精霊水晶





―八―





「幸多!? ……帰れと言ったではないか!」

「だって……気になっちゃったから……」

華欠左衛門の驚きと非難が綯い交ぜになったような声に、幸多はおどおどとしながら答えた。

戦場にやってきても、このはっきりしない態度は変わらないままか……。玉梓は、剣を構え八岐大蛇から目を離さないようにしながらもあきれ返った。普通は戦場に来る時にはもう少し決意らしきものとか責任感らしきものを持っているだろうに、この少年には相変わらずそんな物がない。はっきり言って、勇ましさとか男らしさとかそんな物が全く無い。

それでも、自らの意思で戻ってきて、華欠左衛門を助け、精霊水晶を守るチャンスを玉梓にくれたのは幸多だ。その点は認めなければならないだろう。

そこで玉梓は、相変わらず冷たい言葉ではあるが、務めて声音を和らげて幸多に言った。

「ここに来たのはお前の意思だ……なら、逃げる気などは無いとは思うが……一応言っておく。この場から離れるのであれば、今のうちだぞ?」

すると、幸多は半泣きになりながらも玉梓に視線を合わせてはっきりと言った。

「逃げないよ! だって、皆が負けたらどの道俺達もこいつに殺されちゃうんでしょ!? なら俺、怖いけど皆の事手伝うよ! よくわからないけど、いないよりはマシでしょ!?」

「いても足手まといなだけで、全く役に立たないという事だってあるんだぞ? お前には……何ができる?」

後を振り向かないままの玉梓の問いに、幸多はしばらく沈黙した。だが、数十秒のちにはきっぱりと言った。

「走るだけなら、俺でもできるよ!」

今は、泣き声になっていない。幸多の声の端々から、「できる限りやってやる」という気持ちがにじみ出ている。

玉梓は、フッと口元を笑わせると、相変わらず幸多達の方を見る事は無く言った。

「ならば、手伝ってもらおうか。私と玉藻、唾嫌は今から八岐大蛇を倒す事だけに意識を集中する。水晶を運ぶ華欠左衛門には、一切気を回さない」

その言葉に、幸多は怪訝な顔をした。仲間に気をかけないとはどういうことか? という、昨今の漫画、映画に慣れきった者なら当然の疑問が脳裏を過ぎったのだろう。わかり易過ぎる幸多の表情を見る事も無く、玉梓は言葉を続けた。

「華欠左衛門は、お前が守るんだ。戦えとは言わない。言ったところで無理だろうからな。ひたすら華欠左衛門の盾となれ。常に華欠左衛門と大蛇の間を走れ。走り続けて、華欠左衛門に水晶運搬の任を全うさせるんだ」

「……!」

思わぬ大役に、幸多の顔に緊張が走った。その緊張を煽るように、玉梓は言う。

「走るだけならできると言ったのはお前だ。その言葉に、責任を持てるな?」

幸多は、生唾をごくりと飲み込んだ。緊張で、足ががくがくする。走るだけならできると確かに言ったはずなのに、今ではそれもできないような気がしてくる。

そんな彼を励ますように、大蛇の後方で少しでも石化させようと毒霧を振り撒き続けていた玉藻と、何とか最後の八の首に体を巻きつけることに成功した唾嫌が言う。

「そんなに緊張する事無いわよ! あずさちゃんは言葉はキツイけど、できない人にできない事をやらせるような子じゃないわ。絶対にできるってアタシも保証してあげるから、自信持って良いわよ!」

「元々、負け戦みてぇなもんなんだ。坊主が走れなければ当然の結果に行きつくだけ。坊主が走れれば奇跡が起こる。負けて元々、勝てれば儲けモンだと思っとけ。そんなに期待はしてねぇから、やれるだけやってみな!」

「…………うん!」

玉藻達の言葉に、幸多は強く頷いた。その幸多に、玉梓は言う。

「走れるな? なら、もたもたせずにさっさと行け! ここは私たちが引き受ける!!」

その言葉と同時に、玉梓は地を蹴り、睨み合っていた大蛇の一の首……その頭の上に飛び乗った。大蛇の意識が、一瞬玉梓に集中した。華欠左衛門が、弾かれたように叫ぶ。

「行くぞ、幸多! それがし達の力で、精霊王様を復活させるんじゃ!!」

そう言ってすぐさま羽ばたく華欠左衛門に、幸多は慌てて続いた。その幸多に、華欠左衛門は言う。

「良いか、幸多! もし大蛇がどうしようもなく近付いて、精霊水晶を取られそうになったら……その時は迷わず、精霊水晶を抱き込むんじゃ!」

「どっ……どうして!?」

普通はそこで水晶を渡して、命だけでも助けてもらおうと考えるのではないだろうか。そんな疑問を持つ幸多に、羽根を止めて華欠左衛門は言う。

「決まっておろう! 幸多、初めてそれがし達がこの社に着いた時、何故八岐大蛇は精霊王様の名を騙るなど、回りくどい事をした? 奴ほどの力の持ち主であれば、それがし達をあの場で殺して水晶を奪うなど造作も無かったはず! それをしなかったのは単に幸多! それがし達が水晶を肌身離さず持ち歩いていたからじゃ!」

「……どういう事?」

さっぱり理由を飲み込めない幸多に、華欠左衛門は業を煮やしたように言った。

「まだわからぬか!? 精霊水晶は自然界の力が結集してできる神秘の水晶だと、玉梓が言っておったじゃろう!? 自然界の力というのは、おぬしが想像する以上に穢れを嫌う。じゃから、穢れ……つまりはそれがしやおぬしの血が少しでもつけば、あっという間にその力を落とし、精霊王様を目覚めさせる事も叶わぬほどになってしまうのじゃ! ここまで言っても、まだわからぬか!?」

「えーっと……つまり、俺や華欠左衛門を殺して、万が一水晶に血がついちゃうと、水晶は力がなくなっちゃうから、強い力を欲しがっている八岐大蛇は水晶に血がつかないように……つまり、俺や華欠左衛門を殺さずに水晶を手に入れなければいけないって事?」

「左様!」

幸多の理解にホッとしつつ、華欠左衛門が言った。その華欠左衛門に、幸多はふと提案してみる。

「じゃあさ、この水晶に俺達の血を少し付けてみたら? そうしたら、八岐大蛇にとっては価値の無いものになっちゃうわけだから、諦めて帰ってくれるかもよ?」

「馬鹿モン! 水晶が穢れれば精霊王様を目覚めさせる事も叶わぬほどになってしまうと言ったであろう! そもそも、水晶をここまで運んだのは精霊王様を復活させる為だというのに、邪魔者の大蛇を帰す為に水晶を穢して復活を台無しにしてしまっては本末転倒ではないか!」

「あ、そっか……」

激怒する華欠左衛門に、幸多はぽりぽりと頭を掻きながら言って見せた。そんな幸多に、華欠左衛門は少々呆れたように言った。

「まぁ、良い。とにかく、それがし達の任は水晶を社に安置し、精霊王様復活の時まで守りきることにある! 飛ばすぞ、幸多!!」

叫び、今度こそ華欠左衛門は社に向かって飛び出した。思い切りの良いスタートダッシュに、幸多はまたも慌てて続く。

ちらりと左手の方を見れば、今まさに玉梓たちが八岐大蛇を相手に獅子奮迅の活躍を見せている。幸多のあずかり知らぬ事ではあるが、仲間が一人増え、華欠左衛門を守るという負担から解放されただけで随分と動き易くなったようだ。

そんな彼女達を尻目に、幸多は走った。

社まであと、二十メートル。






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