しらさわくん
同じオフィスの、隣の席で働いている白沢君は、ちょっと変わった人だ。
暇な時は、よく本を読んでいる。内容は、時代劇、ファンタジー、ホラーにミステリー、恋愛にSFと、ジャンルが幅広い。学術書を読んでいる事もしばしばだ。会社に持ってくるのが躊躇われるだけで、漫画もかなり読むらしい。
休憩時間になると、OL達に混ざってワイドショー鑑賞に勤しんでいる。そのためか、芸能人にもゴシップにも、非常に詳しい。
インターネットサーフィンや、動画サイトの巡回もよくやっているらしい。
法律にやたらと詳しい。営業事務なのに。履歴書に書かれた最終学歴、歴史学科なのに。上司が「これって法的にどうなってるのかなぁ」などと呟けば、即座に答えが飛び出してくる。当然のように、政治情勢にも詳しい。
機械に詳しい、地図に詳しい、動物に詳しい、料理に詳しい、言葉に詳しい、薬品に詳しい、音楽に詳しい、社内事情というか社員同士の交際事情に関してまで詳しい。
つまり、何にでも詳しい。知らない事が無い。人は彼の事を、歩く検索サイトと呼んでいる。
一つ一つを別個に見れば、それほど変わった事じゃない。けど、これだけ何にでも詳しいと、ちょっと変わっていると言わざるを得ない。
一度、何故そんなに何事にも詳しいのかと、訊いた事がある。すると、彼はこう言ったのだ。
「白澤って知ってます? 中国の妖怪で、万物に通じていると言われる聖獣。徳の高い為政者の治世に姿を現すと言われてるんですけどね。……ほら、僕の名前、白沢じゃないですか。読み方は、シラサワですけど。万物に通じる聖獣と同じ名前を持つ以上、僕も多くの知識を持たないと、って小学生の時に思って。それ以降、とにかくひたすら、知識を溜めこむ事を趣味にしてきたんです!」
これまた、ご苦労な事を趣味にしてしまったものだな、と思う。そして、こんな事を趣味にしようと思う辺り、やっぱりこいつはちょっと変わっているな、と思った。
「じゃあ、もしも……もしもだぞ? この世の全ての知識を溜めこんだら、どうするんだ? 新しい趣味を探すのか?」
そう訊いたら、白沢君は「あはは」と楽しそうに笑って見せた。
「この趣味に、終わりなんて無いですよ。学者は絶えず研究を続け、新しい命、新しい可能性はどんどん生まれているんです。知識という奴は、常に更新され続けているんですから、全ての知識を持っている、なんて絶対に有り得ないです。終わりがあるとしたら、それは全ての生物が死に絶えた時。そうなったら、僕も生きてませんからね。だから、僕のこの趣味が終わりを迎えるなんて事はありません」
わかったような、わからないような。
まぁ、悪い奴じゃないし。白沢君自身がこの趣味を楽しんでいるんだし。当人はまだまだと言っていても、やっぱり俺や、普通の人間から見ればもの凄くたくさんの知識を持っていて、頼りになるし。あんまりぎゃあぎゃあと口を出す事じゃないな、うん。これからも仲良くやっていこう。
……そう思っていたのに、ある日突然、白沢君は会社を辞めてしまった。辞職理由は
「OLや内勤職の生態系、有能な社長の働き方、社長が過労で突然死してしまった時に会社がどれほど浮足立つかなど、この会社で得られる知識は粗方得たので」
当然の事ながら、部長はこの辞職理由に大層ご立腹だった。けど、実は他の理由があるんじゃないかと、俺は思っている。
白沢君の辞職理由にもあったが、先日、社員全員が誇りに思う、超有能な社長が過労で突然死してしまった。突然だったため後継者は決まっておらず、なし崩し的に社長の長男が後を継ぐ事になった。……わけだが、この長男、良く言えば穏やか、悪く言えば凡庸。とてもじゃないが、先代社長のような働きは期待できない。……まぁ、先代社長と同じ働きをしたら、きっと新社長も過労死の危険に晒されてしまうわけだが。
そう……残念な事になってしまったが、先代社長は有能で、そして良い人だった。会社の経営も順調で、社内は平和。会社を国に例えるならば、「良い治世」だった。
白沢君は言っていた。「妖怪白澤は、徳の高い為政者の治世に姿を現す」と。
実は、白沢君は本当に、妖怪白澤だったんじゃないだろうか。だからたくさんの知識を持っていて、知識の収集に余念が無くて、有能な社長が世を去ると同時に、会社を去ってしまった。そういう考えが、妙にしっくりきてしまう。
「……いや、やっぱ現実逃避の妄想に過ぎないか……」
そう呟いて、俺は目の前の残務整理の山にため息を吐いた。
(了)