誓剣の王


「アウレリア嬢。どうか俺と、結婚してくれないか?」

 この国の王であるルートガーが、花束を突き出しながら真っ赤な顔をしてそんな事を言うものだから。アウレリアは最初、何を言われているのがわからずに首を傾げてしまった。

 だって、おかしいではないか。アウレリアは学こそあるが、貴族か庶民かと問われれば限りなく庶民に近い下級貴族。対してルートガーは、成り上がり者且つ新米とは言え、この国の王だ。

 ……そう、王だ。元はアウレリアと同じぐらいの下級貴族の三男坊だったが、先の年に起こった魔獣の大侵攻を剣一本で食い止めた。それどころか、闇の魔獣によって滅ぼされてしまった王家に代わって軍の長に就き、見事な指揮で魔獣達を押し戻した上に、二度と侵攻しようと思わせぬほどに手痛い打撃を与えた。その後、人々に幾度も乞われて王座に就いた、超弩級の英雄王である。

 そんな彼が、何故アウレリアに求婚を? 寸の間考えてみても答えは出ず、悪質な冗談なのではないかとすら思えてきた。だが、顔を真っ赤にして花を突き出している様子からは、冗談の気配は感じられない。

「……何故、私なのですか?」

 考えたところで埒が明かないなら、当人に直接訊くに限る。とでも言わんばかりに、アウレリアはルートガーの目をまっすぐに見詰めながら問うた。すると、ルートガーはキュッと表情を引き締め、「それは……」と切り出した。表情こそ引き締まったが、緊張は続いているのだろう。口が渇いているのか、声が少し掠れている。

「その……最初はただ、訓練場で見掛けて〝姿勢が美しいご令嬢がいるな〟ぐらいにしか思っていなかったんだが……」

 容姿でも所作でもなく姿勢に注目するあたりが、剣一本でのし上がった武闘派の彼らしい。

「その後も何度か姿を見掛ける事があったが、いつでも貴女の立ち姿はまっすぐで、凜としていて、美しかった。そしていつの間にか、女性が集まっている場を見ると、貴女がいないか……あの美しい立ち姿が見えないかと、自然と探すようになっていたんだ」

 姿を探すようになると、次はその姿を目で追うようになり。やがてその言動に関心を持つようになった。そう言うと、アウレリアはどこか呆れたような目でルートガーを見る。

「私の事を見て、私の言葉を聞いていたのなら……益々わかりません。それで何故、私に求婚しようなどという気になるのですか?」

 アウレリアには自覚がある。彼女は常に、己が正しいと信じた行動を取り、発言をするように心がけている。その結果、人と対立したり、ついついキツい物言いになってしまう事も少なくない。

「一般的に考えて……ご自身の幸福を願うのであれば、そのような人間を結婚相手に選ぶ事は男女問わず無いと思うのですが」

 アウレリアが自虐気味に言うと、ルートガーは「そうかもしれない」と言って苦笑した。それから「一般的にはな」と付け加える。

「けど俺は、そんなアウレリア嬢の事を好ましいと思った。俺は、平穏のために自らを殺して従順になる者よりも、己の抱く正義を貫こうとする気骨のある人間が好きなのかもしれないな。それに、俺は仮にも王だ。王が道を誤った時に、躊躇う事無くそれを指摘できる者が伴侶であって欲しい。そう思ったらもう……貴女以外には考えられなくなっていたんだ」

 それで、人生の一大決心をしたのだと、彼は言った。

 ……とは言え、事はこの国の王の伴侶に関わる話だ。この求婚を受ける事はすなわち、この国の王妃になる事を意味する。下級貴族の令嬢であるアウレリアに、務まるだろうか?

 不安が、アウレリアの胸を過る。だが、己の中に常駐している冷静な部分が、考えてもみろと告げてくる。

 ルートガーの意思が優先されるとは言え、王の伴侶を、王の決心一つで決められるものだろうか? 答えは、否だ。特にこの国は以前の王族が滅んでしまい、国としてはかなり新しい部類に生まれ変わっている。興ったばかりの国が続くか否かは王次第。そんな王の伴侶選びについては、重臣達が慎重に慎重を重ねるに決まっている。

 ルートガーがアウレリアを伴侶としたいと一言でも呟けば、重臣達は即座に動き出すだろう。アウレリア自身の身辺調査は勿論、実家の素行や経済状況、親戚や親交のある家、それらに関わる人々の利害関係まで徹底的に調べ上げるだろうと思われる。

 実際、辺りを密かに見渡してみれば、この国の民であれば誰でも知っているレベルの重臣達が、物陰から王の求婚の様子を見守っている。これはつまり、調査を行った重臣達が、アウレリアであれば王妃が務まると判断した……と考える事ができるのではないだろうか?

 現実的に考えれば、ルートガーの伴侶となりこの国の王妃の座を望む者は少なくないだろう。今はルートガーがアウレリアにご執心であるために表面化していないが、仮にこの求婚が失敗に終わった場合はたちまちのうちにその座を巡って血で血を洗う争いが起きてしまってもおかしくない。中には、そんな争いの渦中に身を置くことに耐えられない淑女もいる事だろう。

 それを踏まえれば、アウレリアが王妃となるのは重臣達としては悪くないのかもしれない。彼女であれば「まぁ、これだけご執心なら……」と渋々ながらも納得する者もいるだろう。納得できない者の悪意に晒されても、アウレリアはそれらをはねのけ、何なら真っ正面から対峙する事すら辞さない。

 実家も、誰かと利害関係を結ぶには家格が低すぎる。彼女が王妃になったところで、利益面で得する者は誰もいない。勿論、娘が王妃になったというだけで実家の者が出世し権力を握る事を、彼女は良しとしない。家柄と能力は別物だというのがアウレリアの考えるところであるため、家格を上げる事はあっても、職務については各自の能力以上のものに就かせる気は毛頭無い。

 ここまで考えて、アウレリアは己が王に求婚されている状況については納得した。アウレリアが王妃になる事は、国益の視点から考えればまぁまぁ無難な人事だと言える。だから、重臣達が反対しない。重臣達が反対していないので、誰も止めなかったし何なら一部の者は背中を押しすらした。そういう事なのだろう。

 そして、己が王妃になる事への不安は消え、代わりに「王妃になった未来」のビジョンを多少なりとも思い描く事ができている事にも気付いた。

 ……が。状況に納得し未来のビジョンを思い描く事ができた事と、己がルートガーの伴侶となりゆくゆくは王妃となりたいと思えるかどうかは別問題である。

 そう思い、アウレリアはルートガーの顔を改めて正面から見た。緊張した面持ちからは、真面目で一本気な性格が伝わってくる。

 軍事で成り上がった王である故に粗野な性格と勘違いされがちだが、ルートガーは真面目で義理堅く、涙もろい。冷静に状況を見る事もできるし、感情が昂ぶっても己を律する事ができる。

 ルートガーに声をかけられるようになってからまだ数ヶ月しか経っていないが、この為人(ひととなり)の分析はそれほど間違ってはいないだろうとアウレリアは確信を持っている。それほどまでに純粋でまっすぐな人柄なのだ。

 だから、人柄だけで言えばアウレリアはルートガーの事を嫌ってはいない。寧ろ、好ましいと思っている。だが、その人柄のために、彼が心に決めた女性(アウレリア)を伴侶にしても良いものかどうか、という懸念が湧いて出る。

 アウレリアが何かを心配している事が、雰囲気で伝わったのだろうか。ルートガーは花束を下ろし、困ったような顔をしながら「えぇっと……」と声を発した。

「ひょっとして……言葉だけでは不安だろうか? 俺が貴女の事をちゃんと愛する事ができるだろうか、とか……」

「え? いえ、そういう事では……」

 ない、と言おうとした彼女の前で、ルートガーは花束をすぐそばの切り株の上に置いた。そして空いた右手で、すらりと腰の剣を抜く。その立ち姿の凜々しさに、アウレリアは思わず目を奪われた。

 ルートガーは、抜き放った剣を両手で掲げると、まっすぐにアウレリアの目を見て、芯の通った声を発する。

「アウレリア嬢。この剣は、数多の戦場を共に駆け抜けてきた、俺にとって唯一無二の存在だ。この剣と同じぐらい……いや、それ以上に。貴女のことを大切にする! 生涯、貴女一人を愛し続けると、俺はこの剣に誓おう!」

 堂に入ったその言葉に、辺りはシンと静まりかえる。そしてアウレリアは、その迫力に圧されて息を呑んだ。

 今掲げられているこの剣は、ルートガーが苦楽を共にしてきた、彼にとっては替えの利かない命よりも大切な物。それは、今や国民の誰もが知っている。

 その剣よりも、大切にすると。その剣に、誓うと。彼は言った。

 ルートガーは、本気だ。

 ならば、アウレリアも本気を持って彼に返そうと思った。それに、どうやら彼女の懸念はルートガーには伝わっていないらしい。その懸念も、はっきりとさせておかねばなるまい。

「……今から、いくつかの条件を申し上げます。まずは、それらを全て承諾すると、その剣に誓ってください。それができるというのであれば、私は貴男からの求婚を受け入れましょう」

 アウレリアの言葉に、再び辺りがシンと静まり返った。ルートガーは、アウレリアが求婚を受けてくれるかもしれないというこの状況に。様子を窺っている者達は、まさかここにきてアウレリアがとんでもない、国益を損ねかねない条件を提示してくるのではないかと。それぞれが、様々な理由で緊張している。

 その空気を感じながら、アウレリアは右手の人差し指だけをスッと掲げた。

「一つ。貴男はこの国の王で、真っ先に考えるべきはこの国の民全ての幸せです。己の幸せを優先して国政を疎かにするような事はしないでください」

「無論」

 ルートガーが、力強く頷いた。

「一つ。民の幸せを考えるためにも、貴男自身を大切にしてください。栄養のある物を食べ、政務の合間に動き、夜は眠る。無理は禁物です」

「わかった」

 躊躇いなく頷いたという事は、食事や運動、睡眠の時間をちゃんと確保できる程度に、仕事が分担されていると推測できる。だから安心というわけではないが、国王が書類仕事に忙殺されて寝る時間も無いような国では先が思いやられる。

「一つ。政務から離れた時は、家族として、父として。貴男の子らを全力で愛してください。次代の王も人々のために動く事ができる心優しい王となるように。ただの跡継ぎやその予備などと考えず、目一杯、愛情を注いでください」

「それは……望むところだ」

 その様子を想像したのだろう。ルートガーの表情が緩んだ。それとは逆に、アウレリアは表情を険しくする。そして、意を決したように大きく息を吸い、そして吐いた。

「一つ。もしも、私とそれ以外……例えば子であったり、国民であったり。どちらかを見捨てなければいけないような事態になった時は、迷わず私を見捨ててください。私と子のどちらかしか生き残れない状況であれば子を。私と国民、どちらかを殺さなければいけないような場面であれば私を。どんな場面であっても、私を優先してはいけません」

「なっ……」

 ルートガーは、絶句した。それはそうだろう。求婚をしている場で、条件として「己を優先するな」と言われたら、誰だって困惑する。だが、特にルートガーにはこれを徹底してもらわなければ、とアウレリアは考えている。

 真面目で一本気なルートガーの事だ。心に決めた女性と結ばれたら、相手を幸せにしようと全力を尽くし、そのしわ寄せは己が無茶をする事で何とかしようとするだろう。そして、大切な物を天秤にかけなければならないような事態になれば、悩み苦しむに違いない。先ほど湧き出た懸念は、それだ。

 だが、それだけを誓わせるのは、ルートガーには酷だろう。だから、政務から離れたら子を全力で愛せ、という条件を付け加えた。そして、あと一つ。

「これで最後です。……一つ。年を重ねて王の座を退いたら、それからは……ずっと、私と一緒にいてください」

 王としての責務を全うしたら、それからは自分を最優先にして欲しい。それぐらいのわがままは言ってみたい、と。アウレリアは、心の中で呟いた。

 常に正しくあろうと己を律しているが、たまには同年代の者達のように自分の願いを叶えて欲しいと主張してみたくなる。その気持ちが、表に出てきたのかもしれない。

 そんなアウレリアの気持ちを知ってか知らずか、ルートガーはしばらくの間唸り続けた。そして、やがて深いため息を吐くと「わかった」と重々しい声で言う。

「どんな場面であっても、貴女以外の者……子や民、それに重臣達……それらを優先すると、約束しよう」

 なんと、まだ「アウレリアを優先するな」という条件で悩んでいたらしい。そして、次の「王座を退いたら一緒にいて」という条件については「言われなくてもそのつもりだ!」と、両手で拳を握りながら鼻息荒く宣言された。もっとも、両手で剣を掲げているので、元々両手とも拳を握っているようなものではあるのだが。むしろ、剣を掲げながら応えたり悩んだり鼻息荒く宣言したりと百面相の如き様子を見せられるのがすごい。

 ルートガーは己を落ち着けるように深呼吸をすると、改めて剣を正眼に掲げ直した。そして、真剣な面持ちで言う。

「アウレリア嬢。俺は、この剣と貴女に確かに誓おう。俺はこの国の王として、何を置いても民の幸せを第一に考えよう。民の幸せのために働き続けるため、自身の身を粗末にするような事もしない。子ができれば、一人一人を人間として扱い惜しみなく愛情を注ぎ、父親としての責務を果たす。有事の際は……そんな事態にはなって欲しくないが、万が一貴女と子や民を天秤にかけなければいけない時には、貴女の言葉通りにしよう。そして、王座を退いた暁には……ずっと、貴女の隣に」

 一語一語をゆっくりと、聴き取り安い声で発する。一言発する度に、掲げられた剣は淡い光を纏っていく。誓いが進むにつれて剣が纏う光は強くなり、終に剣は空にそびえる光の柱かと思うほど強い光に包まれた。

 あまりにもまばゆく美しい光に、アウレリアも、様子を見守っていた人々も、皆が目を奪われる。やがて、光は音も無く弾け、ルートガーの誓いを知らしめるかのように世界中に飛び散っていったのであった。





  ◆





「あの後、貴女に怒られたんだったな。軽々しく聖剣を衆目に晒すものじゃない、そういうパフォーマンスはもっと重要な政治的場面までとっておけって」

 王城の敷地内にある森の一角。陽光が降り注ぐ花畑の中心で苦笑しながら、ルートガーは眼前の石像に向かって呟いた。石を彫って作られたアウレリアは、優しく微笑んでこそいるものの、喋る事はない。

 あれから、五十年。石像のアウレリアは求婚の時から二十年ほど時を重ねた面立ちだ。それに引き換えルートガーは、生きた五十年分きっちり老けている。

「貴女のいない三十年は、本当に長かった……」

 そう言って、ルートガーはちらりと石像の足元を見る。そこには、小さな墓石。三十年前に息を引き取ったアウレリアが、この下で眠っている。

 ルートガーがアウレリアに求婚し、様々な事を剣に誓ってから二十年は、比較的平和な時が続いていた。……いや、正確には魔物の襲来や周辺国による攻撃など、危機的状況は何度も訪れた。だが、その全てがルートガーの采配と彼自身の剣によって防がれ、大ごとになる前に終息していた。

 その間にルートガーはアウレリアとの間に何人もの子を授かり、忙しく時に危険ながらも、幸福とも言える日々を過ごしていた。それが全て瓦解してしまったのは、今から三十年前の事。

 周辺諸国の征服を目論む隣国が、数多の魔獣を従えて攻め入ってきた。国の正門に肉迫する敵軍を前に、ルートガーは剣を片手に防衛の軍を指揮していた。ルートガー自身も彼によって育成された兵達も強く、訓練された軍勢は一切の乱れなく整然と歩を勧め、迫り来る敵を返り討ちにしていく。

 ここまでであれば、同じような事はこれまでにも何度もあった。その都度ルートガー軍が快勝し、攻め寄せてきた敵軍はすごすごと撤退していく。今回もきっと同じだろうと、誰もが考えた。

 だが、違った。

 軍のずっと後方。守るべき城の内部で、反乱が起きた。首謀者は、ルートガーとアウレリアの間に生まれた末子の、第三王子。ただし、真の首謀者は別にいる。

 隣国の魔術師がいつからか国内に侵入し、少しずつ、第三王子に呪いをかけていたのだ。呪いの効果によって彼は正気を失い、そして父や兄達が城を空けたその隙に反乱を起こし、自らの母であるアウレリアを人質に取った。要求は、玉座の譲渡と、父王であるルートガーの死。

 変事を知ったルートガーは敵軍の相手を息子や臣下達に任せ、すぐさま城にとって返したのだが……王子にかけられた呪いは根強く、解呪の魔法を使っても事態は好転しなかった。

 もはや、この事態を打開するには、王子を斬るしかない。だが、王子を斬れば人質となっているアウレリアも共に斬ることとなってしまう。

 逡巡するルートガーに、囚われたアウレリアは言った。「誓いを守れ」と。

 民の幸せのためには早く敵国との戦いや、この反乱を終わらせる必要がある。ルートガーはあの時、民の幸せを第一に考えると剣に誓った。

 この国の平和を保つためには、まだルートガーの存在は必要不可欠だ。ルートガーはあの時、自身の身を粗末にするような事はしないと、剣に誓った。

 そして彼は、迷いながらも確かに誓った。アウレリアと子や民を天秤にかけなければいけない時には、必ずアウレリアではない方を選ぶ、と。

 ルートガーは、吼えた。愛する者達を手にかけなければいけない辛さや、他の手を打つ事ができない己への怒り、その他にもいくつも湧き出た感情を打ち消すように、天地も裂けんほどの声を発しながら剣を振るった。

 白銀の刃は一閃しただけで二人を切り裂き、辺りは血の臭いに包まれる。

 ルートガーに付き従っていた魔法使いが、治癒魔法を使えば一人は助ける事ができると進言すると、ルートガーは息を呑んで一瞬迷うような表情を見せた。だが、彼はアウレリアを一瞥すると、苦しそうな表情で第三王子を救うようにと命じたのだ。あの時の誓いが無ければ、ルートガーはきっと、アウレリアを救おうとした事だろう。……いや、アウレリアと王子、どちらを救うか悩んで、結局どちらも救えない結果になっていたかもしれない。あの時、アウレリアが危惧したように。

 そして、操られ反乱を起こした第三王子は一命を取り留め、アウレリアはその日のうちに息を引き取った。

 悲しみに沈んだルートガーは、アウレリアの墓の横に在りし日の彼女を模した石像を作るように命じる。彼は折を見ては彼女の墓を詣で、現実から目を逸らすように石像の彼女に語りかけ続けた。そして、その厚意に心を慰められながら、更に三十年、王として国を守り続けた。その間、後添えを迎えるような事は、気配すら無かったという。





 ◆





「……昨日、やっと全ての儀式と手続きが終わったんだ。王の座を第一王子(マリウス)に譲って、俺は晴れて隠居の身。これからは好きな時に好きな場所へ行って、好きな事をやれる。……随分、待たせてしまったな」

 そう言って、ルートガーは視線を石像から墓石に移した。そして、表情を曇らせると墓石に向かって頭を下げる。

「これまで、済まなかった。貴女を失ってしまった現実から、半ば目を背けて……。王座の重圧に耐えるために、いつでも貴女が支えてくれていると思い込みたくて、このような石像に縋ってしまった。……英雄王が、聞いて呆れるな」

 でも、もう逃げない。そう、ルートガーは言った。

「あそこ……見えるだろうか?」

 求婚した頃と比べると皺が増え節くれ立った人差し指を伸ばして、ルートガーは花畑の片隅を指差した。そこには、地味で小さいながらも、小綺麗で温かみのある家が新しく建っていた。小屋と言うには大きいが、館と言うには小さい、そんな家だ。

「譲位前の最後のわがままでな。あそこに、俺の終の棲家を建てさせたんだ。今日から俺は、あそこで寝起きする。いつでも、貴女と共にあれるように。……最後の誓いを、守るために」

 王座を退いた暁にはずっと、貴女の隣に。

 五十年前のその誓いを遂に果たしたからだろうか。ルートガーの腰に携えられた剣が、鞘に収まったままだというのに、ほのかに光を放った。

 だが、ルートガーはその光に気付かない。気付かないままにその場で跪き、花畑の花を一輪摘むと墓石の上にそっと供える。その手つきは、恋人の髪に花を挿して愛でるかのようで。

 墓石が、少しだけ熱くなった気がする。ルートガーの行動に、常に冷静であったアウレリアも流石に照れてしまったのだろうか。そう思うと、何やら妙におかしくて。ルートガーは思わず、吹き出した。

 こうして、ささやかだが幸せな時を彼女と、これから。誓剣の王は思い描いたその様子に頬を緩めた。そして、死ぬまでこの誓いを守り続けると新たに誓うため、剣を抜き放ち、眼前に掲げる。

 既に光を湛えていたその剣は、新たな誓いを認めたのだろうか。纏っていた光を、ゆっくりと解き放つ。解き放たれた光の粒は陽光と混ざり合い、きらきらと光ながら、花畑に降り注ぎ続けたのだった。





(了)











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