅れてすみません! 桃、たくさん採ってきましたよ!」

オロシの声だ。その声に、仁優達が上空を見上げた途端、空から雪が降って来た。

「……いや、雪じゃない。これは……」

それは、桃の花だった。白い花、薄紅色の花。色とりどりの花弁が、雪のようにふわふわと舞い落ちてくる。桃の花弁は、ふわりふわりと闇の上に舞う。まるで、闇夜の雪のように幻想的だ。

花弁が落ち切った瞬間、花弁の触れた闇が消えた。そしてそこに、本来の色、姿が戻ってくる。破邪の力は確かなようだ。

雪のように舞い落ちる花弁は、次々と闇に落ち、そして闇を消していく。やがて辺りに確かな地面が戻り、即座に三人は散開した。いつまでもかたまっていては、そこをまた狙われる。

やがて小さな混沌が弾けるが、足場を取り戻した三人は攻撃を全て避け切った。新たに闇と化した地面も、再び桃の花に触れ、元の姿を取り戻す。

「皆さん、ご無事ですかっ!?」

仁優の元に、オロシが駆け寄ってきた。マドカは非戦闘員なのだろう。メノの元に行ったようだ。

「おう、間一髪! 助かったよ、オロシ」

仁優の言葉に、オロシは少しだけ照れ臭そうな顔をした。そして、照れを隠そうとするかのように言う。

「朝来様達も、もうすぐ到着します! もうひと踏ん張りですよ!」

そう言うとオロシは拳を作り、振り上げる。闘志はいつに無く盛んなようだ。

「ところで、オロシ。採って来たのは桃の花だけか?」

神谷の問いに、オロシは「まさか!」と笑って見せる。

「勿論、実も葉も、たくさん採ってきてますよ!」

そう言って、どこからかゴロゴロと桃の実を取り出す。どの実も瑞々しく、生命力が溢れているように見える。

「兄さん達、オロシから桃を一個ずつ受け取ってヨ! 食べておけば、その分闇への抵抗力が生まれる筈だヨ!」

彦名の声が響き渡り、仁優達は思わず辺りを見渡した。いつの間にか、メノとマドカのいる場所に彦名がいる。……彦名だけではない。天、要、礼、奈子。いつもはあの施設から出てこない面々が全員集合しているではないか。

「あいつら……」

「足手まといが揃いも揃ってぞろぞろと……」

「守る側の事を考えているのか? 面倒臭い……」

『あぁ、やっぱり瑛には足手まといと言われたね。伝にまで言われるとは思ってなかったけど……』

イヤホンマイクから、天の苦笑気味の声が聞こえてきた。全員が指令室から出ていても、イヤホンマイクは使用できるようだ。

「天!? 何だってお前ら、こんなとこまで……」

『ボクはボクなりに、援護をしようと思ってね』

「お前に何かあったらどうするつもりだ!? お前は自身の立場を……」

『わかっているさ。……大丈夫。キミ達は負けないよ。少なくとも、ボクはそう信じている』

「……!」

瑛の目が見開かれた。そして、フッと笑う。

「これは……気が抜けなくなったな。勿論、最初から気を抜くつもりなど毛頭無いが」

銀の剣を左腕にス、と当てる。タラリと、いつもよりも多くの血が流れ、いつもよりも強靭そうな新神が姿を現した。

『わ、わ! 瑛姐さん斬り過ぎだヨ! 出血多量で倒れたら……いやいや、それよりも、腕が使い物にならなくなったらどうするつもりサ!?』

『彦名の言う通りよ! 瑛、こんな時だけど一旦こっちに来て! 応急手当ぐらいはしておかないと……』

「これぐらいなら問題無い。どれだけ斬ったら支障があるかぐらいは心得ているつもりだからな」

オロシから投げ渡された桃を齧りつつ、瑛は強い口調で言う。その口調に、仁優は何故か胸がざわつく感覚を覚えた。

「……何だ?」

「仁優様? どうか……されたのですか?」

桃を手渡しながら、不安そうな顔でオロシが問う。

「いや……多分、気のせいだ」

無理矢理笑顔を作り、桃を齧る。甘くて、さわやかな酸味がある。一口食べただけで心が蕩けそうであり、活力が漲り、口中に涼風が吹いたかのようにシャキッとする。そんな気がするほどに、美味い。成程、確かにこの桃を食べたら邪気も祓えようし、病も癒えそうだし、寿命も延びそうだ。

「それで……どうするつもりだ?」

神谷が、食べ終わった桃の種を行儀悪く吐き出した。狙ったのか、種は地面にまだ少し残っていた闇に当たり、地から闇が消え失せる。更にそこから、早くも桃の芽が生えた。相当の生命力だ。

「どうするも何も……意富加牟豆美命が到着するまで、ただひたすらに街と、あそこの足手まといどもを守るだけだ。それ以外に何ができる?」

言うと、瑛は手のひらで転がし弄んでいた桃の種に息を吹きかけた。あっという間に桃から芽が生え、伸びた根が地面に網の目のように拡がる。桃の根の絨毯だ。多少走り難くはなったが、闇化して足場を失う恐れは無くなった。

造化三神は、それしか攻撃方法が無いのか……またも小さな混沌を生み出している。それも、今までに比べると随分と小さい。

『何だかんだで、キミ達に攻撃する為に間断無く混沌を削り出していたからね。そろそろ材料不足にもなるだろう』

天の解説に、仁優は成程と独り言ちた。次第に、戦いが楽になってきたように思える。

そう思ってしまったのが、間違いだった。

『! 皆さん、避けて下さい!』

耳に突き刺さるように要の叫び声が聞こえてくる。ハッとした時には、あの小さな混沌は弾けていた。いままでよりも、強く、欠片は大きく。

「うわっ!?」

慌てて飛退く。今までいた場所には、巨大な闇の穴が開いた。そして、桃の根が張っているというのに、中々元に戻らない。どうやら無駄撃ちを止めて、一発一発の精度と威力を上げたようだ。

「こんなんありかよ……!?」

情けなく顔を歪める仁優の眼前で、休む事無く小さな混沌が生み出される。そして、造化三神がチラと天達の方を見た――気がした。

「やべぇ! あいつら……」

「まさか……!」

血相を変え、仁優達は走り出す。だが、目的の場所へ辿り着く前に小さな混沌は弾け、欠片が仁優達にも、天達にも、満遍なく襲い掛かる。

「伊勢崎! 礼!」

「マドカさん! 奈子様!」

「メノ! 要、彦名っ!」

瑛が、オロシが、仁優が叫ぶ。だが、皆自分達も欠片を避けるのが精一杯で、天達の元へと辿り着く事ができない。

「誰か、いないのか……? この面倒な状況を何とかできる奴は……」

ピリリリリ……。神谷の叫びに応えるように、携帯電話の着信音が鳴り響いた。ハッとして、神谷は欠片を避けながらも何とか通話ボタンを押す。

『こんな時でも律義に面倒、という言葉を使うとはね。幼馴染ながら、恐れ入ったよ』

受話部分から聞こえてくる言葉が終わらないうちに、激しい雷鳴が轟いた。そして、幾筋もの稲妻が宙を走り、飛び交う混沌の欠片と衝突する。衝突した欠片と稲妻は、相殺されたのかどちらも消え失せた。

「雷……これって、ひょっとしなくても……」

「どうやら……間に合ったようですね」

ライの声が、仁優の耳に届いた。そしてすぐに声だけではなく、姿もその場に現れる。勿論、共に行動していたウミと夜末も。

「ウミ、ライ、夜末!」

「遅れて済まなかったな。……ここからは、遅れを取り戻せるよう全力を尽くさせてもらおう」

そう言うウミの手には、桃の一枝が握られている。意富加牟豆美命だ。

「意富加牟豆美命をそのまま連れ出そうとしたら、どうやって運ぶ気だの、後世の事も考えて一部だけにしておけだの、そこの妖禍使いに散々説教をされてな。瑛は、よくもまぁ二十年もこんな口の減らない者と過ごしてきたものだ」

「付き合いがあったのは十八年だ。それと、昔は口煩くはなかったし、素直で怖がりで泣き虫だった。何がどうなればこうなるのか……」

ウミの軽口に瑛も軽口で返し、夜末がムッとする。それを横目に、ウミは手にしていた枝を地面に突き刺した。そして、フッと息を吹きかける。すると、途端に枝は成長し、巨木となる。更に根は張り巡らされ、張り巡らされた先から次々と新芽が芽吹き、新芽が木となり、花を咲かせる。

辺りはあっという間に、一面の桃園と化した。

「すごっ……」

思わず見惚れる仁優に、少々疲れたという顔をしながらウミは言う。

「流石に、黄泉族の闇産能天滅能尊ではこれが精一杯だな。生命を司る伊弉諾尊であれば、更に凄い光景を見せてやれたのだが……」

「それは私に対する嫌味か?」

「そう言うな」

夜末に続いてムッとした表情を見せる瑛の頬を、苦笑しながらウミは撫でた。そして、何事か訝しむような顔をする。

「……瑛? お前は……」

「とにかく、場は整った。後は攻撃を避け続け、造化三神の闇が払拭されるのを待つばかり……そうだな?」

ウミの言葉を遮り、瑛は造化三神に向き直った。小さな混沌は尚も生み出され続けている。そして、それに比例するように造化三神が纏う混沌は更に少なくなっている。あと少しだ。

小さな混沌が弾ける。混沌の欠片が飛び交う。ライが雷でそれを焼き、瑛とウミは新神達を飛び回らせる。新神達が揺らした桃の木から花弁が舞い散り、細かい闇を浄化していく。オロシは桃の枝を両手に握ると、天達の方へと飛んでいく欠片をはたき落とす。夜末はマドカに、神谷は携帯電話に向かって何かを叫んでいる。恐らく、周囲にいる力の弱い霊や妖禍達に避難を呼び掛けているのだろう。

そして、仁優は。

「……やっぱ俺、戦闘になると要らない子、だよな……」

半ば諦めた顔で頭を掻く。今までの戦闘でも、結局戦闘らしい戦闘をした事は一度も無い。最終決戦だからと言って、いきなり活躍できるようになるものでもないだろう。

『……そうやってボーッと見ているつもりかい、仁優?』

「いや、だってこれ……俺が下手に動いたら、本気で邪魔にならねぇか?」

『……キミのその現実を見失わないところは評価するけどね……』

イヤホンマイクから聞こえてくる天の声に、仁優は「そりゃ、どうも」と返す。向こうから、苦笑が聞こえてきた。……そう言えば、今あちらにはメノもいる。役立たずなところを見て失望されてなければ良いが。

『……ん? どうしたんだい、兄上?』

天の声音が、微妙に変わった。そして、少し間を置いて礼の声が小さく聞こえてくる。

『あのね……あの……何か、母様の様子がおかしいような……そんな気がするんだ』

「……礼もか?」

『……キミも気付いていたんだね……』

「も、という事は、天もか?」

『当たり前だろ。引き籠りとはいえ、長く生きてきたんだ。キミよりもずっと気配には敏感なつもりだよ。勿論、父上も気付いているだろうね。それに、伝や朝来も何となくおかしいとは思っている筈だ』

少しムッとしたが、そもそも付き合ってきた時間が違うのだ。仁優にわかって、彼らにわからない筈が無い。そう思い直して、仁優は問う。

「ただ、俺にはどこがどう様子がおかしいのか、わからねぇ。……天達はどうだ?」

『正直に言ってしまうと、ボクもキミと似たようなものだよ。様子がおかしい事はわかるんだけど、どこがどうおかしいのかと問われると答えられない。……兄上は?』

『……僕も、何となくなんだけど……母様から、何か……懐かしい気配がするような気がする』

「……懐かしい? それって……」

その言葉が何を意味するのかわからず、仁優は首を傾げた。そこへ、要達が口を挟んでくる。

『礼くんにとって懐かしい瑛さんと言えば……伊弉冉尊、ですよね?』

『伊弉冉尊、と言えば、とりあえずイメージ的には死の女神、だよネ』

『けど、今の瑛は葦原中国の人間を殺そうとしているわけじゃないわ。寧ろ、救おうとしているくらいよ?』

仁優はハッとして瑛を見る。こちらの会話が聞こえている様子は無い。どうやら、天達は仁優にだけ通信が繋がるようにしているようだ。

「だとしたら、考えられるのは……?」

『あの……仁優様』

メノの声が飛んできた。仁優は無意識のうちに、先程までよりも耳へ神経を集中させる。

『黄泉で、私が見た伊弉冉様は……火之迦具土様や黄泉族を守ろうと、自らの危険も顧みずに戦っていらっしゃいました。もし、今またその時のような心持になっていらっしゃるのでしたら……』

有り得ない話じゃない。瞬時に仁優はそう思った。これまでも自らの危険を顧みている様子はあまり見られなかったが、ウミと和解し、礼を含めてまた親子のような時を過ごし、天との間にあった溝も少しずつだが埋まろうとしている。そんな今の状況が、瑛の〝守りたい、失いたくない〟という気持ちを強くしたのだとしたら?

「もし、そうだとしたら……」

『闇を祓いきる事で、確かに造化三神は元の神に戻るかもしれません。ですが、元々造化三神に黄泉を――伊弉冉尊を討とうという気持ちが無ければ、そもそも造化三神が黄泉に降りて黄泉の空気に中る事も無かった筈です。黄泉の空気に中ったからこそ、造化三神はあの姿になってしまった……』

「つまり、その……造化三神には、元々自分の意に染まぬ者を排除しようとする心が存在していた……?」

イヤホンの向こうで、要が頷く気配があった。




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