13月の狩人












11













北の霊原は湿地帯だ。当然、そこへと至る道もぬかるんでいて、歩き難い。おまけに、時折十三月の狩人と思われる襲撃がある。矢が飛んでくる。降り注いでくる。

飛来する矢を、時にはテレーゼが魔法で風を起こして吹き飛ばす。時には、フォルカーが剣で叩き落とす。時には、二人揃って全速力で逃げ出す。

夜眠る時は、どちらか片方が起きて辺りを警戒しなければならない。十三月の狩人が襲い掛かってくる時にすぐ気付けるのは、獣人であるが故に聴力も嗅覚も、第六感も優れているフォルカーだ。それ故、どうしてもフォルカーが番をする事が多くなる。自然と睡眠時間が短くなり、疲れの溜まったフォルカーの歩みは遅くなっていく。

テレーゼもまた、番をする事は少ないとは言え……元々、フォルカーと比べたら体力は多くない。加えて、魔法を使うには魔力を使用する。使った分の魔力を元に戻すためには、体力が必要となる。結果として次第に疲れが溜まり、歩みが遅くなっていく。

歩みが遅くなれば、自然、目的地へ辿り着くのも遅くなる。

二人が北の霊原、その中心地へ辿り着いた時には、既に六日もの時が過ぎていた。

「とりあえず……何とか七日間は生き延びたな……」

もうすぐ八日目を迎えようかという時間帯。北の霊原の中心地へ入る手前の、湿った森。雨に穿たれた事で生まれたらしい洞窟の中、たき火で干し肉を炙りながら、フォルカーが呟いた。声は疲れているが、その目はどこか嬉しそうだ。あの激しい襲撃を七日間生き延びた、という事が自信に繋がっているのかもしれない。

たしかに、この七日間でフォルカーの動きはかなり良くなってきている。疲れが溜まっているはずだというのに、剣が手からすっぽ抜ける事が無くなったし、道端で躓く事も減ってきた。たった七日間で、目覚ましい進歩だ。

「それに比べて……」

ぽつりと呟き、テレーゼは己の手元を見る。手には、火を熾した時からずっと持ちっ放しの杖。ここ数日はすぐに戦えるよう、移動中でも手にしている事が多い。

テレーゼも、この七日間、ほぼ毎日のように魔法を使い戦っているというのに、ちっとも魔力が増えた気がしない。

「情けない……」

「何がだ?」

小さな声で呟いたつもりだったが、聞こえていたらしい。炙った干し肉を食べながら、フォルカーが問うてきた。

「……いつになく戦い詰めで魔法をたくさん使ってるのに、魔力、全然増えてないな、って……」

「そうか? 一日に使える魔法の回数、増えてるんじゃねぇ? 増えてないように思うなら、疲れてるからじゃねぇの?」

「だと良いんだけど……」

溜め息を吐き、食べごろになった炙り干し肉を手に取る。実際のところ、魔法を使える回数が増えたのは、少ない魔力を効率良く使うコツを身に付けただけの話だ。魔力が増えた証にはならない。そう言いたくなるのを抑えながら、干し肉を口にする。その時だ。

ガサリと、外の木々が鳴った。

「……!」

「……いる……!」

テレーゼは息を呑み、フォルカーは剣を抜き放つ。閉じ込められないよう、即座に洞窟の外に躍り出た。それと同時に、頭上から大量の矢が降り注いでくる。

「テレーゼ、火を消せ! 明かりがあると、格好の的になる!」

フォルカーは夜目が利く。明かりが無くとも、襲い来る矢を叩き落とす事はできるだろう。そう判断して、テレーゼは杖を一振りした。少量の水が宙に現れて、洞窟内のたき火に降り注ぎ、ジュッという音を立てる。

「テレーゼ、魔法はあと、どれぐらいの奴を何回使えそうだ!?」

「多分……砂埃で目くらましができる程度の奴を、三回ぐらい……」

「そっか。テレーゼには、また後で明かりを作って貰ったりしなきゃいけねぇからな。よっぽどの事が無い限り、温存しといてくれよ……!」

温存しておいたところで、砂埃を作る程度の魔法がどんな時に役に立つと言うのか。口には出さないが、そう思わずにはいられない。その目の前からは、フォルカーが疲れている筈の体を素早く動かし、襲い来る矢を叩き落としたり、叩き切ったりしているらしい音が聞こえてくる。稀に目測を誤るのか、テレーゼの足下に矢が突き刺さる事がある。だが、それは本当に極稀で、テレーゼは動く事も魔法を使う事も無く、難を避けている。

だが、このままではまずい。フォルカーの体力にも限界はあるし、何よりこの暗く土地勘の無い場所。逃げ出そうにも逃げ出せない。このままでは、フォルカーの体力が尽きた時、二人は揃って十三月の狩人に射殺されてしまう。

せめて一瞬だけでも隙を作れないかと、テレーゼは残った魔力をありったけ杖に集中させてみる。だが、どう考えても相手を怯ませるには足りていない。そもそも、まだ相手の姿がどこにあるかもわからないのだ。何をどうすればこの危地を脱せるのか、見当もつかない。

次第に、体力が削れてきたのだろう。フォルカーの動きが鈍くなってきた。テレーゼの方へと飛んでくる矢も、増えている。

「……フォルカー! ちょっと下がって!」

叫び、テレーゼはフォルカーの服を掴んで後に引き寄せた。代わりに己が前に進み出、そして杖を振る。砂埃を生み出すよりもずっと強烈な風が吹き荒れ、テレーゼ達の髪を乱す。暗闇で目には見えないものの、襲い来る矢が次々と風に煽られて横に流れ、木々にぶつかっているのが音でわかった。

「おぉっ! やるじゃん、テレーゼ!」

「これだけの事ができるのは、これっきり! 同じ手は使えないから。今のうちに逃げるわよ!」

単純に喜んでいるフォルカーの腕と思われる部分を掴み、テレーゼは走り出そうとする。だが、疲れもある。慣れない土地で、辺りも暗い。走ろうにも、ここは湿気が多く、ほとんどの地面がぬかるんでいる土地で走り難い。

前が見えない。上手く走れない。速く進めない。そうしてもたついているうちに、再び矢が空を切る音が聞こえてくる。

向こうも、この暗闇でテレーゼ達の位置を上手く掴めないでいるのだろうか。いきなり命中する事は無く、少しずつ、矢の音はテレーゼ達に近付いて来る。

ヒュン、という音が近くから聞こえた。次に聞こえてくる時には、もっと近い。また近くなった。次も、また次も。どんどん、近付いて来る。

どんどん近付いて来る音に、テレーゼは焦る。フォルカーも、次第に呼吸が速くなっていく。

遂に、矢がテレーゼの耳を掠めた。耳を走る微かな痛みに、テレーゼは「ヒッ」と短く悲鳴をあげる。

「テレーゼ!」

フォルカーが思わずテレーゼを引き寄せようとするが、その前に己にも矢が迫っている事に気付き、舌打ちをして剣で叩き切る。

これでは、先ほどまでと同じだ。それどころか、逃げようとして失敗したために体勢を崩してしまい、事態は悪化してしまっている。

テレーゼは、もうこれ以上の魔法は使えそうにない。フォルカーも疲れ切っている。これは紛れも無く、絶体絶命というやつだ。

「どうする……どうする、テレーゼ!?」

「どうする、って言われても……どうしよう!?」

二人とも、声が泣きそうになっている。暗くなければ、恐らく目にも涙を溜めている事だろう。

やがて、一条の矢がフォルカーの腕に突き刺さる。

「うっ……!」

「フォルカー!?」

腕が傷付いていては、今までのように剣を振るえない。それでなくても、フォルカーは相当に疲労している。

せめて、テレーゼに傷を癒す魔法が使えれば良かったかもしれない。だが、それはそこそこ上級の魔法だ。傷を癒すには、多くの魔力を消費する。魔力を多く持たないテレーゼに、それはまだ扱えない魔法でしかない。

「テレーゼ、俺の事は良いから、お前だけでも逃げろ!」

「できるわけないでしょ! カミルにも会えないし、ここでフォルカーもいなくなったりしたら、私一人でどうしろって言うのよ!」

勝手な事を言っているのは、わかっている。だが、それが今のテレーゼの本音だ。一人で十三月の狩人から逃げ切る自信など無い。誰にも頼れない。フォルカーがいなくなってしまったら、心細い。

普段は一人でも大丈夫と言わんばかりに振舞っているし、フォルカーの事も馬鹿にして、小突いたりしている。カミルの事だって、魔道具の事では頼りになるけど、それ以外の点では大人し過ぎて頼りないくらいだと思っていた。

それなのに、その二人がいない状態で、一人になるかもしれない。そう思っただけで、とても怖い。一人になりたくない。

その気持ちが、テレーゼを突き動かした。暗い中、ほとんど何も見えない筈なのに、テレーゼはフォルカーに素早く歩み寄り、その腕を掴む。

「痛っ……!?」

「痛がるのは後! 二人で逃げるのよ! 二人で逃げ切って、絶対にカミルとも合流するの!」

それは強がりか、願望か。口をついて出た言葉とその咄嗟の行動に、テレーゼ自身が驚き、目を丸くする。しかし、今は驚いてばかりはいられない。

テレーゼはフォルカーの腕を引き、少しでも遠くへ逃げようと前へ進む。どちらが前かはわからないが、とにかく進む。

「おい、テレーゼ! 来るぞ!」

フォルカーの叫び声が聞こえた。それと同時に、矢が空を切る音が聞こえてくる。

そろそろ、矢の音にも慣れてきた。音を聞けば、どの方角から、どこ目掛けて飛んでいるのかが何となくわかる。

この矢は――前から。それも、テレーゼの眉間を目指して……。

「テレーゼ!」

悲鳴のような声で、フォルカーが叫ぶ。テレーゼは、動けなかった。矢の音が迫る。

だが、テレーゼが眉間を貫かれる事は無かった。衝撃が体を貫く代わりに、ガキン、という何かが鉄にぶつかるような音が聞こえる。次いで、バチバチという何かが爆ぜる音。そして微かに、シュイィィン……という、魔法で結界を張った時のような音も。

「……え?」

「ま、間に合った……」

突然目の前で起きた光景に、テレーゼは目を丸くした。テレーゼだけではない。気配から察するに、フォルカーも。

「大丈夫? テレーゼ、フォルカー」

聞こえてきた声は、この七日間、ずっと気にかかっていた人物の物。合流したいと、ずっと思っていた人物の……。

「カミル!」

「お前、何でここに!?」

二人の問いに、カミルは「話は後で!」と鋭い声で言った。暗くて表情は窺えないが、かなり緊張している事が伝わってくる。

「とにかく今は、十三月の狩人を追い払わないと! ……レオノーラ!」

「心得ておりますわ!」

可愛らしい声に、テレーゼは「えっ」と嬉しげに叫んだ。

「レオノーラもいるの!?」

返事の代わりに、黄緑味を帯びた光が放たれ、辺りが一瞬明るくなる。この光は、前に一度、カミルに見せて貰った事がある。魔道具に妖精が魔力を注ぎ込む時の光だ。

魔道具職人は、職人見習いとなる際に一人につき一人の妖精とコンビを組む。魔道具を作るためには、妖精が持つ膨大な魔力が必要不可欠だからだ。どちらかが死ぬまでコンビは解消されず、ずっと助け合って生きていく事となるのだ。

妖精は、魔道具職人が丹精込めて作り上げた魔道具に機動力となる魔力を注ぎ込み、その代わりに職人は、妖精を楽しませる。

楽しませ方は人によって様々で、話し相手となる事で喜ぶ妖精もいれば、次々と新しい道具を作って見せる事で喜ぶ妖精もいる。共に新しい道具を作り出す事に喜びを見出す妖精もいるし、中にはパートナーである職人を慈しみ育てる事を至上の喜びとするような妖精もいるようだ。

レオノーラはどうやら見て楽しみたいというタイプらしく、カミルの作り出す道具や、カミル自身、それにテレーゼやフォルカーなどカミルを取り巻く人々を見て楽しみ、その代償としてカミルの魔道具に魔力を提供しているフシがある。

黄緑がかった光に照らされたカミルの顔は真剣そのもので、レオノーラは余裕のある笑みを浮かべている。

確認できた限り、カミルは今二つの魔道具を手にしている。

一つは、たしかいつもカミルが身に付けているブレスレット。これを使う事で、魔法使いのように結界を張る事ができる。

半径三メートル以内にあれば常に守って貰えるし、移動しながらでも使える。何より、魔法の修業をしていない者でも、これがあれば危険から身を守る事ができる優れものだ。

ただし、魔力が切れたら、魔道具屋に修理に持って行くまで再び使う事ができない。また、範囲を広げたり狭めたり、強さを調整したりする事もできない。それ故、魔力を節約して使う事で長持ちさせるような事もできない。……などのデメリットもある。

先ほどから微かに聞こえてくる音は、この魔道具を使って結界を張っている音なのだろう。それで、降り注ぐ矢からテレーゼ達を守ってくれているのだ。

もう一つの魔道具は、カミルが右手に握っている。一見、テレーゼの杖と似たようなシルエットだが、どこか違うような気もする。杖の二倍か、ひょっとしたら三倍は太いかもしれない。

「テレーゼ、フォルカー。ちょっと、こっちを見ないようにしていてよ!」

言うなり、カミルは杖を力強く一振りした。するとその瞬間、昼間の太陽もかくやという程の激しい光が、カミルの杖から発せられる。辺り一面が、あっという間に明るくなった。

光はやがて落ち着いていき、辺りは次第に元の暗さを取り戻していく。カミルがやった事と言えば、結界を張った事と、激しい光を発した事の二つだけだ。だというのに、光が消えた頃、テレーゼ達に向かって矢が飛んでくる事は無くなっていた。

「ど、どうして……?」

「北の霊原には、魔族や精霊が多く住んでいるでしょ? 十三月の狩人から逃げてここまで来た時に、中心部の集落で彼らに聞いたんだ。十三月の狩人は闇を好む精霊だから、もの凄く強い光を当てると怯んで、一旦逃げ出すんだって。しばらくしたら戻ってきちゃうし、光が苦手といっても昼間の陽光ぐらいなら平気みたいなんだけどね。さっきの光みたいに強烈な奴じゃないと……」

「そこで、カミル=ジーゲル様は大急ぎで強力な光を放つ魔道具を製作されたのですわ。結果は、ご覧の通り。素晴らしい威力を発揮しましたでしょう?」

誇らしげなレオノーラの言葉に思わず頷き、そこで辺りが暗いので己の動きが相手に見えていないであろう事に気付く。

テレーゼは杖を持ち直し、軽く一振りした。杖の先に明かりが灯り、やっと全員の顔を落ち着いて見る事ができるようになる。

「北の霊原に住む魔族や精霊から対処法を聞いて、それからさっきの魔道具を作ったって事は……カミル、北の霊原の中心部に宿か何かを確保してるって事? 今から行っても大丈夫かしら?」

流石に、七日間逃げ続け、ずっと屋外にいた事が体に堪えている。できる事なら、一度屋根の下に落ち着きたい。もし襲われても、先ほどのように追い払う事が可能であれば、屋内にいてもそれほど追い詰められたりはしないだろう。

同じ事を考えたのか、カミルは頷く。

「そうだね。追い払う手段があるから、屋内にいた方が落ち着くし、安全だと思うよ。じゃあ、ひとまずそこに落ち着く事にして……詳細は、歩きながら話すよ」

カミルの言葉に二人は頷き、三人は揃って歩き出した。やっと一つの場所に落ち着く事ができる。そう思うと、テレーゼはホッとせずにはいられなかった。











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