夢と魔法と現実と
25
携帯電話から軽快なメロディが鳴り響く。音に気付いた亮介は携帯電話を取り出し、ディスプレイに表示された文字に素早く目を走らせた。電話ではなく、メールだ。差出人は、時野。亮介は迷う事無くメールを開いた。
「昨日のタイムセール巡りで良い食材がたくさん手に入ったから、今日はご馳走を作るつもりなんだ。夜に亮ちゃん家にも持ってくから、買い食いとかしないで腹を減らしておいてくれよ」
その文面に、亮介は思わずプッと噴き出した。その後からメールを覗き見たトイフェルは、顔を綻ばせて言う。
「これは朗報だね。無事に帰ったら、従兄弟クンの神がかり的な美味しいご飯が食べられるわけだ」
「あぁ。……こりゃ益々、死ぬわけにゃいかねぇな」
言いながら、亮介は携帯をパタンと折り畳んだ。そしてそれを胸ポケットにしまうと、少しだけ表情を険しくして前方を見た。
現在地は、街の中心からは離れた場所にある橋の上。昼間でも人や車が通る事が少ないためか、橋はあまり整備がされていない。
橋の下にはいつもなら段ボールハウスがいくつか並んでいるのだが、今日はそれが見えない。代わりに、満足そうな顔で眠っているイーター達の群れが眼下に広がっている。
「いつもは見える段ボールハウスが見えなくて、満足そうに寝こけてるイーターが複数体……これって、やっぱり……」
「うん、ここにいた人達はイーター達に食べられた……。そう考えて良いだろうね」
苦虫を噛み潰したような顔でトイフェルは言う。そんなトイフェルを見てから、亮介は左手に握っていた石を見た。
石は昨夜とは比べ物にならないほど強く光り輝いている。このままでは爆発するのではないかと思えるほどに強い光だ。だが、光の割には不思議と熱くはない。
「この光り方……間違い無いね。イーター達のボスは、ここにいる」
頷き、亮介は石をズボンのポケットにしまい込んだ。このまま出しっ放しにしていたら、光の強さでイーター達が起きてしまうかもしれない。そうでなくても、近くを通る人が不審に思うだろう。ここは人通りが少ないとはいえ、人が全くいないわけではないのだから。
「それで……これからどうするつもりだい、亮介?」
トイフェルに問われると、亮介は右手を軽く振った。それが合図であったかのように、亮介の姿がすぅっと透明になっていく。これからの戦いを人に見られないために、姿を消しているのだ。
姿が完全に消える直前、亮介はニッと笑って見せると、言った。
「決まってんだろ? ……先制攻撃だ!」
言うや否や亮介は橋の欄干に飛び乗ると、そのまま欄干を蹴り、宙へと飛び込んだ。そして、落ちながら叫ぶ。
「虫をも射落とす冴えたる弓よ、今ここに炎の矢を降り注がん! ウィリアム・テルの焔弓!」
亮介が叫ぶと同時に、燃え盛る無数の火矢が空から降ってくる。火矢はイーター達に降り注ぎ、イーター達を炎で包み込む。
亮介はミリィほどの魔力を持たないので比較的抑え目にしたつもりではあったが、それでもイメージの力と言うのは魔法を使う者にとっては偉大であったらしい。イーター達はかなりのダメージを負ったようだ。特に、レベルの低いイーターは一たまりも無かったのだろう。断末魔をあげながら、次々と黒い煙へと姿を変え、霧散していく。
「ちょっと! ミリィの技をパクらないでもらえないかしら!?」
「……と言うか、真昼間にそんな派手な技を使うなんて、どうしたんだい亮介!? キミらしくもない……誰かに見られたら、また大騒ぎだよ!?」
フォルトからクレームが、トイフェルから驚いたような声が飛んできたが、亮介は顔色を変える事無く着地した。そして、ケロッとした顔で言う。
「使える技は使わねぇと。普段の生活なら駄目だけど、今は著作権なんて気にしてたら命がいくつあっても足りねぇからな。騒ぎになるってのだって、そうだ。今回ばかりは、俺の姿さえ見られなきゃ、あとは多少騒ぎになっても構やしねぇ!」
「……キミ、たった数日で良い性格になったよね……」
トイフェルの呆れた声に「まぁな」と返し、亮介は続け様に唱える。
「咲き誇る刃の花よ、今ここに激しく散れ! 剣吹雪の舞!」
唱え終わるとほぼ同時に白銀色の花吹雪が吹き荒れ、イーター達を包み込む。やはり威力は弱いが、それでもレベルの低いイーター達は黒煙と化していく。
やがて花吹雪は止み、そこには一体の巨大なイーターだけが残された。首に、亮介が持っているのと同じ物と思われる石を付けている。だが、サイズは亮介のそれとは比べ物にならない。
「……こいつが、イーター達のボスってわけだ」
「間違い無く、ね……」
トイフェルが頷き、フォルトがごくりと唾を呑む。その様子を眺めながら、イーター達のボスはゆっくりと低い声で喋った。
「何者かと思えば……我らが餌どもではないか。……そうか。昨日ズゾが消息を絶ったという連絡が入ったが……さては、お前達の仕業だな?」
ボスは、今までのイーター達と比べてかなり滑らかに日本語を操った。イーターとしてのレベルが高いと、言語能力も格段に上がるのだろうか? そして、昨日何とか倒した中ボスクラスのイーターはズゾという名前であったらしい。
「……そうだと言ったら?」
挑発するように言ってはみるが、ボスの余裕の態度は変わらない。それどころか、グガガ……と喉の奥で笑ってすら見せた。
「……それで? ズゾを倒し、調子に乗った餌どもが、我らを地球から殲滅せんとやってきた……というわけだ。まったく、我らに食われるその日まで、束の間の安息を享受していれば良いものを……愚かなものだな。地球人はもう少し賢いと思っていたのだが……」
「……悪いね。無謀を覚悟で挑戦したり、無駄な足掻きを何度でも試みたり……救いようの無い馬鹿が地球人には多くってさ。何日か前までは、俺はその中には入ってねぇって思ってたつもりだったけど……結局のところ、俺もその馬鹿のうちの一人だったみたいでさ」
亮介の言葉に、ボスイーターは「ふむ……」と唸った。そして、問う。
「そう言うという事は……お前は本気で思っているのか? 私を倒せば、我らは地球上からいなくなると。本当に、そう思っているのか? 土宮亮介」
「……え?」
瞬間、亮介は自分の時間が止まったような錯覚に陥った。そんな中、何とか声を絞り出すとボスに問う。
「……何で、俺の……名前……」
「グガガ……我らを甘く見るでないわ、小僧」
呵々大笑しながら、ボスは亮介を睨め付けた。その眼力に、亮介は金縛りにあったかのように動けなくなる。
「ほれ、たった一睨みしただけで、もう動けなくなる。私に名乗っていない筈の名を呼ばれただけで動揺する……。そんな事で、本当に我らを倒せるとでも思ったか? たかが二十一歳の若造一人が足掻いただけで、この世界を救えるとでも思ったか?」
「……っ!」
ボスの鼻先が逼り、亮介は思わず後ずさった。その姿に、トイフェルとフォルトが必死に呼びかける。
「はったりだ! キミの名を知っていたのも、何かワケがあるに決まっている! 呑まれるな、亮介!」
「あなた、さっきあれだけの数のイーターを倒せたじゃないの! ボスとは言っても、相手は一体よ! 何とでもなるわよ!」
「そんな、事……言われたって……」
(勝てるわけがない、こんなの……!)
心の声が、不安を煽る。不安になるような事を考えないようにしようとしても、不安は次から次へと、湧き上がってくる。駄目だ。止められない。
次第に、視界が暗くなってくるような気がした。
「……まずい! 負の感情が……!」
焦ったように、トイフェルが叫んだ。きっと今、自分は負の感情が視覚化した、あの黒い帯に纏わりつかれているような状態なのだろう。先日の宇津木と同じように。だが、それがわかっていても、それを振り払う気力が湧いてこない。
(戦わなきゃ……いや、逃げなきゃ……。じゃなきゃ、俺は今この場で、こいつに食われちまう……? けど、どうやって? 逃げ切れるのか? 今逃げ切れたとしても、俺はこいつに顔と臭いを覚えられちまったんじゃないのか? じゃあ、いずれはこいつに見付かって、結局食われちまうんじゃ……)
心の中で葛藤を続ける亮介を見て、ボスはにんまりと笑った。
「良い具合に育ったな……。そろそろ、食べごろか……」
そう言ってボスは、あんぐりと口を開けた。