アフレコ倶楽部大宇宙ボイスドラマノベライズ
再戦の時間だ、勇者よ!
▼エピソード8 帰宅の時間だぞ、勇者よ!▲
カー、カー……。
夕暮れ時の空を、カラスが飛んでいる。七つの子がいる巣に帰るところだろうか。
そして、その下を同じように家に向かっていく高校生が三人。
「ぐぅぅ……不覚! まさか、竹刀の攻撃で意識を失うとは……」
頭を抱えながら、健介は本気で悔しがっている。その眼前で、頭よりも高い位置で手を合わせる正孝。
「本当に、悪い! 全力でやり過ぎた!」
謝罪する姿も全力だ。それが逆に、相手を更に哀れな気持ちにさせるのだろうか。健介が、暗い面持ちのまま苦笑した。
「いや……全力で来いと言ったのは私だ。貴様のせいではない……」
「健介……」
痛ましそうに健介を見詰める正孝と彩夏。健介の握られた拳が、小刻みに震えた。
「しかし……本当に不甲斐無い! 一矢報いる事もできず、早々に昏倒するなど……このままでは、魔王マグダス様にあわせる顔が無いではないか!」
「……」
かける言葉が見付からず、正孝は俯いた。その時だ。
「見付けたぞ、勇者ジークフリース!」
「!?」
「誰!?」
突如聞こえた甲高い声――しかも、正孝の前世の名を呼んでいる――に顔を強張らせ、正孝と彩夏は振り向いた。
そこには、五、六歳程度の幼女が一人。ツインテールを揺らしながら腰に両手をあて、不敵な笑みを浮かべている。
「……本当に、誰?」
「健介、お前の妹?」
彩夏は困惑気に首を傾げ、正孝は健介の方を振り向いた。その健介はと言えば、口元に手を当て、難しい顔をしている。手が、先ほどとは違う震え方をしているようだ。
「違う……妹など、私にはいないからな。だが、まさか……この気配は……」
「おぉ。ディアーゴではないか。久しいな」
幼女はにぱっと破顔し、歳に見合わぬ言葉遣いで健介の前世の名を呼んだ。そこで、健介の目が見開かれる。
「やはり……魔王マグダス様!」
「マグダス!?」
「そんな……マグダスも現代に転生していたなんて……!」
瞬時に身構え、警戒を顕にする正孝と彩夏。その様子に、健介が勝ち誇った顔で嗤った。
「何を驚く事がある? 私が転生できたのだ。マグダス様が転生していたとして、何の不思議もあるまい?」
「……!」
緊迫した空気が、辺りを支配した。言葉を失った正孝の様子に、マグダスは満足そうだ。くっくっく、と幼女に似合わぬ笑い声を発する。
「……どうした? 顔色が悪いぞ、勇者ジークフリース。……まぁ、気持ちはわからんでもないがな。何せ、三千年ぶりにこの魔王マグダス様と邂逅したのだ。さぞや不安と恐怖で、心は満たされている事だろう……」
「あら、マリンちゃんたら、こんなところにいたの?」
会話に割り込むように聞こえてきた、場違いな女性の声。見れば、道の向こうから三十歳前後の女性が歩いてくる。今のマグダスとどこか面差しが似ている事を考えると、どうやら転生したマグダスの母親のようだ。
それはさておき。場の空気が微妙になった。全員が顔を見合わせ、発するべき言葉を探している。
最初に口を開いたのは、健介だった。
「……マリン。それが今の、あなた様のお名前なのですか、マグダス様?」
別に今でなくても良さそうなその質問から、健介も場の空気を何とかするために無理矢理言葉を発している事が察せられる。魔王マグダスは、「う、うむ……」と消え入りそうな声で頷いた。
「失礼ですが、字は何と? やはり、真実の「真」に「鈴」ですか?」
「いや、ここは「海」と書いて、マリンじゃないか?」
「草冠に末って書く「茉」に、りりしいって意味の「凛」じゃないの? 何かこういう名前って、日常的にあんまり使わない字を使いたがる傾向があるっぽいし」
興が乗ったのか、正孝と彩夏も勝手な推測を述べ始めた。それが気に食わなかったのだろう。正孝達に近寄ってきた魔王マリンちゃんの母親は、キッと眦を吊り上げた。
「ちょっと、人の娘の名前で遊ばないでよ! ウチのマリンちゃんは、「空」と書いてマリンよ!」
「斜め上だった……」
想定外の文字を聞かされて、正孝はぽかんと口が開きっ放しになった。その間に、母親はマリンちゃんの手を引いて歩き出す。
「さ、帰るわよ、マリンちゃん。もうこんなところまで一人で来ちゃ駄目よ! それから、あんな頭の悪そうなお兄さん達に話しかけても駄目!」
「何だと! 貴様、我らを馬鹿に……」
「よせ、ディアーゴ!」
怒鳴ろうとした健介を、マリンちゃんが制した。その顔は、先ほどまでの威勢が嘘のように青褪めている。
「この女は、怒らせると本当にあとが怖いと言うか、面倒臭いのだ! 余計な事を言ってはならん!」
「しかし、マグダス様……」
健介の言葉は、最後まで発せられる事は無かった。
「マリンちゃん! ママに向かってこの女とか、どこで覚えてきたの、そんな悪い言葉! アンタ達も、これ以上うちのマリンちゃんに近付いたら、警察を呼ぶわよ!」
そう言うと、母親はマリンちゃんをずるずると引っ張っていってしまう。マリンちゃんが、ジタバタと暴れた。
「放して! 放してよママーっ! 私の魔王としてのプライドがーっ!」
「魔王なんかより、プリンセスを目指しなさい! ほら、バレエのレッスンに遅れるわよ! ぐずぐずしないの!」
「やーっ! 放して! 放してよーっ!」
「あ……あぁっ! マグダス様ぁーっ!!」
健介の叫び声も空しく、魔王マリンちゃんは母親によって連行されてしまった。あとには、カラスのアホー、アホーという鳴き声が残るのみである。
「あぁぁ……何とおいたわしい……マグダス様……マグダス様ぁぁぁ……」
泣き崩れる健介の姿に、正孝と彩夏は困ったように顔を見合わせた。
「あー、まぁ……その……何だ。あと十年もしたら高校生になって、一人で好きなところへ行けるようになるだろ」
「そ、そうそう! それからゆっくりと、世界征服の計画とか話し合えば良いのよ! よく考えて? あの戦いから、もう三千年よ? それに比べたら、十年なんて早いもんじゃない!」
二人の言葉に、健介が顔を上げた。涙と鼻水でぐちゃぐちゃだ。
「正孝……彩夏……私の事を慰めてくれるのか?」
「え? うん、まぁ……」
「あんな可哀想な姿を見せられたら……ねぇ?」
そんな二人の同情に、健介の顔が歪んだ。ニヤリと嗤っている。
「そうか……そうか! ふ、ふふふふふ……愚かだな、勇者ジークフリース! 敵に情けをかけるなど……!」
健介、復活。立ち上がり、背筋を伸ばすと、正孝に向けて人差し指を突き出した。失礼な行為である。
「よかろう! ならば私は、マグダス……いや、マリン様が自由の身となられるまでの十年間、ひたすら貴様の弱体化に心血を注ごう! 私とマリン様が手を携えた時……その日が貴様の命日だ!」
「あー、うん……頑張れ?」
頭を掻きながら、棒読みで言う。……が、それすら気にならぬほど健介のメンタルは回復しきっているらしい。
「こうしてはおれん! 早速帰宅し、明日の時間割を確かめねば! 授業妨害をせぬようにしつつ貴様にダメージを与えてやるから、覚悟しておくが良い!」
授業を妨害する気が無い辺り、魔王の配下も丸くなったものである。健介は正孝に対して鼻で笑い、踵を返した。
「では、さらばだ正孝! また明日会おう!」
その言葉に、正孝は目を丸くする。そうこうしているうちに、健介はその場から去っていく。
「……おう。また明日な」
去りゆく健介の背中に声をかけ、正孝は頬を緩ませた。
「また明日、か。まさかディアーゴにそんな事を言われる日が来るなんて思わなかったな……」
前世での戦いの時は、また明日、などという穏やかな別れ方をした事など一度も無い。憎しみの籠った「覚えていろ」がデフォルトだった。
「そうだね。けど、良いんじゃない? このまま一緒に毎日を過ごせば、いつかきっとディアーゴ……ううん。健介と、本当に仲良くなれる日が来るよ」
彩夏の言葉に、正孝は苦笑した。どこか気持ちが軽くなったような笑いだ。
「だな。……ところで、彩夏? さっきから妙に嬉しそうな顔で携帯覗いてるけど、何かあったのか?」
彩夏は歩きながら携帯を眺め、ニヤニヤしている。危ないので、歩きながらの携帯、スマートフォン操作はしない方が良い。
「いや、別に……何でもないよ?」
何かが、引っ掛かったのだろう。正孝が彩夏の携帯に向かって手を伸ばした。
「ちょっと見せてみろ」
「あ、ちょっと……!」
彩夏の抗議を聞く間も無く、正孝は携帯を取り上げた。その画面には、調理実習中の正孝と健介の姿。他にも、写真データがかなりあるように思われる。
「やっぱり! 俺と健介のツーショット写真、大量に撮ってやがったな! デジカメはおとりで、携帯が本命だったってわけか!」
「ああん、もう! バレたーっ!」
悔しそうに、彩夏が地団太を踏んだ。だが、その顔はまたすぐに妖しく嗤う。
「……でも、良いわ。同じクラスだもの。また明日って言ったもの。チャンスはまだまだ、いくらでもあるわ!」
「あぁ、もう……。本当に、何であの可愛かった癒しの花の妖精ルーナがこんなんになっちまったんだよ……」
がっくりと肩を落とす正孝に、彩夏は「まぁまぁ」と手を振って見せる。
「それはそれとして、今からケーキバイキング行かない? 多分明日も、健介にいっぱい食べろって言われるだろうし。たくさん食べる練習って事で」
正孝が、首だけを動かして彩夏に視線を遣った。何かを訴えるような目をしている。
「……行くなら、チョコレートケーキの種類が豊富な店で」
「オッケー! じゃ、せっかくだから、この前見付けたチョコレート専門って店に行ってみましょうよ! チョコレート菓子のバイキングもやってるみたいだったし! それで、美味しかったら、今度は健介も誘って一緒に行くって事で」
彩夏の提案に、正孝が面白そうな顔をして身を起こした。
「そうだな……そうするか」
「甘い香りが満ちた店内……それ以上に甘い雰囲気を醸し出し、見詰め合う二人……」
うっとりと呟く彩夏の頭を、正孝が右手ではたいた。ベシッという、中々良い音がする。
「……っ! もう! 正孝、アンタ! 今日一日で一体何回私の頭を叩いたら気が済むのよ!」
「お前こそ、一日に何回妄想すれば気が済むんだよ!?」
「どれだけ考えたって足りないわよ! そこに萌えがある限り!」
胸を張って言い切る彩夏に、正孝は再びがっくりと肩を落とした。「はー……」という深いため息が出る。
「もう良いよ……疲れた。それよりも、早く行こうぜ。甘い物食べて、この疲れを忘れたい……」
情けない顔をする正孝に、彩夏は「そうこなくっちゃ!」と笑った。そして、正孝の腕を掴む。
「じゃあ、早速レッツゴー!」
「おー」
やる気の無い返事をして、正孝は彩夏と共に歩き出す。甘いチョコレートと、明日からの健介とのやり取りに、どこか期待を覚えながら。
(了)